チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ディエンビエンフー見物

f:id:hidenaka24:20190918094534j:plain

勝利の記念像、旗を掲げるベトミン兵士

 

f:id:hidenaka24:20190918094541j:plain

勝利の記念像、かなり大きい

 

f:id:hidenaka24:20190918094548j:plain

勝利の記念像のある丘から市内を眺望、あの山から砲撃された

 

f:id:hidenaka24:20190918094555j:plain

A1の丘

 

f:id:hidenaka24:20190918094601j:plain

分解、空輸され組み立てられたフランス軍のN24戦車

 

f:id:hidenaka24:20190918094608j:plain

960キロ爆弾爆破の跡



ディエンビエンフー見物

                                      

■タクシーをチャーター

外国人はバイクでラオスからベトナムへは入国できない。アジアをツーリング旅行している人がどうしてもベトナムに入れず、バイクをハノイに空輸して、そこらツーリングを再開した、というネット記事を読んだことがある。これに反し、ベトナムの入管、税関を何事もなくバイクで通過できたというレポートもあった。要するに、タイと同じくアジアであるから、ルールがあっても係官や入管事務所によって対処が違うのだろう。

 

さて、「めざせ、ベトナムハロン湾」はラオス国境、タイチャンで挫折した。スクータをラオスに残してディエンビエンフーに行き、そこからバスでハノイに向かう、という考えも頭をかすめた。でも無理はすまい。とりあえずベトナムへの入国スタンプを押してもらい、ベトナム戦争フランス軍ベトナム人民軍(ベトミン軍)が熾烈な戦いを交わしたディエンビエンフーを見物して帰ろうと決めた。

 

ラオス国境からディエンビエンフーまでは30キロほどある。入管から100mほど離れた民家の壁にに英語でタクシーと書いてあり、物置に韓国製の小型車が止まっていた。ディエンビエンフーの街を回って、ここに戻ってくる。片道30キロ、観光名所を回るのだから50万キップ(約6千円)も高くないのではないか、と思った。タクシーには運転手の奥さんも乗ってきた。お客がいるときはついでに街に出て買い物をするのだろう。国境のタイチャンは食堂が1軒あるだけでホテルやゲストハウス、土産物店もない閑散とした場所であった。

  

第一次インドシナ戦争の激戦地

1954年3月から5月にかけてディエンビエンフーでベトミン軍10万、フランス軍2万が激突し、両軍合わせて約1万人の戦死者を出した。フランス軍はベトミン軍をタイ-ラオス国境地帯に引きつけるために空挺部隊ディエンビエンフーに降下させ、占領した。それに対してベトミン軍がフランス軍を包囲攻撃し、50日あまりの戦闘で降伏に追い込んだ。ベトナムのゲリラに負けたことはフランスにとって大きな衝撃で、国内で停戦の声が高まった。フランスはジュネーヴ会議での交渉を再開し、1954年7月、ジュネーヴ休戦協定に調印した。これでフランスはベトナム撤退を余儀なくされることになった。

 

いわゆる仏印と言われたインドシナには大日本帝国がフランスから独立させたベトナムラオスカンボジアがあったが、フランスは独立を認めず、再びインドシナを植民地にしようと大軍を送ってきた。日本人にだってできたのだ、ベトミン軍を指揮したボー・グエン・ザップにはそういった思いがあっただろう。あまり知られていないが、ベトミン軍には600名とも800名とも言われる残留日本兵が参加しており、そのうち半分がベトナム戦争で戦死したとされる。

 

ディエンビエンフーは盆地である。旧日本陸軍の山砲を分解して山の上に運び込み、砲弾を打ち下す作戦はベトミン軍参謀の半分を占めた日本兵の発案、指導によるものである。

 フランス軍は旧ナチス外人部隊アルジェリアの植民地部隊、それにベトナム人部隊との混成で、戦意は乏しかった。特にベトナム人部隊からの脱走者は多かったという。「春秋に義戦なし」というが、これほど大義のない戦争はなかったと思う。

 

