チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

2泊でドライブ(3)

伊藤桂一氏の慰霊碑

トラックまで日本から運んできた

インパール作戦に使用したトラック

パーイの街角で

川遊び用か

食堂で

 

 

 

 

2泊でドライブ(3)

■クンユアムの慰霊碑

作家、伊藤桂一氏の慰霊碑には自筆で以下のように刻まれている。

「悼 天に星 地に草の露 はるかに故国を恋いつつ ここに兵士らの御魂眠る ただ虫の声のみ その勇武のあわれを悼むなり 伊藤桂一」。

彼の作品に「遥かなインパール」がある。新潮社の書籍紹介には「太平洋戦争末期、劣勢の戦局を挽回すべく、ビルマから東インドインパールへの侵攻作戦が強行された。多くの人命の損失を招き、日本陸軍史上有数の悲惨な戦いとなったインパール作戦を枠組みに、主力部隊・祭兵団歩兵第六十連隊の行動に焦点をしぼって、その軌跡を忠実にたどる。風化してゆく戦争の現実と、激戦地におかれた兵士たちの人間的真実を描きとどめた入魂の戦場小説」とある。

新潮社のオンデマンドブックスでは5610円の価格がついているが、自分はアマゾンで中古の文庫本を購入して読んだことがある。戦闘描写はほとんどなく、餓死、病死の悲惨な退却を詳細に描いている。サルウィン河に限らず、雨季の川を渡河せざるを得なかった。当然、舟などないから竹で筏を作る。ところがビルマの竹は比重が重く、用を為さなかった、という描写では北タイの重くて節の詰まった竹を思い出した。同じ竹だ。そういえばタイでは竹の筏を殆ど見たことがない。

また食糧がない中、器用な兵士がトカゲを捕まえる罠を作って、その小隊は蛋白質をとることができたといったエピソードは覚えている。

クンユアムから108号線を下ってメーホーソーンに向かった。この道は日本軍によってか開かれた道路でチェンマイへ落ち延びていく兵士が通った。行き倒れになる兵士も多く、道路際には靴がきちんと並べられていた、という話もあった。自分はダメだがこの靴を履いてチェンマイまで行ってくれという落伍兵の切ない意思表示だ。道路際に立てられた慰霊の木柱が何本もあったと記憶するが今回は気が付かなかった。草の陰に埋もれてしまったのかもしれない。

 

■メーホーソーン

メーホーソーン県はミャンマーと国境を接しており、昔からタイよりもビルマとの関係が深かった。お寺はビルマ様式だし、チャン族、カレン族、モン族などビルマ系の民族も多く住んでいる。長居したことがないのでわからないが祭りや料理などもミャンマーの影響を強く受けているという。

昼前にメーホーンソーンに着いた。「地球の歩き方」で知ったパノラマホテルが定宿であるが、時間的にこの街は通過するだけ。市の中心部にあるホテルから2分ほどにある生鮮市場に行った。売っているものはチェンライと変わらない。烏龍茶の葉があった。茶葉の色は黒いし、縮れ方もいいので大袋80Bを購入、毎日飲んでも3か月は持つだろう。

揚げ豚肉の小片が一杯載ったご飯を市場内の食堂で食べた。40B、まずまずの価格である。この街や周辺で行きたいところがなかったので、1時間足らずの滞在でメーホーンソーンを後にした。この日の宿泊場所、パーイまで約100キロ、2時間半のドライブだ。道は108から1095線へと変わる。この道路も日本軍が作った。時速50キロ以下でしか走れないのはこの道路も激しいカーブ続きの難所だからだ。

 

■パーイ

パーイはチェンマイとメーホーンソーンの途中にあるバスの休憩所という趣の村だった。それがいつのまにか欧米人の溜まり場になった。レオナルド・デュカプリオ主演のザ・ビーチで有名になったピーピー諸島、アンダマン海のパヤム島、それに1980年代の北タイのように白人バックパッカーがたむろする麻薬の隠れ里だった。こんな田舎には警察は来ないというのでパーイも知る人ぞ知るの秘境であったが、その後、タイの恋愛ドラマのロケに使われたので、ファランばかりでなくタイ人にも知られる街となった。

「パイ」はタイ語で「行く」を意味する。一時は「パイ、パーイ」、つまり「パーイに行く?」が若者の流行語になったとか。街は訳ありファランの閉鎖的空間から若者や家族連れが川下り、トレッキングを楽しむ明るいリゾートに生まれ変わった。洒落た洋食店、ビラ、リゾートが立ち並び、北タイの軽井沢という雰囲気だ。街には上半身裸の男性グループやビキニの女性などチェンライでは見られない開放的なファランが闊歩していた。

観光客相手の店も多い。でも商品はチェンライの土曜市で売られているものと同じ。異なるところは総じて高価格、土曜市で50Bのサングラスが179Bで売られていた。

この日は1泊400BのGHに泊まり、翌朝、パーイを出発し、昼過ぎにチェンライの我が家に戻った。310キロ、7時間のドライブ。今回は2泊したが、ただ山道を走り続けた旅だった、という感じがする。