チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タシケント旧市街

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ザイヌディン・ボボ・モスクとバザール

 

 

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散水

 

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ヒヴァ?のモスク

 

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バザール

 

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タシケントの高級バザール

 

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ウズベク人のお墓




タシケント旧市街

2006年6月にアップした「杜の都タシケント」を一部訂正の上、再録します。

杜の都タシケント
ウズベキスタンの首都はタシケントである。タシケントとは「石の町」という意味だそうだ。だからウ国に来る前は、タシケントには石がごろごろしているのだろうか、石造りの家が立ち並ぶ砂漠の都市なのだろうか、などと想像していた。ところが、タシケントは一抱えもある街路樹が連なり、道路の中央分離帯が広い緑地帯になっていてベンチや花壇まである。タシケントは緑豊かな杜の都だ。街路樹と街路樹の間、また車道から建物の間が花壇になっており、花や芝生が植えられている。

大陸性気候であるので、5月には日中30度を超え、湿度は10%くらいになる。これでは土が乾燥するだろうと思われるが、タシケントには豊富な地下水がある。一定の時間になると係員がバルブをまわして街路樹や花壇、緑地帯にふんだんに地下水を遣る。大通りの緑地帯にはすべてこの配管が通っている。パイプから出てくる水に触ってみたが確かに冷たい。1日でも水遣りを忘れると乾燥度の高いこの町では、緑はあっという間に枯葉色に変わってしまうだろう。緑を維持するために相当の努力が費やされていることがわかる。

また一般の住宅も道路から家まで15メートルくらいあって、その間に樹木やバラ、デージーなどの草花、家によっては農作物を植えている。樹木もポプラ、プラタナス、桑、マロニエ、桜桃、胡桃、イチジクなど。
以前、ボランティアガイドをしてくれた東洋語学大学の学生に街路樹の名前を聞いたことがある。きれいな花が咲いている木でも「あれは食べられない実が生ります」といって彼らの木の分類の仕方が「食べられる」、「食べられない」の2つになっていることを発見した。確かにこちらの木は果物がなる木が多い。

■旧市街
旧市街の住宅地を歩いていく。道いっぱいに桑の実が落ちている。枝に手を伸ばしてほのかに甘い実を食べる。さくらんぼの木もある。これも1,2個頂戴する。日陰作りをかねて、ぶどうの枝を2階の屋根まではわしている家もある。
ポプラの大木もある。乾燥した爽やかな風、青い空にすっくと伸びるポプラは北海道大学のそれを思わせる。胡桃も実をつけている。この木は梨だろうか、などと上ばかり見て歩いていたら、道のくぼみで右足首がギクッとイナバウアー状態になった。あっ、これで車椅子で帰国か、と一瞬暗い予感が脳裏をよぎったが、幸い大事無かった。歩道には大きな穴があいているし、突然舗装が途切れる。顔を道路に打ち付けて、お岩さんのように腫れ上がった邦人がいる。途上国では単なる散歩にもそれなりの緊張感が必要だ。

住宅の入り口は狭い。入り口から覗き込むと広い中庭がみえる。そこにテーブルや椅子がおいてある。雨の少ないタシケントでは中庭で食事をするのだろう。旧市街には昔からタシケントに住んでいる人が多い。東京の神田、浅草といったところだろうか。
住民のほとんどがモスレムだ。年配の男性はデュッペあるいはカルポフと呼ばれる丸いイスラム帽を被っている。女性は手首、足首まで隠れるぞろりとしたワンピースを着て、頭にルモールというスカーフを巻いている。人によってはルモールをあごで結び、「おこそ頭巾」のようにしている女性も、たまには「怪傑黒頭巾」のように目だけ出しているという女性もいる。オイベックなどタシケント市中心街に行くと、ノースリーブ、へそ出しルックのお嬢さんが闊歩しているが、旧市街にはそのような女性は一人も見当たらない。いかにもイスラムの国にいるのだ、という気持になる。

■ザイヌディン・ボボ・モスク
旧市街を30分ほど歩くとモスクにぶつかった。
モスクの前には澄んだ水の流れる用水路があった、水草が流れに揺れている。よく見ると水草の間をクチボソみたいな魚が群れをなして泳いでいた。
モスクには外国人でも自由に入れる。モスク内の広い敷地が墓場になっている。こちらのお墓は墓石に個人の顔を刻んだり、いかにもここに遺体が埋まっています、とばかりに土饅頭ができていたりして、ちょっと違和感がある。