■観光スポット

ベトナムの入国を済ませ、山道をディエンビエンフーへ下りていく。やがて稲田が広がる平地を10キロほど走って、街へ入る。まず向かったのは街の象徴、勝利の記念像だ。像のモデルは、フランスの司令部を陥落させた時に、屋根に上って旗を振ったベトミン兵士達とのこと。像は高い丘の上にある。運転手は一人で行って来いと言う。ステント手術直後の自分には370段の階段はきつかった。でも丘から街が一望でき、眺めは抜群。確かに盆地で山に囲まれている。10万のベトミンに囲まれたフランス軍の絶望が分かるような気がした。

 

次に、観光客が必ず訪れるという戦跡、A1の丘へ行く。ディエンビエンフーにはフランス軍の陣地だった丘がたくさんあり、それぞれに番号が付けられているが、A1の丘はフランス軍が最後まで立てこもったところとして知られている。

今は公園となっているA1の丘には、フランス軍が使用していたN24戦車がそのまま残されているほか、塹壕やトンネルなども当時のままの姿を留めている。すり鉢状の巨大な穴があった。これはベトミンが数kmものトンネルを掘り進んでフランス軍塹壕の下で960キロ爆弾を爆発させた、その跡とのこと。

 

白人を追いだした記念すべき戦跡と思うのに観光客が殆どいない。ファランも中国人も全く見かけない。肩透かしにあったような気がした。

 

 

 

 

国際ニュースから

f:id:hidenaka24:20190915122338j:plain

ナーンのワットプーミン

 

f:id:hidenaka24:20190915122411j:plain

女性に言い寄る男、彼が壁画を書いた絵師といわれています。

 

f:id:hidenaka24:20190915122419j:plain

堂内の壁画ですが、保存作業が行われない為、行く度に色が薄くなっていく気がします。

 

f:id:hidenaka24:20190915122604j:plain

 

f:id:hidenaka24:20190915122612j:plain

 

f:id:hidenaka24:20190915122620j:plain

ナーン国立博物館所蔵の仏像、現代の釈迦像に比べ個性があります。



国際ニュースから

                                      

■書く気も起らず

我がブログも、友人のサポートによりカウンターが付いたし、デザインも一新した。ブログばかりでなく何事につけ、人のご好意におすがりするという昔からのクセが抜けない。感謝と反省の日々も変わらない。新しいブログサービスでは過去ブログの参照が楽になった。10年以上前に書いたウズベク時代の記事もすぐ読める。50歳半ばを過ぎて初めて経験する教職、それもベンチャー論という妖し気な科目を講義していた。あの当時の記事を読むと、日々悩みながらもそれなりに頑張っていた自分をけなげだったなあと懐かしく思ったりする。

 

過去を懐かしんで、異国の片田舎に侘び住まいする身であるが、日本からのニュースに心乱されることがある。天皇陛下を貶めたり、国際法を踏みにじって平然としているばかりか、責任を日本に押し付ける国はその一つだ。あの国のことをあまり書かないですね、といわれた。確かに7月から9月にかけて1本(「嫌韓」から「嗤韓」へ、9月9日)しか書いていない。

 

はてなブログでは「韓国」というワードでブログを検索すると、自分が文中に「韓国」と書いたブログが次々に現れる。何本あるかわからないが100本はあるのではないか。令和の7月になって日本が韓国に対し、初めて普通の国としての態度を明確にした。その後の常軌を逸した反応については嫌というほど報じられている。識者の反論はほぼ同じだし、もう出尽くした感がある。自分も呆れ果てているのでもう書きたくない。

 

繰り返し書いているが、あの国は強きに靡く国だ。だから日本が経済ばかりでなく、憲法を改正し、防衛力を備えた「普通の国」になれば、手のひらを返したように日本に擦り寄ってくる。竹島返還はもちろんのこと、また併合して下さい、と言いだしかねない。その時は「過ちは繰り返しませぬ」とはっきり断ってもらいたい。

 

■国際合意は破られる

「一度の合意で過去を終わらせることはできない」という文大統領の発言に対し、安倍首相は「日韓請求権協定に違反する行為を韓国が一方的に行い、国交正常化の基盤となった国際条約を破っている」と述べている。話は平行線だから「静かなる無視」は長く続くだろう。

 

