チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

クンユアム再訪(3)

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クンユアム再訪(3)

■パーイ
1095線をメーホーンソンに向かう手前にパーイがある。バックパッカー憩いの町、美しく長閑な秘境、などと言われ、チェンマイ並みにファラン比率が高い町だ。貧乏が体に沁みついた流浪のバックパッカーがゲストハウスに泊まり合わせた新米に「○×?、ああ、行ったことあるよ。何もない町だ。でもそれがいいのさ」と物憂げに呟く。そのセリフに相応しい場所がパーイだった。1990年代にこんなとこまで警察は来ないだろうとファランがやってきて大麻や阿片を密かに吸う、知る人ぞ知る秘境であったという。

まあ20-30年前の北タイといえば麻薬、あるいは少女売春で知られていて、ある邦人がチェンライに行ってきたと話したところ、姪っ子が口をきいてくれなくなった、というくらい怪しいイメージがあった。でも今の北タイはトレッキング、自転車レース等、健康的なリゾート地域というイメージに変わっている。

その後2009年に「パーイ・イン・ラブ」というパーイを舞台にした映画がタイでヒットした。それで一度はパーイに行かなくっちゃという若者に人気の観光地になった。もともとファランは多かったし、それに若いタイ人観光客も増えて、町はまるで原宿か軽井沢のようにあか抜けてきた。カフェや西洋料理店、それにしゃれたブティック・ホテルが林立している。雲南省からラオスを経由してやってくる中国からの新婚さんも少なくない。
でもパーイが混み合うのはやはり乾季の11月から2月まで、今は雨季のローシーズン、「通常1泊1000Bのところ500B」などと書かれたホテルを見ながら道を進む。英文の看板を掲げた店が多くエキゾチックである。

■一気にメーホーンソンまで
パーイには何もないどころか、象にも乗れるし、川もあるし、滝もあるし、山に囲まれているから山登りもできる。映画にも登場するがパーイ溪谷という景勝地もある。洞窟探検も人気。更に有料、無料を含めいくつかの天然掛け流し温泉がある。夜はディスコパーティ、パーイに沈没するファランも少なくないとか。今でも一部のカフェバーでは大麻が供されるという。もちろん犯罪である。パーイ郊外で大麻を栽培していたファランが捕まった、というニュースを見たことがある。ある種のいかがわしさも此の町の魅力であろうか。

この日朝8時にチェンライを出た。パーイに着いた時は14時、ここで投宿してもいいがまだ陽は高い。パーイからメーホーンソンまでは約100キロ、車で2時間とのこと。今日は行けるところまで、と決めたのだから、と町を抜けて再び九十九折の山道に臨む。もし連れがいたら、もう少し休憩時間を長くとっていただろうし、温泉にも浸かったし、そんなに無理して走らなくてもここで泊まろうよ、ということになったと思う。でも今回は単独行動であるから、まさにマイウェイ、自分の心のままに行く。
1095線はメーホーンソンから今回の目的地であるクンユアムに通じている。走るうちメーホーンソンへの道標と共にクンユアムのそれも見えてきた。クンユアムの道標には日タイの国旗があしらってある。「タイ日友好記念館」がありますよ、と100キロ以上先から告知しているわけだ。

16時にメーホーンソンの街に着いた。410キロを8時間かけて走破した。グーグルマップでは7時間43分となっていたから、ほぼ予定通りである。これだけ長く一人で運転したのは初めてだろう。少し運転に自信がついた。今日の道をスクータで来ることができるか、と自問したが、走り終えれば自信になるが、連続で走り通す自信がない。

鄙びた
8年前、Sさんと兄の3人でこの街に泊まった。Sさんは豪華客船飛鳥で何度か世界一周クルーズをしている大金持ちである。でも1泊400B程度のゲストハウスだったのにここで充分ですよ、とニコニコしながら言われた。本当の紳士とはこういう人をいうのだろう。

さて、今日の泊りは、と市内をゆっくり回る。すぐ街並みが途絶えて郊外らしい風景になる。リゾートっぽいホテルはあるが、どうも気に入らない。また市内へと車を乗り入れて、繁華街の中心にあったホテル、パノラマに泊まることにした。一泊600B。「地球の歩き方」にも掲載されている中級ホテルであるが近くに飲食店やコンビニがあるのがいい。チェンマイからのツーリングだろう、駐車場にバイクを停めているファランを何人か見かけた。

繁華街といっても人通りは少なく、ビールが飲めるレストランを探すのに苦労するほどだった。町の人口は7千人ほどでパーイよりも少ないことを後で知った。(続く)



写真は上3枚がパーイ、下3枚がメーホーンソン