チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

2泊でドライブ(2)

タイ日友好記念館

娘さんと一緒ということはいい関係を築いていた証拠

表題がさかさま

どう見てもタイ兵士

休息中か

菩提樹に巻かれる


2泊でドライブ(2)

■クンユアム泊

この日は早朝から8時間以上運転してきた。それもつづら折り、アップダウンの連続。ここクンユアムからメーホーソーンまで更に70キロある。久しぶりの長距離運転で疲労もしたし、時間も夕刻にかかる頃であったからクンユアムに泊まることにした。グーグルで検索してみると、田舎と思っていたクンユアムにもリゾートやGHがいくつもあることが分かった。1泊600BのGHに投宿、テレビ、冷蔵庫、温水シャワー付き、新築らしく清潔である。いまはどこのGHでもWiFi完備だ。 ネットがあれば家にいるのと変わりはない。

翌朝、GHから2キロほど離れたタイ日友好記念館へと向かう。入場時間は8時半からなので記念館近くの食堂でジョークを食べる。ジョークとは肉入りおかゆである。自分にとって旅の朝はジョークに始まるといっても過言ではない。どこで食べてもハズレに遭遇したことはない。クンユアムのジョークも塩味がちょうどよく、量も多い。半熟卵も入れてもらったから代金は50Bかな、と思っていたら30B。インフレと言われるが地方はまだまだ物価が安いようだ。思ったより安く、味もまずまずだったせいで、少し幸せな気分になる。今日もいいことがありそうだ。

■タイ日友好記念館

ブログを参照してみてわかったが、自分はこの記念館に3度来ており、ブログを20本以上書いている。2009年8月に初めて訪問した時は、地元警察署長、チューチャイ氏が個人で収集したこじんまりした展示室があるだけだった。入場料は無料、訪れる人も少ないのか、近くにいたタイ人に展示室の戸を開けてもらったことを思い出す。雨が降りしきる日だった。初訪問は印象が強かったのか、記念館とインパール作戦に関するブログを12本書いている。参考文献として数冊の本やネット記事を挙げているところを見るとあちこちからの引用でまとめ上げたに違いない。2009年と言えば自分も60そこそこ、まだ元気があったんだなー、と遠くを眺めて追憶に耽ってしまう。

■入場料100B

さて2023年6月に話は戻る。雨季の晴れ間、記念館の前にある2本の日章旗、2本のタイ国旗がへんぽんとはためいていた。開館直後のせいか、訪問者は自分だけ、入場料は100B、タイ人は40B、タイの国立公園とか博物館ではタイ人料金と外国人料金がある。この格差は観光立国タイに相応しいか、と時折問題となる。タイ政府も後ろめたいのか、タイ人用入場窓口にはアラビア数字を遣わず、タイ数字(日本でいえば漢数字か)で40Bと書いている。タイ人の奥さんに払わせれば亭主もタイ人価格にしてくれるというが、そのためにタイ女性と一緒になるのはあまり意味がない。またタイの運転免許証を見せて65歳以上と分かればタイ人価格になることもある。「こともある」というのは友人が国立博物館の窓口で免許証を見せながら強烈にアピールしたら、窓口のお姉さんが、「わかった、わかった」と諦めてタイ人価格にしてくれたことがあったからだ。試してみる価値はありそうだが、今回は値切る気にはならなかった。

館内に入ると右手に小ホールがあってここで10分ほどのビデオを見せられた。半分はクンユアムの産業、民俗紹介で、この記念館が戦争博物館から地域の民俗博物館も兼ねるようになったことを示している。後半はクンユアムになぜ日本軍がいたのか、日本兵と村人との関係を説明するものだった。日本兵と村娘の交流場面があったが、日本兵、村娘は明らかに現代人、80年前の兵隊さんと表情が違う。村娘も美人すぎる。エキストラによる想像シーンだが、兄ちゃん、シャキッとせいよ、と言いたくなる軟弱青年だったことは残念。

■慰霊碑

展示品は前回2017年に訪問した時と変わっていないようだった。訪問者がネットで指摘している説明文の間違いなどもそのままになっていた。この記念館は創立者チューチャイ氏が2006年に当時の天皇皇后両陛下からの言葉を賜り、叙勲された後、日タイ修好120年、125年の記念行事として建て直されたと聞いている。ハコモノは作るがその後の運営資金が、ということか。

記念館の向かいにあるワットムアイトーにも詣でた。ここには野戦病院があって多くの兵士が亡くなっている。数々の慰霊碑とともに十数体の日本兵を模した塑像がある。どう見てもナップザックを背にしたタイ兵士の趣だ。この塑像群も古びて手足はもげ、首に菩提樹の根が絡みついて、敗残兵の哀れさを醸し出している。その隣に伊藤桂一さんによる鎮魂の碑があった。碑文に改めて感動し、背筋が伸びる思いだった。(続く)