歴史を振り返ってみると、国際条約が守られた試しはないとは言わないが、力の前では無力の例は多い。ソ連は日ソ不可侵条約を破って満州になだれ込んできたし、中国は英国と約束した50年間の一国二制度を有名無実化しようとしている。香港の憲法にあたる基本法には、中国本土では制約されている言論・報道・出版の自由、集会やデモの自由、信仰の自由などが明記されている。これが守られているという人はよほどの親中派だ。

 

香港のデモは、香港政府が「逃亡犯条例」改正案を撤回したあとも沈静化の兆しはない。香港が中国化すれば香港人の人権は無くなる。日本は聖徳太子の17条の憲法や5箇条のご誓文に見られるように、自由とか民主主義は歴史的に所与のものであった。民主主義を踏みにじる、とか人権弾圧を叫ぶ一部野党の人はいるが、世界には政府に反論しただけで牢屋につながれる国は少なくない。そういった国で自由と民主主義を取り戻す運動は、まさに命がけだ。香港では命をかけてデモをしている。自由と民主主義が当たり前の日本は、そういった香港の切実さをわかっていないのではないか。国会で香港のデモ支持の決議をした、とは聞いていないし、マスコミの報道もデモに対してに冷淡なように思える。中国への忖度だろうか。

 

■日本自治区

韓国がデフォルトに陥ろうと北鮮と結ぼうと、ドルや円、更には世界経済に大きな影響はないだろうし、日本が滅びるわけではない。しかし、香港の問題は、香港が落ちれば、次は台湾、台湾の後は尖閣、沖縄と中国は手を延ばしてくる。沖縄を手にした中国は日本を「解放」しにやってくる。日本自治区ではチベットやウィグルと同じように、日本語が禁止され、中国語が公用語となる。女性は漢人との結婚を強制され、男性は収容所送り、或いは徴兵されて、反中紛争の前線に送られる。まさに亡国である。

 

そうならない為には、強いところ(アメリカ)と結ぶとともに、自国で自国を守る防衛力を持つことが必須である。価値観を共有する台湾との軍事同盟締結も当然、視野に入れなければならない。「国際的合意、条約は力の背景がないと実効性を持たない」は歴史が示すとおりだ。憲法改正、防衛力増強で力を信奉する国々、中国、ロシア、半島との課題解決も容易になると思うのだが間違っているだろうか。

心長閑な侘び住まいを享受するにはまだ時間がかかりそうだ。

 

ベト・ラオ国境を目指す

f:id:hidenaka24:20190911194228j:plain

ムアンクアの船着き場

 

f:id:hidenaka24:20190911194317j:plain

2号線の橋から吊り橋を遠望

 

f:id:hidenaka24:20190915153357j:plain



吊り橋望遠

 

f:id:hidenaka24:20190911194634j:plain

ムアンクワの通り、黄色の看板はGH

 

f:id:hidenaka24:20190911194647j:plain

ラオス国境の入管とオートバイ

 

f:id:hidenaka24:20190911194900j:plain

すまけいさん

 

ベト・ラオ国境を目指す

                                      

■ムアンクア

ラオス北部の町、ムアンクアはベトナムとの国境まで約60キロの地点にある。ここまで来ればベトナムは指呼の距離だ。4時過ぎに着き、GHに荷物を置いて、町を散策する。ナムウー川のほとりに佇む田舎町であるが、数軒のホテル、GH、更には銀行もある。国道2号線を国境に向かって左に折れて大通りを歩いていくと、下り坂になってその先は船着き場だった。以前は、ここからナムウー川を下って、メコン河に面したルアンプラバンまで行けたらしい。今はダムができたため、舟で直接は行けないが、途中のノンキャウまで数時間の舟旅をして、そこからバスに乗ること数時間でルアンプラバンまで行ける。このルートは今も健在で、体力と時間に余裕のあるバックパッカーには人気があるようだ。

 

