チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

2泊でドライブ

 

 

スコール直後のチェンライ市場

同上

同上

同上

まだお客が少ない

これで土曜の夕方5時



2泊でドライブ

■出不精になった

新しい家に移ってからひと月以上経つ。今年の1月から4月までは家の建築に関係していたので旅行は控えていた。別に自分が作業に参加するわけではなかったが、蛇口や洗面台、床材等の建築資材を買い揃えて業者に支給しなければならない。業者との間に立っているブアさんから「照明器具を買いに行きましょう」、「ドアノブが足りない」といった連絡が何時入るかわからない。2,3日どこかへ出かけてもよかったとは思うが、「あなたの家でしょう」と怒られるのが嫌なので、彼女の指示待ちをしながら3カ月以上を家で過ごした。

休暇でやってきた息子も帰国し、しばらくは日本からの来客はなさそうだ。よく会う友人は1月以上の長期海外旅行に行ってしまった。自分と同じ70代ではあるがインド方面のバックパック旅行という。チェンライの邦人はエネルギーがある。旅は、出かけてみれば何か得るものがある。自分も友人を見習って旅に出よう。

ベトナムホーチミン、台湾の台北には隣県チェンマイから直行便が出ている。往復の格安航空券は2万円ちょっとだ。東京ー大阪の往復新幹線代より安い。往復の日にちを指定しておくと日替わり運賃をメールで知らせてくれるサービスがある。おっ、今日は特に安くなっている。今が買い時だ、と思えばその時に予約できる。ホーチミン台北の運賃推移をしばらく見ていたが、どうも海外に行く元気が出ない。曲がりなりにも週5日のテニスは続けているのだから、体力のせいではない。こういっては何だが航空券を賄うほどの金力はあるし、可処分時間は豊富にある。これは気力の問題か。毎日、テニス、パソコン、時に買い物といったルーティンをこなしていると、その生活リズムを変えることに逡巡する。山岳民族のおばあさんがビッグCのエスカレータになかなか足を乗せられないのと同じか。

 

■安穏に暮らせるのは

躊躇はしてもおばあさんはエスカレータには乗るのだから自分も、と心を励ます。そういえば最近、ドライブをしていないなあ。家にはホンダのシビックとスズキのカリビアン,2台の車がある。テニスや買い物はカリビかスクータで行くことが多く、シビックには殆ど乗らない。そうだ、バッテリが上がっては大変だ、シビックで遠出しよう。といってもタイ国内の行くべきところは概ね行っているしな・・・。

いつもタイで暮らしていることに感謝している。安穏に差別もされず暮らせるのは、日本ブランドを作ってくれた先人のおかげである。外務省調査によるとタイ国における在留邦人数は2020年現在で8万人強であるが、実は50万人もの日本人がタイにいたことがある。先の大戦中のことだ。北タイから多くの日本兵ビルマ方面へ出撃し、その多くが帰ることはなかった。メーホーソーン県クンユアムにはインパール作戦のための駐屯地、飛行場があった。ビルマ戦線から落ち延びてきた兵士が辿り着き、しばらく体を休めた場所だ。

クンユアムには世界で唯一、日本を非難しない戦争博物館がある。何度か訪れて慰霊碑に感謝と慰霊の気持ちを捧げたものだ。10年以上前、初めて戦争博物館を訪れたときは、質素な平屋の建物で、入り口にタイ文学者、岩城雄次郎氏の手書きの寄付依頼があった。現地の警察署長チューチャイ氏が個人で集めた遺品、遺留品がこじんまりと展示されていた。2006年にチューチャイ氏は今の上皇上皇后陛下にお声をかけて頂く栄誉に浴し、その後、しょぼい展示室は3階建て白亜の日タイ友好記念館に生まれ変わった。

 

■無数のカーブ

いつもクンユアムに行くときはチェンマイ近くからパーイ、メーホーソーンを通っていた。我が家からクンユアムまで400キロ以上ある。いわゆる白骨街道と呼ばれる旧日本軍が切り開いたカーブだらけの道を上り下りするので7時間以上かかる。1日目はメーホーソーン泊まり、翌日、クンユアムの博物館に行こうと、朝早くチェンライの我が家を出立した。

実はルート案内、カーナビの機能を持つ「グーグルマップ」を初めて利用した。出発地と行き先を入力すれば音声で経路をガイドしてくれる。この威力には脱帽した。昔は地図を眺めて、ここで曲がってなどとシミュレーションして、それでも道に迷っていたが、携帯のお姉さん声に従っていくだけで、迷わず目的地に行ける。素晴らしい。長生きはするものだ。マップは近道を選んでくれたのでメーホーソーンの前にクンユアムに着いた。初めて通るカーブだらけの道、午後3時を回っていたのでクンユアムに投宿することにした。(続く)