チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

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■上善如水
アルコールを体質的に受付ない人がいる。無理して飲むと心臓がどきどきして目が回り、死にそうになる。お酒の飲める人は良いですね、と下戸の人はいう。確かに酒が飲めてシャーワセと思う時はあるが、それは一瞬のことであって寿司や鰻、あるいはラーメンを食べたときの満足度のほうが酒より高いだろう。それにいくらうまい酒と言っても自分の場合、いくらでも飲めるというわけではない。酒の肴、飲み交わす友人、それにお一ついかが?などと言いながらお酌をしてくれる人によって、旨さと飲める量は多少変動するが、世の酒飲みと言われる人から見れば、下戸に毛の生えたようなものだ。

「上善如水」という言葉がある。いい酒は水の如くすいすい、いくらでも喉を通る意味だと長らく思っていた。事実、新潟県の酒蔵から「上善如水」という銘柄の日本酒が販売されている。二日酔いの心配なしにぐいぐい飲める銘酒かなあと思っていたが、そんな酒あるはずがない。そもそも上善如水とは老子の言葉とか。最上の善とは争いを避けて生きること、つまり低きにつく水のような生き方が最上だと教えているのだそうだ。老子が活躍した春秋戦国時代は、弱肉強食、戦乱に明け暮れる殺伐とした時代だった。利を得るためには、人を蹴落としても上に立つ、それは戦い取るしかない。

そんな時代にあって、老子は、「人と争わず、常に低いところに留まりなさい。まるで水のように」…と、生き方の見本として“水”を挙げているわけだ。争わず、低きに留まる、は決して負けを認めることではない。水は、柔らかくしなやかでありながら、一方では硬いものを穿つ強さも持ち合わせている。しかも、万物に恵みを与え、争うということなく低いところに留まろうとする。弱さに徹した水の性質を変えさせるものはない、だからこそ、水に勝るものはないのだと言う。

■イエス様も
人と争った覚えはあまりない。でも団塊の世代だからいわゆる受験戦争を潜り抜け、就職戦争、出世競争を経験している。ずっと低きについていたじゃん、と揶揄されるかもしれないが、競争にはそれなりにストレスはあった。今、タイの片田舎に蟄居、まあ社会の底辺から上を見上げる生活を送っているが実に気楽である。競争しなくていい。なまじ、上に立つといいことはない。上に立っている人はそれなりに頑張っているし、人のお役にも立っているのだろう。でも自分はもうその任でもないしその器でもない。

聖書 ルカによる福音書14章7~11。

7 イエスは、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話された。
8 「婚礼に招待されたら、上席に着いてはならない。あなたよりも身分の高い人が招かれており、
9 あなたやその人を招いた人が来て、『この方に席を譲ってください』と言うかもしれない。そのとき、
あなたは恥をかいて末席に着くことになる。
10 招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。そうすると、あなたを招いた人が来て、『さあ、
もっと上席に進んでください』と言うだろう。そのときは、同席の人みんなの前で面目を施すことに
なる。
11 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

エス様は高慢を戒めている。俺はあいつより金持ちだから、地位があるから、いい酒飲んでるから、だから偉い。高慢は感謝を忘れるからいけない、とイエス様は言われるが、それだけではなく、自分が偉いと思うと物事の本質が見えなくなるという。

■下座の強み
曾野綾子さんのエッセイの中に、下座から上を見るといろいろなことがわかるとあった。聖書の中にそういった話があるらしい。上司は1年経っても部下のことがわからないが、部下は3日で上司を見抜くともいう。部下の座右の銘が「面従腹背」だったら3年経ってもわからない。

タイの田舎に暮らしているから日本で大騒ぎしている問題とは全く利害関係はない。日本の安全、存立はどうなるのだろうと大雑把に考えると、獣医学部や小学校が開校しようが廃校になろうがどうでもいいように思える。政治を混乱させ、国を壊し、外国勢力を引き入れようとしか思えない勢力が聞くに堪えない言葉で人を罵る。法に従って行政を進めている人達を監獄に入れろ、バカだ、ヒトラーだ、と貶めると、それだけ自分が偉くなると思っているのだろうか。それでは現政権に代わって、どうやって国民の生命、財産を守り、どういう手段で拉致家族を救うというのか。

もし対案がないのであれば、へりくだり、争わないという謙遜の中で静かに日本の将来を考えてみて頂きたい。


時間があったので、ネットで写真を集めてみました。