チェンライからバスでラオスのフエサイへ、そこからスローボートに乗って1泊2日でルアンプラバン着、ここからバスでノンキャウに出て、舟に乗り換え、ムアンクアに向かう。舟とバス利用の場合、ムアンクア-ルアンプラバンの運賃は、日本円にして2千円くらいだ。川岸の風景を楽しみながらの旅であるし、それほど高いとは言えない。またムアンクアからディエンビエンフー行きのバス(運賃は約700円)が出ているから、タイから舟とバスでベトナムに行くことができる。ディエンビエンフーからハノイへ行くバスは1時間に1本はあるらしい。

 

船着き場から町の中心部へ至る道路沿いにはGHや食堂が並んでいる。GHを覗いてみると、宿泊費がキップとバーツで表示されており、1泊10万キップまたは500バーツとなっていた。最近はバーツ高になっており、自分が行った7月の交換レートは10万キップは350バーツほどだった。宿賃を設定した時より、キップは3割ほど減価したことになる。

 

■街を歩きながら

役場とおぼしき建物の角に爆弾ケースを利用した鐘がぶら下がっていた。これに類する鐘はラオス各地で見ることができる。ラオスにはホーチミンルートが走っていたし、共産勢力のパテトラオが勢力を伸ばしていた。このためラオスは1964年から1973年の間、米軍から58万回に及ぶ空爆を受けたという。ラオス国内に落とされた爆弾の量は200万トン、当時のラオスの人口は約200万人というから一人当たり1トンの爆弾が落とされたことになる。ベトナム空爆目標が見つからなかった米軍の空爆機は爆弾を積んだままでは着陸できない、そこで帰路にあたるラオスに爆弾を投棄したという。ラオスには2億7千万発のクラスター爆弾が落とされたが、3割の8千万発が不発弾として、今も地中に埋もれている。戦後処理された不発弾は全体の1%くらいとのこと。農民が不発弾を掘りだして、生活用具に加工したり、やアクセサリーなどの土産物を作って観光客に売る「爆弾残骸ビジネス」が存在する。危険と隣り合わせのビジネスであることは確かだ。

 

■入国できず

翌朝は川のほとりのレストランでフランスパンの卵サンドと珈琲の朝食、これで日本円で200円ちょっとは安い。ゆっくり食事をしてGHに戻る。どこに行くの?これからベトナムへ。ディエンビエンフー行きのバスは7時に出ちゃったよ。スクータで行くから大丈夫。GHの主人とこんな会話を交わしてムアンクンを後にする。国境に続く国道2号線は今でこそ舗装されているが10年前は泥だらけのでこぼこ道で、バスは橋が架かっていない川をジャブジャブと横切る、だから普通の車では走れなかったそうだ。このあたりは一帯一路とは無縁の場所であるから道路も傷んでいない。

荷台に茶箱を3つ積み上げたようなバイクとすれ違う。ベトナムから物資をラオスに運び込んでいるのだろうが、急カーブの山道、事故のないことを祈る。

 

10時前に国境のタイチャン、ラオス出入国管理事務所へ着いた。バイクの税関許可、旅券等必要書類を窓口に出す。ちょび髭、丸刈りの愛想のいい係官が「あ、バイクではベトナムに行けないよ」、「ええっ、ほら、バイクの連中が出入りしてるじゃない」、「あれはタイやラオス人のバイク、外人はダメなの」。ご存知の方は少ないと思うがこの係官は、亡くなった名脇役、すまけいにそっくりだった。

 

さて、どうするか、このまま引き返すか。すまけいが言った。「ディエンビエンフーに行くなら、次のバスは14時、入管の横のタクシーで行くなら片道20-30万キップかかるけど」。入管の駐車場でフォルツァを預かって貰えるとのこと。バスでハノイを目指すか。でもディエンビエンフーまで行けばNさんとの約束は果たせる。タクシーで半日のみのディエンビエンフー観光をして、またラオスに戻ることに決めた。

 

 

 

 

 

「嫌韓」から「嗤韓」へ

f:id:hidenaka24:20190909085001p:plain

f:id:hidenaka24:20190909085100j:plain

f:id:hidenaka24:20190909085115j:plain

 

 

f:id:hidenaka24:20190909085132j:plain

f:id:hidenaka24:20190909085139j:plain

f:id:hidenaka24:20190909085146j:plain

 

 