水を満たしたバケツとバラの花を持って小学生の女の子が通る。家族で墓参りだ。モスク入り口には生花の露店が並んでいる。墓場はお彼岸の中日のような人出だった。これで線香の煙でも漂ってくれば日本の霊園と変わりがない。一家でお墓の草むしりをしたり、お花を供えたり、とイスラム教としてはかなり異質だ。

サウジアラビアの歴代の王、サウド家一族には墓がなく、どこに葬られているかわからないといった話を思い出しながら、花と緑に彩られたモスクの墓地でイスラム教もいろいろ、と感じた次第。

 

新型肺炎と台湾

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士林夜市の地下美食街、10月は満席だった

 

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台南駅で見かけた新聞

 

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同上

 

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唐三彩

 

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故宮の仏像、北魏のものか

 

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乾隆帝の壺か

 

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陶製枕

 

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ズームしてみる



新型肺炎と台湾

■肺炎対策
2月末に4泊5日の日程で台湾に行ってきた。昨年10月にも1週間ほど行っている。半年で2回も台湾に行くのはどうかとも思うが、兄にとっては初めての国であるし、何と言っても故宮博物院に行くという目的がある。折しもコロナ新型肺炎蔓延中の時期でもあり、観光客は少ないだろうとは思ったが、行ってみてビックリ、まず空港は閑散としていたし、有名な士林夜市も人通りが少ない。10月のあの混雑は何だったんだと思う。中国人がゼロだし、街では韓国語が聞こえない。ファランの数も少ない。街行く人はほぼ100%のマスク率、国を挙げて感染防止に注力していることがみてとれる。台北桃園空港に着くとイミグレの前で手をアルコールで消毒、非接触体温計で体温チェック、ホテルでも同様のチェックがあった。

台北駅前のビジネスホテルを予約していた。本来は1泊2800台湾ドル、日本円で1万円程だが、客が少ないせいで1泊3千円弱に値引きになっていた。チェンマイ台北エアアジアだったが往復1万4千円程、それでも乗客は少なく、多くの人が3席を独り占めして横になっていた。こんな時期、台湾に行くなんて、という人もいるかもしれないが、こんな時期だからこそ台湾に行って台湾経済にわずかながらでも貢献しよう、こんな気持ちも1%ほどはあったといえる。

武漢肺炎
空港から市内へのMRTの車内もホテルの室内もカルキ臭がした。消毒は万全のようだ。テレビをつけるとニュースは新型肺炎一色、政府の呼び掛け、医師の対策案など台湾当局がこれを国難とみていることがわかる。日本では安倍政権の新型肺炎対策の遅れをマスコミ、野党は批難しているが、台湾の蔡英文総統の対応は早かった。2月6日に中国からの渡航を全面停止するとともに、感染者の休業補償、違反者への罰金など立法措置をとって感染阻止への政府権限を強化した。ネットでは日本と台湾の新型肺炎対策の比較があるから興味のある人はそちらを参照して下さい。
テレビの字幕でコロナウィルスは「冠状病毒」と知った。そういえばコロナは冠という意味だったな、と得心した次第。日本では新型肺炎が一般的な用語となっているが台湾のテレビ、新聞は「武漢肺炎」を使用していた。日本では一部の保守層だけが武漢肺炎と言っているようだが。

駐日中国大使館は新型コロナウイルス感染症を、「日本型肺炎(日本新冠肺炎)」と呼ぶことにしたそうだ。その前に留学生にネットで買い集めさせたマスクを「一緒に新型肺炎と戦いましょう」と街行く人に配布した。その模様は世界中に配信された。日本型肺炎に苦しむ日本人民を援助する中国、さすがプロパガンダにたけた国だ。呆れていて済む問題ではなく、南京大虐殺30万人、従軍慰安婦20万人と同じように、日本型肺炎が世界の常識となってしまうのだろう。
延期になるとはいえ、どうしてこんな国の国家主席国賓で招待しなければならないのか。

