BKK48
ウボンラット王女
ビビアン・スー、デビュー当時
若い時
50を過ぎた今でもきれい
論理の飛躍
■AKB48
タイに暮らして12年目、日本のテレビを殆ど見ないから、芸能関係に全く疎くなってしまった。ネットには映画俳優、テレビタレント、女性アナウンサーが結婚したり、不倫したりといった話題が飛び交っているのだが、人気の程度も顔も全く知らない人ばかりなので、ほとんど興味が湧かない。
帰国した折、映画を何本か見るので、広瀬すずちゃんのファンになった。顔と名前が一致する女優さんは彼女くらい。お笑いタレントとなると志村けん以降の人は知らない。芸能ニュースはネットで読むが、AKB48を「エーケービーよんじゅうはち」といって友人に嘲笑されたことがある。フォーティーエートと読むなんて誰も教えてくれなかった。
バンコクにはAKB48の姉妹グループ、BNK48がある。さらにチェンマイを本拠とするCGM48(ChiangMai48)というグループも結成された。すでにフィリピン、台湾、ベトナム、ミャンマーなど6カ国に姉妹グループがある。姉妹グループの人気の秘密について「単に見た目がいいアイドルではなく、みんなで成長を見守ろうという文化が新しいから」という分析がある。歌やダンスが下手でも温かく見守る、そのうち新陳代謝でまた下手な子が入ってくる、再度その成長を見守る、こういった新システムのポップグループの出現は日本独自の文化から来ているのではないか。
AKB48のヒット曲、「恋するフォーチュンクッキー」初めて聞いたのはタイである。現国王の姉であるウボンラット王女がこの歌を振りつけ入りで歌っているユーチューブを見たからだ。タイ王室にまでAKB48の人気は浸透している。余談であるがウボンラット王女は昨年行われた総選挙で野党タクシン派の首相候補に担がれた。おお、歌って踊れる首相が誕生するのかと期待したのだが、国王に被選挙権を剥奪されたので残念ながらそれは実現しなかった。
■台北駅頭で
昨秋、台湾を旅した折、台北駅で美少女に出会った。お母さんとおぼしき女性と一緒であったが俯き加減で憂いに満ちた表情、あっ、これはあのタレントにそっくりじゃないか、と気分が高揚した。でもそのタレントさんの名前がどうしても思い出せない。2,3日経って、ふいと彼女の名前がビビアン・スーだと気付いた。その後、ビビアン・スー似の少女に台湾各地で会えるのでは、と期待したが、全く出会うことはなかった。台湾旅行で一番嬉しかったことはビビアン・スー似の少女を見かけたこと、また一番悲しかったことはその後、ビビアン・スー似の少女に出会わなかったことといってもいい。
1990年代後半に日本テレビ系で「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」というバラエティ番組があり、これにビビアン・スーが出演していた。舌足らずの日本語で天然ボケを演じていたが、キャイ〜ンの天野ひろゆきと結成した「ブラックビスケッツ」ではダンスコンテストに出場するため、仲間と特訓に挑む。あの時の彼女のひたむきな努力には感動したものだ。
助け合って、努力を重ね、少しでも上を目指す、これはAKB48にも通じる日本人に共通した行動パターンと言える。自分がファンになったのはビビアン・スーが台湾人でありながら日本文化を体現していたからかもしれない。
■日本精神
日本統治時代を知る台湾人が「日本精神(リップンチェンシン)」と名付けたものは、一言で言うと「サムライ的なもの」、即ち、規律、清潔、正義感、冒険心、義侠心など当時の日本人が持っていた精神である。彼らがそういう日本精神を誰から感じ取ったのかといえば、それは台湾の建設に多大な貢献をした一流の人材ではなくて、もっと身近にいた、台湾人のすぐ近くにいた日本人の警察官と学校の先生からだった。これは藤井厳喜、林建良著の「台湾を知ると世界が見える」の中で林氏が述べていることである。
さらに林氏は言う。陶芸、工芸、剣道、茶道、ソバ打ちに至るまで、究めて究めてさらに究める、研究に研究を重ねてさらに研究するという精神、そしてそれを誇りに思っている。外国の人間から言わせるとなんだ、それしかできないのか、と。しかし、日本人は、それしかできないことが誇りである、その部分はまさに日本人的な部分であり、即ち研究者気質である。学者に限らず、一般の普通の日本人でも研究者気質を持っている、これが日本の文化のすべての礎ではないか。
AKB48のメンバーは特別の才能を持った美少女ではなく、その辺にいるような女の子ばかりだ。その子たちが仲間と支え合い、努力を重ね、成長していく。台湾統治時代の古き良き日本人の精神、文化をAKBの彼女たちが受け継ぎ、それを世界に発信している、と思うのだが、やはり論理の飛躍だろうか。