嫌韓」から「嗤韓」へ

■共に地獄党
先日、ユーチューブを見ていたら経済評論家の渡邉哲也さんがこう言っていた。「韓国のお陰で、講演依頼が引きも切らず、うれしい悲鳴を上げております」。彼の場合、講演料は1回100万円クラスだから、喜ぶのはムリもない。7月4日に日本政府はフッ化水素を含む3品目の韓国向けの輸出管理を強化した。輸出制限でも輸出禁止でもなく、しかるべく書類を提出すれば日本から輸入することはできる。現に、半導体洗浄に使う化学物質「フッ化水素」や半導体基板に塗る感光材の「レジスト」の輸出許可は先月中に下りている。決して「経済制裁」ではないのだが、韓国は常識では考えられない感情的な反応を見せた。2国間の経済問題であるのに、WTOASEANAPECなどの国際会議で日本を非難して回っている。APECでは議長国のチリから「韓国の発言は残念だ」とたしなめられているくらいだ。

日本と戦争してみたら、いつの間にか金づるの植民地が無くなって貧乏になっちゃった、という屈辱を味わった欧米では、「苛められて可哀そうな韓国、歴史を忘れ、謝罪に応じない日本」の韓国プロパガンダを鵜呑みにするメディアもあった。

でも8月22日、韓国政府が日韓防衛当局間で軍事機密のやりとりを可能にするGSOMIA(軍事情報包括保護協定)を継続せずに破棄するとの発表には、さすがの欧米も驚き、呆れた。

韓国の暴走ぶりを一番喜んでいるのは、渡邉哲也さんよりも安倍首相ではないか。文在寅大統領が何か発言する度に、安倍首相の支持率が上がる。首相は「国家間の約束を守ることが第一だ」と至極真っ当なことを言い続けてきたが、あまり浸透していなかったようにみえる。

しかし、GSOMIAの韓国による一方的破棄は世界の常識を越えるものであって、やはり、日本政府の言っていることが正しい、という認識が世界に広まることになった。文大統領はトランプ大統領金正恩委員長はもとより、世界から信用を失っている。百田尚樹さんのように、このまま文さんに頑張ってもらって、あの半島を北鮮共々、地獄に落としてもらいたい、という人がいる。確かに、このままで行くと半島の地獄もあながち冗談では済まないように思う。

 

■隣国との付き合い方
週刊誌、月刊誌、また単行本も嫌韓ものはよく売れるているらしい。元々ネットは「嫌韓」であったが、その後は「呆韓」に続き、「拒韓」へ。今は「哀韓」(韓国を哀れむこと)、「嗤韓(しかん)」(韓国を嗤う)状態になったのでは、と言われている。

筑波大学院の古田博司教授が提唱した非韓3原則、「助けず、教えず、関わらず」をご紹介したことがあるが、最近、麻生財務相がこの3原則に言及しておられた。2008年12月、リーマン・ショックにより韓国通貨危機が浮上したため、日韓通貨スワップ協定で引出限度額を30億ドル相当から200億ドル相当に増額してやった。麻生内閣の時である。しかしその後、自公政権は下野、もう麻生さんの返り咲きはないとみた韓国は手のひら返しで麻生さんに接した。麻生さんの発言には実体験の裏打ちがある。強きに靡き、弱きを侮る、韓国のお家芸だが、麻生さんが財務相、副総理として復活するとは考えていなかったようだ。

20年も前なら、政治家が非韓3原則を口にしたら、非難轟々、政治生命を絶たれてしまったであろう。でも今回の麻生さんの発言はすんなり認められて、朝日新聞ですら文句を言わなかったようだ。韓国は日本のマスコミに裏切られたと感じているに違いない。潮目は変わったのだ。

 

■なぜかこの時期に外遊
国内外で問題を抱えている文大統領であるが、9月1日から3日までタイを、3-5日はミャンマー、5日はラオスを訪問した。文大統領は2日にタイのプラユット首相と会談。その後、両国間の軍事情報包括保護協定の調印に立ち会った。日本とは破棄したが、タイとは新たにGSOMIAに調印、タイも韓国も偵察衛星を持たない国だが、どれだけ両国の安全保障に益するのかよくわからない。