故宮博物院
開館時間に合わせて故宮博物院に行った。観光バスがひしめき合っているはずの入り口は閑散としている。あれ、休館かな、と思ったほどだ。10月に来た時は入場制限するほどの混雑ぶりだったが、今回は邦人のグループがチラホラ眼に付くくらい。館内が静寂であったお陰でツアーガイドの説明がよく聞き取れた。今回は翠玉白菜の代わりに「肉型石」が展示されていた。翠玉白菜は人々の頭越しに見るという感じだったが、肉型石は一人でじっくり鑑賞することができた。館内は写真撮影できるがフラッシュは厳禁、我がニコンP900も悪くはないがやはり暗い時は僅かにブレて、美術品本体の味わいが出せない。今回は慎重にレンズをガラスにつけて写真を撮った。時間をかけて構図を決めることができたのも人が少ないお陰、前よりいい写真がとれたように思う。

兄は午前中、3時間以上掛けて館内を回ったが、それでも見きれなかったと言って、昼食後、また故宮に戻った。出口で手の甲に見えないハンコを押してもらえば再入場できるし、入場券の半券を見せるだけでも中に入れてくれる。こういったおおらかなところが台湾の良さであるように思う。

兄は故宮博物院以外の場所には興味がないという。それで兄の希望を要れて台北のあと、嘉義にある故宮博物院の分館である故宮南院を訪れた。嘉義までは台鐵で約4時間、そこからタクシーで30分、分館だから大したものは、と余り期待していなかったのだが、これが本院にもまして素晴らしい美術、工芸品揃い。ここで翠玉白菜に再会できたし、清明上河圖の逸品にも出会った。詳しくは4月に入ってご紹介したい。

故宮博物院で考える

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 雕象牙透花人物套球

 

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翠玉白菜

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 翠玉白菜

 

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 肉型石、ネットから 参考まで

 

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 この壺の龍を

 

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 ズームでアップ、この突起をどうやって作ったのかわからないそうだ。

 

 

故宮博物院で考える

■世界4大博物館の一つ
世界4大博物館とは諸説あるが、先ずはロンドンの大英博物館、2番がパリのルーブル美術館、3番がニューヨークのメトロポリタン美術館、4番が台北の国立故宮博物院ということになっている。

故宮博物院の美術品はもともと北京の紫禁城に所蔵されていたが、相次ぐ戦乱の中、国民党軍により大陸から台湾へ運びこまれた。故宮博物院には中国歴代王朝の美術的・歴史的価値の高い中華の至宝が70万点ほど収蔵されているが、そのうちの一部、約7千点が一般に公開されている。1年毎に展示品を総入れ替えしても100年かかる。この至宝がすべて中国皇帝個人に奉られたことを考えると、皇帝の権力の強大さは推して知るべし、である。

故宮必見の品に「雕象牙透花人物套球」という象牙を材料として清朝時代に彫刻された球体の作品がある。約12cmの球体の中は24層からなり、各層が独立して動く上に緻密な細工が凝らされている。大小24個の球体が入っているが、もちろん半球を張り合わせて入れ子にしたものではなく、12センチの象牙の球を少しずつ彫って24の球にした。制作には親子3代、100年以上の歳月を要したという。

他にも故宮で見逃せない逸品として、翡翠を白菜に見立てて、そこにキリギリスとバッタがとまっている様子を彫刻した翠玉白菜(すいぎょくはくさい)、並びに玉髄という石を東坡肉(豚の角煮)に模して彫刻された肉型石がある。この2つは海外に貸し出し展示されることが多く、自分が行った時には肉型石は写真のみの展示だった。

■4半世紀ぶりの故宮博物院
昨年10月の訪台時には2回、故宮博物院へ足を運んだ。4半世紀ぶりではあるが素晴らしい美術工芸品との再会には心が躍った。社会人の頃、台北出張の折には必ず故宮に行っていたから少なくとも20回は行っている。当時は旗を持ったガイドさんに邦人団体客が付いて回っていた。いつも団体さんの後ろでガイドさんの話を聞いていたので、展示物の解説をほぼ諳んじるまでになった。今でも雕象牙透花人物套球や翠玉白菜の謂れなどは覚えている。その昔、偶々、出張に同行した若い人に展示物の説明をして、「どうしてそんなに詳しいんですか」と驚かれたこともある。その頃はガイドさんが声を張り上げて説明していたが、今はガイドさんの説明は小声、それを団体客はイヤホンで聞いている。音声ガイドも借りられるし、やはり30年前から大分技術が進歩しているようだ。

