チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

スリランカ旅行(16)

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スリランカ旅行(16)

■セイロン紅茶
スリランカは1948年英国連邦セイロン自治領として独立、1972年に英連邦から共和国として独立した時に国名をスリランカに変更した。自分の世代だとセイロンのほうがしっくりくる。セイロンと言えば紅茶、2010年のデータによると、ケニアの275千トン、インドの151千トンを抑え、スリランカは293千トンと世界一の紅茶輸出国である。紅茶輸出国の上位を見ると英国の植民地だったところが多い。一人当たり紅茶消費量のダントツ1位は英国だ。スリランカで生産された紅茶の90%は輸出に回される。1985年くらいまで紅茶がスリランカの最大輸出品であった。今は繊維製品が輸出額の40%を占めるが紅茶も14%と健闘している。旅行中、あちこちで紅茶を飲んだが、これが実に美味しい。色、香り、コク、紅茶ってうまいもんじゃないか、と再認識したものだ。

今でこそ世界的に有名なスリランカの紅茶だが、1840年代、当時スリランカを植民地としていたオランダが始めたのはコーヒーの栽培だった。
しかし、英国統治に変わったのち、1860年代にジャワ島からやってきたサビ病によりコーヒー農園は壊滅的な被害を受ける。
この状況を目の当たりにした一人のスコットランド出身の青年が、当時スリランカでは難しいとされていた紅茶栽培に取り組み、奇跡的に2年足らずで根付かせることに成功する。彼こそがのちに「紅茶の父」「セイロンティーの神様」と呼ばれるジェームス・テイラーである。テイラーは交配により病気に強い品種をつくり出し、瀕死のコーヒー農園を茶園として蘇らせ、スリランカに紅茶という新しい産業をもたらした。

■高原の保養地
キャンディは標高465mの高地に位置する緑豊かな古都である。今でもコロンボに次ぐスリランカ第2の都市だ。キャンディは植民地時代、避暑地として栄えたのでコロニアル風の優雅なホテルがいくつもある。我々が泊まったGHはキャンディ市街と人造湖を見下ろす高台にあった。大金持ちの邸宅を改装したものでGHのイメージとはかけ離れた清潔さと豪華さ。室数も数室、友人宅に泊まりに来たような気楽さだ。このGHのオーナーはニゴンボで泊まったラ・グランデの主人だった。ここで彼と再会、18歳になる娘さん、直美ちゃんと日本人の奥さんにも紹介された。Iさんは旅程作成で直美ちゃんと何度も連絡し合っていたので初対面とは思えないようだった。2泊したので精力的に洗濯する。我々の来る1、2日前までは雨続きで、偶々、宿泊していた日本からの女性グループは何処にも出掛けられなかったそうだ。11月の雨季に当たっていたが我々は幸運で晴天続き、洗濯物もすぐ乾いた。

■紅茶博物館
スリランカの紅茶のグレードを分けるキーになるのが茶畑の標高。高いほど上質とされ、標高1200m以上がハイグロウン(主な産地はヌワラ・エリヤ、ウバ、ディンブラ、ウダプッセラワ)、600~1200mがミディアムグロウン(キャンディ)、670m以下がローグロウン(ルフナ、サバラガムワ)と区分されている。産地ごとに個性があるので、飲み比べてみると自分の好みの紅茶が見つかるはず、とネットにはある。

キャンディ市は山に囲まれていて山の斜面は茶畑となっている。GHの主人勧められて、GHから1キロほど離れたセイロン・ティーミュージアムトゥクトゥクに乗って出かけた。キャンディはセイロン紅茶発祥の地と言われており、19世紀に建てられた製茶工場がそのまま博物館になっている。
狭い道をトゥクトゥクで上り詰めた丘の上に4階建ての工場風博物館が現われた。入場料は800ルピー(約500円)だが、現地産のポット入り高級紅茶が付いているので高くはないといえる。サリー姿の優雅な女性がガイドとして館内の古い機械やお茶の種類を説明してくれる。

紅茶の製造はまず、萎凋(Withering)という工程で、摘みたての葉から、水分をある程度取り除く。そして揉捻(Roling)工程で大きな臼みたいな機械で、ゴリゴリとすりつぶし、空気に触れさせる。ここからが発酵の始まり。次に玉解き&発酵(Roll-Breaking & Fermenting)で竈からの熱で一気に発酵を進めて、最後に乾燥(Drying)、熱風に当てて、カラカラに乾かして出来上がり。

大型の機械、発電機は全てイギリス製、壁には紅茶の父、ジェームス・テイラーやリプトン紅茶のトーマス・リプトン卿の写真もあった。日本でも紅茶を生産している農家があり、この博物館には日本の製茶業者がよく訪れるとか、スリランカ150年のお茶の歴史を知るには最適の場所と言えるだろう。


写真はキャンディのゲストハウス、紅茶博物館、最後は近くの茶畑で。