ラオスでは昨年7月に南部で韓国のSK建設が建設中のダムが決壊し、死者、行方不明者数百名、下流カンボジアでも避難者2万5千人の大惨事を引き起こした。ラオス政府はスタンフォード大学の調査を元に「人災」と結論付けたが、SK建設は猛反発している。決壊事故の補償の話は今回のラオス訪問で出たのだろうか。

文大統領はタイに経済人100名を同行させ、経済支援、投資を約束した。韓国はタイ投資国としては7、8番目である。韓国人はタイ人を見下す傾向があり、タイ人の顰蹙を買っている。関係強化はいいが、タイ人に「韓国は要らない」と言われないように頑張ってほしい。

 

ラオスの道は疲れる

 

 

f:id:hidenaka24:20190904163234j:plain

高速鉄道予定図

 

f:id:hidenaka24:20190904163329j:plain

ボーデンのトンネル工事、単線なのでトンネルの径は小さい

 

f:id:hidenaka24:20190904163447j:plain

単線でこんな列車が走るのか?

 

f:id:hidenaka24:20190904163536j:plain

軒下で雨宿り

 

f:id:hidenaka24:20190904163605j:plain

フォルツァを触りまくったおじいさん

 

f:id:hidenaka24:20190904163648j:plain

国道2号線





ラオスの道は疲れる

■小国ラオス
ラオスは日本には余り馴染みのない国だろう。正式な国名は「ラオス人民民主共和国」、人民、或いは民主を正式な国名に入れている国は、中国、北朝鮮ソマリアコンゴなど民主的でもなく、人民をそれほど大事にしていない国が多い。ラオスは1975年に王制を廃止して社会主義国となった。王様と王子様は教育キャンプに送られ、その後、行方不明となった。ラオスでは王様について語ることはタブーとされている。

ラオスの国土面積は日本の約6割とそれほど広くはない。でも人口は7百万人だから人口密度は26人/㎢と日本の337人/㎢と比べ、ゆったりした国と言える。ラオスは、中国14億、ベトナム96百万、タイ69百万、ミャンマー53百万、カンボジア16百万の人口を持つ5つの大国に囲まれた内陸国である。内陸国であるから工業発展のためには道路網の完備が必須条件であるが、国道でさえ片側1車線で、舗装も完全とは言えない。そのショボい道路を一帯一路の鉄道工事、道路工事、ダム工事のための大型トラックが通るため、道路が傷んでいて、バイクだとせいぜい20キロ程度のスピードしか出せない。これでは物流がスムーズにいかない。インフラがないから発展しないのか、発展しないからインフラが整備されないのか。高速鉄道、高速道路を作って差し上げましょう、という中国の提案を受け入れたのも国の発展を願ってのことだったのかもしれない。

ラオス国境のボーデンでは1680ヘクタールの土地が中国の90年租借地となっている。ビエンチャンのマンションは人民元建てで販売されている。あちこちで中国語の「この土地売ります」の看板を見たし、もうラオスは中国の自治区といっても過言ではない。

■どこまでも山道
ラオスは国土の70%が森林、山岳地帯だという。山もタイと違って2000mを越える山脈が聳えている。トンネルはないから急カーブの山道を登ったり、下りたりの繰り返しとなる。中国は高速鉄道建設のために75のトンネルを掘り、200近い橋をかけるという。完成予想図には日本の新幹線にそっくりの車両が描かれているが、実際の速度は貨物で時速120キロ、客車で160キロほどだ。本来、2011年着工、2014年完成の予定であったが、中国鉄道部の汚職事件のため、無期延期となり、新たに2013年着工、2017年完成を目指すとしていた。でも完成時期はずるずると遅れ、今は2021年完成と言われているが、現在の一時中断状況ではそれも難しい。

ツーリング体験者としては鉄道より、道路を何とかしてくれよ、と言いたくなる。工事でボロボロになった国道の補修もままならない。昔の日本と同じく、陥没個所に砂利を敷いて、その上に融けたアスファルトをかけて補修した個所があった。その上を走るとピチピチとアスファルトが撥ねてスクータが汚くなる。