故宮の1階は仏像や雕象牙透花人物套球などの珍玩精華、2階は陶磁器、書画、3階は翠玉白菜翡翠彫刻、玉器、青銅器が展示されている。ガイドブックには全部見て回るのに半日は要するとなっているが、ざっと見て回るだけでも2時間は見ておいたほうがいい。各階、各展示室にはベンチがあるから、展示品や通りすぎる各国の人を眺めるのも鑑賞の一部、旅の楽しみとなる。

故宮の開館時間は年中無休で日曜から木曜までが8時半から18時30分まで金曜と土曜は8時半から21時までだから、夕食後でもゆっくり回ることができる。中華民国国籍の人は16時半以降、無料となっている。日本の国立美術館も我が同胞に同じようなサービスをしてほしいものだ。

(2月末に再訪した時は武漢肺炎のせいで延長無し、17時閉館となっていました)

■撮影は自由
ひとつ何億円もの価値ある美術品ばかりであるが、写真撮影は三脚、フラッシュを使わない限り自由である。花博で撮った写真以外にブログ添付用にと、陶磁器、青銅器、玉器等の写真を撮りまくった。鑑賞よりも撮影優先。
美術館はもともと王侯、貴族、富裕階級の個人的所有物を、広く庶民にもその鑑賞の楽しみを分かち与えようという考えで設立されたものだ。芸術作品とは故宮の展示品のように誰もが讃嘆し、感動するものであるべきだ。

愛知トリエンナーレに出品された「アート」の中には昭和天皇のご真影を燃やして足で踏みつけるものがあった。いわゆる慰安婦という少女像、また特攻隊を貶める作品もあった。この「アート」に讃嘆し、感動した人はどれくらいいるのだろう。表現の自由はあるから、こんな「アート」でも自分の家で一部の人と楽しむのはいい。ただこういった作品に国費を補助し、公共施設で展示するのは如何なものか。何でも憲法を振りかざせば恐れ入るものではない。


故宮博物院の入場料は350台湾ドル、日本円で1000円くらいだが、トリエンナーレの入場料は3000円だ。その上、写真撮影厳禁、立ち止まって見ることも許されない。故宮博物院の展示品のすばらしさ、運営のおおらかさを思うと、トリエンナーレのショボさが情けなく、日本国民であることが恥ずかしくなってしまう。

 

今年もUご夫妻來タイ

 

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テニス仲間

 

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Uご夫妻とロバート

 

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ちょっと靄っているが朝のコート

 

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ジョージ夫妻、ロバート、Uご夫妻

 

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秋田から来たTさん

 

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同じく秋田から来たGさん



 

今年もUご夫妻來タイ



■乾季はテニス
乾季は日中は30度前後に気温は上昇するものの、朝晩は15度前後、テニスには絶好の気候だ。時には10度以下に下がることもあったが、スクータでコートに行けないだけで、体を動かしているうちに温まってくる。乾季のテニスは汗をあまりかかないので快適である。暑季、体中、水を被ったように汗まみれになるテニスもそれはそれで満足感に浸れるが、やはり爽快感に関しては乾季のテニスのほうが勝る。

例年、鹿児島からテニス合宿に来られるU夫妻が今年も1月にチェンライに来られたされた。ご夫妻の来られる前の11、12月は気候は申し分なのにコートに集まる人が少なくダブルスが1組できれば御の字、スイス人のロバートと寂しくラリーを1時間ほどやって帰る日もあった。
毎年のことであるがU夫妻がコートに現われると、テニス参加人数が増える。これをU効果と密かに呼んでいる。日本からの友人も2、3人やってくる。ご夫妻の乾季テニス合宿はもう7、8年続いている。Uさんの奥さまが社交的な方で、チェンライ在住のタイ人に顔が広くなった。土曜市を歩くと、あちこちのタイ人から声がかかるというからすごい。Uさんの友達は中産階級に属するタイ人が多いようだ。中産階級以上の人はあまり家で食事を作らず、レストランでの外食が一般的だ。ということはどこのイタ飯は美味しいとか、新しくできたあの店は安い、とかの情報に詳しい。

Uご夫妻はタイ人と一緒に美味しい店巡りに参加する。その模様はブログで紹介されるので、自分もブログを参考にいくつか訪ねている。我々はチェンライの邦人から結構美味しい店を知っていますね、と感心されることがあるが、それはやはり中産階級タイ語のジアップ先生に教えて貰った店が多い。最近、先生は仕事が忙しいせいで外食が少なくなった。先生情報が少なくなった分、Uさんからのチェンライグルメ情報を頼りに生活に彩りを付けている次第だ。

■邦人が半数を占める
チェンライ県営運動場にはテニスコートが9面あるが、全面使われることは県総体のようなイベントを除いてまずないと言っていい。毎朝、貸し切り状態だ。11、12月は1コート埋まればいいほうであったが、Uご夫妻が来られてからは3面、時には4面のコートが埋まった。ということは十数人集まるということだ。邦人はU夫妻関係が数名、長期滞在者が自分を含めてやはり5人位参加するから、邦人だけでダブルスができる。他にはスイス人のロバート、米国人のジョージ、アンディ、スウェーデン人のクリス、そしてあとはポム、ネン、ネット、コーソ―、タニさんなど沢山のタイ人がくる。週1、週3、ロバートのように週6回参加の人など様々であるが、概して、いい人ばかりである。昨年までオランダ人のトンとタイ人妻ニイさんが常連だったが、子供の教育のことを考えて母国へ帰ってしまった。ニイさんが別れ際に「コートで多くの日本人と出会ったが、みんないい人ばかりだった」と言っていたことを思い出す。また、テニスをしにチェンライに帰ってくるよ、と言っていたが、まだトン夫妻がコートに現われないのは寂しい。

■礼儀正しい日本人
ニイさんが日本人はいい、と言ってくれた背景には、日本人の特質である礼儀正しさがあると思う。いつもはプレー開始にあたって挨拶はしないのであるが、Uさんたちは帽子のひさしに手を当てて「お願いしまーす」という。これが外人には新鮮に映るようだ。ボールを2つサーバーに返す時は、サーバーから遠くにいる人が先に、それから近くの人がボールを渡す。ボールをラケットの先ではじいて返すようなことはしない。自分は横浜の由緒あるテニスクラブでこれをやって先輩にこっぴどく叱られたことがある。

試合が終われば健闘を称え、パートナー、対戦相手と握手する。いつもはこれを省略するファラン、タイ人もU夫妻に倣って握手を交わす。でも2月に入っては「コロナァ」と言いながら拳をぶつけ合う方法に代わった。時節柄、である。

チェンライのコートは日本のクラブ並みに上品になった。でも3月2日にUご夫妻が帰国されたから、ファラン、タイ人に身に付いたようにみえる礼儀も元通りになるだろう。自分だって試合が終わったら握手くらいしてもいいのだが、負けると握手どころか、眼も合わさずに帰ってしまうファランがいるから仕方ない。でもここ2カ月、みんなのマナーがよかったので、平均週5回ベースで楽しくコートに通うことができた。マナーにおけるU効果が定着するにはご夫妻の半年ほどの長期滞在が必要かもしれない。

 

論理の飛躍

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BKK48

 

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 AKB48 

 

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ウボンラット王女

 

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ビビアン・スー、デビュー当時

 

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若い時

 

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50を過ぎた今でもきれい



 

 

論理の飛躍

AKB48

タイに暮らして12年目、日本のテレビを殆ど見ないから、芸能関係に全く疎くなってしまった。ネットには映画俳優、テレビタレント、女性アナウンサーが結婚したり、不倫したりといった話題が飛び交っているのだが、人気の程度も顔も全く知らない人ばかりなので、ほとんど興味が湧かない。

帰国した折、映画を何本か見るので、広瀬すずちゃんのファンになった。顔と名前が一致する女優さんは彼女くらい。お笑いタレントとなると志村けん以降の人は知らない。芸能ニュースはネットで読むが、AKB48を「エーケービーよんじゅうはち」といって友人に嘲笑されたことがある。フォーティーエートと読むなんて誰も教えてくれなかった。

バンコクにはAKB48姉妹グループBNK48がある。さらにチェンマイを本拠とするCGM48(ChiangMai48)というグループも結成された。すでにフィリピン、台湾、ベトナムミャンマーなど6カ国に姉妹グループがある。姉妹グループの人気の秘密について「単に見た目がいいアイドルではなく、みんなで成長を見守ろうという文化が新しいから」という分析がある。歌やダンスが下手でも温かく見守る、そのうち新陳代謝でまた下手な子が入ってくる、再度その成長を見守る、こういった新システムのポップグループの出現は日本独自の文化から来ているのではないか。