ルアンナムターからラオスベトナム国境のタイチャンまで距離は近いのだが直線で結ぶ道路がない。地図上ではジグザグにナテウイに登り、ウドンムサイに下りて、そこからパックナムノイに上がって、そのまま2E国道を東に走る。直線距離の2倍は走るのではないか。

■ウドンムサイから国境へ
ウドンムサイはラオスの要衝、東西南北の国道が集結している。南へ下ればルアンプラバン、ビエンチャンへ、北に上がればディエンビエンフーに行ける。ウドンムサイで昼食を摂ったあと、何人ものラオス人に道を聞く。2Eの国道沿線の街の名前を書いた紙を見せる。ラオスで道を聞く場合、女性はパス、遠出したことがない人が多いし、山岳の人なら言葉が通じない。ラオスにはラオス語を話せない人がまだ多くいる。ソンテウやミニバスの運転手、2、3人のいうことが一致すれば、間違いはない。

今回のツーリングでは道路際に立つコンクリート製の標識を見ることを学んだ。数キロおきに立っているこの石柱には道路名、地名とキロ数が書いてある。例えば、2E、ムアン・ラ、75㎞と書いてあれば道路も行き先も間違いないことがわかり、元気が出る。ナムウー川を右に見ながら切り通しの道を登る。途中でスコールにあった。慌てて、道路沿いの家の軒先にスクータ停めて雨宿り。土砂降りの中を子供やおじいさんが我がフォルツァの周りに集まってくる。おじいさんは珍しいのか、泥水で濡れた手でペタペタとスクータを叩く。白いフォルツァはたちまち泥だらけだらけになった。

30分足らずで雨が上がり、みんなに別れを告げて国境を目指す。16時も過ぎて到着した川沿いの街、ムアンクワで泊まることにした。この日の走行距離、234キロ。

新ブログサービス、新カメラ

 


f:id:hidenaka24:20190901170031j:plain

ニコンCOOLPIX P900 https://www.youtube.com/watch?v=kqVlKf-2jq8

 

f:id:hidenaka24:20190901170226j:plain

 自分で撮った満月

 

f:id:hidenaka24:20190901170547j:plain

こんなに遠くからでも・・・・

 

f:id:hidenaka24:20190901170656j:plain

望遠だとこれくらいには写ります。

 

f:id:hidenaka24:20190901170848j:plain

これも望遠で

 

f:id:hidenaka24:20190901171051j:plain許可を得てないから盗撮になるかも

 

新ブログサービス、新カメラ

■Hatenaブログへ移行
2006年4月にYahoo!ブログでブログを開設した。以来10年以上、Yahoo!ブログにお世話になってきたが、Yahooの都合で本年の8月末日でブログサービスが停止され、ブログの編集・投稿ができなくなった。Yahooからはサービス停止、ブログの引っ越し方法等の連絡を受けていた。

介護ロングステイも終わったことだし、これを機会にブログをやめようかとも考えた。でも日本にいる娘が週2回ブログのアップがあるから生きていることがわかる、だから続けてほしいと言う。時折、「まだ生きているよ」とメールかラインで連絡すればいいようなものだが、娘としては父親のボケ具合を確かめたい気持ちもあるのだろう。
ただ、問題はYahoo!ブログから他のブログへの移行手続きだ。ブログの開設、維持管理に当たっては友人のMさんにお世話になっており、自分で投稿編集できるようになったのはタイに住んでからのことである。

ブログとは別にyahoo!メールで近しい人に冗長な文を配信させて頂いていた。でもこれもサービス停止になったので、Mさんのご好意におすがりして、新しくGooglegroopのメール配信に移行した。次はブログの移行であるが、なかなかやる気が起こらず、サービス停止直前の8月にやっと作業開始、ウズベク時代から1300本以上書いているから移行作業に時間がかかり、寝る時間になってもPC画面上ではまだ作業中となっていた。スイッチを切ったら作業が中断するかも、と心配するほど技術に疎い自分であるが、移行Q&Aに大丈夫とあったので電源を落として寝た。朝、PCを起動させてみると移行作業終了のサインが。ここ何カ月かの懸案が解決し、目覚めは一層、爽やかなものとなった。