AKB48のヒット曲、「恋するフォーチュンクッキー」初めて聞いたのはタイである。現国王の姉であるウボンラット王女がこの歌を振りつけ入りで歌っているユーチューブを見たからだ。タイ王室にまでAKB48の人気は浸透している。余談であるがウボンラット王女は昨年行われた総選挙で野党タクシン派の首相候補に担がれた。おお、歌って踊れる首相が誕生するのかと期待したのだが、国王に被選挙権を剥奪されたので残念ながらそれは実現しなかった。

台北駅頭で
昨秋、台湾を旅した折、台北駅で美少女に出会った。お母さんとおぼしき女性と一緒であったが俯き加減で憂いに満ちた表情、あっ、これはあのタレントにそっくりじゃないか、と気分が高揚した。でもそのタレントさんの名前がどうしても思い出せない。2,3日経って、ふいと彼女の名前がビビアン・スーだと気付いた。その後、ビビアン・スー似の少女に台湾各地で会えるのでは、と期待したが、全く出会うことはなかった。台湾旅行で一番嬉しかったことはビビアン・スー似の少女を見かけたこと、また一番悲しかったことはその後、ビビアン・スー似の少女に出会わなかったことといってもいい。

1990年代後半に日本テレビ系で「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」というバラエティ番組があり、これにビビアン・スーが出演していた。舌足らずの日本語で天然ボケを演じていたが、キャイ〜ン天野ひろゆきと結成した「ブラックビスケッツ」ではダンスコンテストに出場するため、仲間と特訓に挑む。あの時の彼女のひたむきな努力には感動したものだ。
助け合って、努力を重ね、少しでも上を目指す、これはAKB48にも通じる日本人に共通した行動パターンと言える。自分がファンになったのはビビアン・スーが台湾人でありながら日本文化を体現していたからかもしれない。

■日本精神
日本統治時代を知る台湾人が「日本精神(リップンチェンシン)」と名付けたものは、一言で言うと「サムライ的なもの」、即ち、規律、清潔、正義感、冒険心、義侠心など当時の日本人が持っていた精神である。彼らがそういう日本精神を誰から感じ取ったのかといえば、それは台湾の建設に多大な貢献をした一流の人材ではなくて、もっと身近にいた、台湾人のすぐ近くにいた日本人の警察官と学校の先生からだった。これは藤井厳喜林建良著の「台湾を知ると世界が見える」の中で林氏が述べていることである。

さらに林氏は言う。陶芸、工芸、剣道、茶道、ソバ打ちに至るまで、究めて究めてさらに究める、研究に研究を重ねてさらに研究するという精神、そしてそれを誇りに思っている。外国の人間から言わせるとなんだ、それしかできないのか、と。しかし、日本人は、それしかできないことが誇りである、その部分はまさに日本人的な部分であり、即ち研究者気質である。学者に限らず、一般の普通の日本人でも研究者気質を持っている、これが日本の文化のすべての礎ではないか。

AKB48のメンバーは特別の才能を持った美少女ではなく、その辺にいるような女の子ばかりだ。その子たちが仲間と支え合い、努力を重ね、成長していく。台湾統治時代の古き良き日本人の精神、文化をAKBの彼女たちが受け継ぎ、それを世界に発信している、と思うのだが、やはり論理の飛躍だろうか。

 

2月も終わり

 

 

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葉は出ないが花だけ咲く

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2月にあちこちで見かける

 

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この花もよく見かける

 

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名前は知らない

 

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マンゴーの花、全部が実になるわけではなく枝に1,2個生るのが普通

 

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やはり蘭の花のほうがきれい

2月も終わり

台北再訪
このブログをアップしているころ、自分は台北にいるだろう。様々な国際イベントが中止に追い込まれ、海外への行き来が縮小している中で、なぜ、と訝しく思われる方もおられるかもしれない。理由はそれほど複雑ではない。かねてより故宮博物院訪問を希望していた兄がようやく腰を上げたからだ。彼は勤めの関係で、長らく台湾への訪問自粛を余儀なくされていた。昨10月に行った自分の台湾旅行に触発されたか、また旅に詳しい友人のIさんが同行を同意してくれたからか、重い腰を上げることになった。一人旅も悪くはないが道連れ旅はレストランでいろいろな料理を注文できるから嬉しい。また「一人で飲む酒まずい酒」ではないが、人と歓談しながらの飲食は格別なものがある。

昨秋は美食国台湾に行きながら、うまいものにあまり縁がなかったことが悔やまれる。人間3大欲望というがもう残っているのは食欲くらい、それももうすぐ「もう食べられないヨ」などと呟く時間が迫っている。生き急いでいるのかなあ、などと自省する気もあるが、まあ気力、体力、それにいくらかの金力が残っているうちに、だ。

台北行きを決めたのは2月になってからであるが、その後もチェンマイ台北の直行便の価格は下落を続けている。往復1万2千円から3千円程である。ホテルも最初の2日だけ予約したがネットで見るたびに安くなっている。前回と比べ台北の観光スポットはどうなっているのか、そんなことにも興味が湧く。

■書き過ぎストックで混乱
週2回、ブログをアップしている。通常は書き溜めの原稿は1本か2本、木曜にアップしたら次の木曜日にアップする原稿を書く、というベースだった。ところが年末年始、ブログアップは休暇をもらったが、原稿作成はいつも通り行ったため、原稿のストックが4本になった。書き溜めがあれば安心して旅行に行ける。酒と原稿はストックは切らしたことないな、などと喜んでいたが、書いた順にアップしていくわけではなく、例えば新型肺炎のように刻々と変化する事件は3日もすれば原稿の価値が無くなるし、自転車競技応援のようなイベント報告は書いたらすぐアップしたい。予約差し替えが相次ぎ、自分でも混乱した。最近のブログに関し、なんで今頃、こんなこと言ってるの、と思われた向きもあるかと思うが、それはかなり前に書いた原稿だからです。

文豪もぼやいた「おせち原稿」(産経新聞2017年1月4日付「浪花風)から)

夏目漱石に「元日」と題した随筆がある。正月の新聞に依頼されて12月23日に原稿用紙に向かったが、餅つきもまだだし、松飾りも見かけない。「元日を御目出(おめで)たいものと極(き)めたのは、一体何処(どこ)の誰か知らないが、世間が夫(そ)れに雷同しているうちは新聞社が困る丈(だけ)である」とぼやいている。
前年は、その前の年の、年始に来た高浜虚子との謡(うたい)の失敗談を回想したが、同じ手は芸がない。それでも「書いてる事が何処となく屠蘇(とそ)の香(か)を帯びているのは、正月を迎える想像力が豊富なためではない。何でも接(つ)ぎ合わせて物にしなければならない義務を心得た文学者だからである」

自分も「おせち原稿」や「予定稿」を書くが漱石のように義務ではないし、原稿料が貰えるわけでもない。なんでこんな苦労を、と思うことがあるが、タイが好きだからタイに住んでいるように、書くことがそれほど苦ではないからだろうと思う。

■1年ビザ延長
2月に1年ビザの延長を行った。今は亡き母のビザ延長に関しては頭の毛が抜けるほどの苦労をした。そのせいか、自分のビザでも緊張する。チェンマイではビザ延長手続きの順番を取るため午前4時過ぎからバイトのタイ人が並んでいるという。書類の不備があれば翌日再出頭、1日で済めば幸せといった状態らしい。その点、チェンライの入管出張所は恵まれている。月曜の14時半頃、入管到着、待合室には数人、番号札を貰って10分後に受付、1年ビザとマルチエントリのスタンプ入りの旅券を戻してくれたのは30分後、あっけないほどのスピード処理。

これまでは朝8時半の業務開始時間に合わせて出かけていた。チェンマイでは8時半には50人以上が順番待ちの行列ができるというが、チェンライはファラン主体に数人の列。それでもビザ延長手続きには午前中一杯かかっていた。それが今回はガラガラで1時間足らずで終了。入管の諸手続きの申請は14時半以降に行くのが時間の節約になることがわかった。チェンマイ在住邦人のご苦労を思うと申し訳ないくらいである。

 

タイで国際運転免許取得

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国際運転免許

 

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体裁は日本の国際免許とおなじ

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シンハパークで開催されたバルーンフェスティバル

 

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家族連れで一杯、コンサートがあったので人出は約2万

 

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行けの周りに30個の風船が勢ぞろい

 

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ジアップ親子と友達の運転手を務めました




タイで国際運転免許取得

 

■マルチを取るなら年4回以上
1年毎にビザを更新してタイに居住している。海外へ行く場合、あらかじめ「リエントリ」という再入国許可を出入国管理事務所から得ておかないと、1年有効のビザがタイに再入国した途端に切れてしまう。そうなると1年ビザの取り直しということになって、手続きが面倒である。タイ国外に出る予定のある人は通常、1年ビザ更新時にリエントリも取得する。リエントリには1回限り有効のものと、ビザの有効期間中なら何度でもタイを出入国できるマル「マルチ」と呼ばれるものがある。1回有効のリエントリの代金は1000バーツ、マルチは3800バーツだ。従って、1年に4回以上タイ国外に出る人は、マルチを取ったほうがトクということになる。

昨年、1年ビザを更新した時にマルチのリエントリを取った。日本に帰国したのは1回だけだったが、ラオスに2回、ミャンマーに4回、それに台湾にも行ったからモトは取ったと言える。
母が亡くなったら少し海外旅行を、などと考えていたが、ラオスミャンマーは陸続きだから海外に行った、と言えるのは日本と台湾だけだ。昨年、遠出をしなかったのは5月に冠状動脈のステント手術をしたせいで、幾らか慎重になったからかもしれない。

■海外出張、海外旅行取りやめ
今年こそ、と思ったが、新型肺炎のおかげで水を差された感がある。現役で働いている日本の友人から、海外出張がいくつも中止になったと連絡があった。中国人も日本人も区別のつかない欧米の白人からアジア系観光客が嫌がらせを受けるとかの情報も飛び交っている。だからこの時期、海外旅行も下火になっているようだ。タイでもパタヤで行われるはずだった国際女子ゴルフのホンダクラシックが中止になり、そのあおりを受けたホテルの中には半額どころか8割引きもあるという。オリンピック前哨戦の国際スポーツ大会、国際展示会、コンサートなど大勢の人が集まるイベントが結構中止になっている。イベントは観光名所で開催されることが多い。半額以下のホテルに泊まるツアーなどこれからできるのではないだろうか。

実は2月下旬に台北に行く計画がある。チェンマイ台北往復で1万4千円程、ホテルも軒並み半額から7割引きになっている。ここ10年、台湾観光客数トップは中国、2015年には400万人以上、2018年でも250万以上の観光客が大陸から訪れた。でも台湾当局は2月6日に大陸からの観光客の入境を全面的に禁止した。台湾旅行を決め、宿泊手配をしたのはそれより前であったが、台北のホテル価格も総崩れだった。

こうなると台北の観光名所はどういうことになっているのかに興味が湧く。昨年10月に台湾を旅した時は駅員にニーハオと話しかけられたが、今度はコンニチハになるだろうか。

■国際免許
タイで普通自動車とバイク運転免許を取得している。バイクと車は別の免許だ。タイの免許はアセアン域内で有効である。でもアセアン外の国での運転を考慮し、2月のある日、思い立って国際免許を取りに行った。国際免許は陸運局で申請できるが申請に当たっては居住証明がいる。チェンマイの日本総領事館に行けば在留届済証明書を発行して貰えるが610バーツかかるし、往復400キロの運転も疲れる。チェンライにある出入国管理事務所の出張所に行ったら、旅券と免許証を提示しただけで、タイ語の居住証明書をくれた。わずか30分、費用は300バーツ。この証明書とそのコピー1枚、並びに旅券の写真と入国証明のページのコピー2枚、写真2葉を持って陸運局へ。国際免許を取りに来る人は少ないのか、手続きにモタモタ感はあったものの30分ほどで国際免許証が交付された。
タイ、英、仏、独、西、露、中、日、アラビア語で「運転者に関する事項」が印刷されている。体裁は十数年前日本で取得した国際免許証にそっくりだった。日本での国際免許証の取得費用は2400円だった。タイの国際免許証取得費用は505バーツだったから、居住証明書取得費用もいれれば、ちょっとタイのほうが高い。

日本の運転免許証はとっくに切れている。費用と時間、実用性を考慮すれば失効させる、が合理的結論だった。国際免許証が手に入ったので、日本はもちろん、アメリカでも欧州でも運転できることになった。
3月には一時帰国の予定がある。車の運転は全然心配していないが、日本では渡航歴の無い新型肺炎患者が続出している。日本旅行から帰ったタイ人夫婦が武漢肺炎に感染していたというニュースあったばかり。感染国に認定され、日本に行ったらタイに戻れないかも。こんな心配もあながち杞憂とは言えない。