■デジカメも変えた
友人から、メール配信も移行ブログも順調、文字や写真が大きくなって読みやすいとの連絡があった。まだ慣れないが、写真のすぐ下にキャプションを付けたり、と自分も新しいことに挑戦している。また、移行して判ったのだが8月末で1313本のブログを書いている。友人の言ではないが「チリも積もれば山となる」か。添付写真が少し鮮明になったが、これはオリンパスE-PL3からニコンのクールピックスP900にデジカメを換えたせいである。E-PL3も悪くはなかったが4月の猛暑の際、画面が真っ暗になることがあった。ニコンのP900は超望遠83倍、有効画素数1605万、2015年3月の発売時には神カメラと称されたほどの人気機種だった。まだ売れ続けているが大分価格が安くなったのでネットで購入した。7月のラオス旅行、8月のドラゴンボートレースにも持参した。

友人からは「盗撮カメラ」と揶揄されたが、望遠83倍の威力は凄い。バザールの売り子の自然な表情も捉えられるし、レースでは豆粒みたいなパドラーの顔もはっきり写る。このカメラを買った人が必ずやって、すぐ飽きるという満月の撮影にも挑戦した。確かにクレータまではっきり写る。その性能のまだ一部しか使っていないが、これから勉強して、自分なりに満足の行く写真を撮りたいものだと思う。

■新カメラの威力
ニコンのP900の本体重量は約900gだからデジカメとしては大型だ。でも先日のドラゴンボートレース観戦ではこの大きさが威力を発揮した。レース会場の選手の控えテントエリアに入るには首から下げるIDカードが必須である。確かにエリアは塀がめぐらされ、入り口には屈強な警備員が立って、荷物のX線チェックとIDカードのチェックを行っていた。これでは入れない。そこで、選手出口を通ると何も言われずにテントエリアに入ることができた。胸から下げたカメラを見て報道関係と思われたのだろう。更に、表彰会場に迂回するとそこからも問題なくテントエリアに入れることがわかった。

要するにここはタイだから、決まりはあっても実際は何とでもなる。タイに10年もいるとこういった非遵法感覚が身についてしまう。日本人から見れば、単に非常識な人、ということになる。3日目は観覧席のチケットを買ったが、ゴール地点の大会役員テントの椅子が空いていたので、ここに陣取ってレースの写真を撮った。カメラのお陰で特に注意を受けることはなかった。

日本選手控えテントには3日続けて挨拶に行ったが、どうも皆さん、よそよそしい。実はIDカード無しの人と一緒にいると、最悪、失格になる、と後で聞いた。

タイだから、あっ、知らなかった、ごめんなさい、すぐ出ます、でマイペンライだっただろう。でも告げ口外交で有名な韓国からのチームも来ていたし、自分のせいで不名誉な仕儀になる惧れはあった。何事もなく本当に良かったと思う。

 

ボートレース観戦

 

f:id:hidenaka24:20190828153204j:plain

イランチーム、カナダ人と記念撮影

 

f:id:hidenaka24:20190828153236j:plain

やはりガタイが違う

 

f:id:hidenaka24:20190828153257j:plain

ウクライナからも

 

f:id:hidenaka24:20190828153328j:plain

日本シニアチームの雄姿

 

f:id:hidenaka24:20190828153333j:plain

上から2番目、青シャツが力漕する日本シニア

 

f:id:hidenaka24:20190828153340j:plain

会場の空には龍に似た雲が。

 

ボートレース観戦

ドラゴンボート
第14回世界ドラゴンボート選手権大会が8月20日から25日の日程でバンコク近郊のリゾート地、パタヤで開催された。世界から30-40カ国、2000人を越えるアスリートが参集、日本からも80名以上の選手団がやってきた。ドラゴンボートとは1名のドラマー、10名~20名の漕ぎ手、1名の舵取りで行うボート競技で中国が発祥と言われている。

世界選手権に出場するためには国内で行われる主要な競技会を勝ち上がる必要がある。20数年前になるが、自分も東京龍舟という元香港駐在員が中心になって結成したチームに所属していた。日本でドラゴンボートが普及し始めたころで、我がチームは向かうところ敵なしであった。しかし競技の普及と共に常勝というわけにはいかなくなったが、自前の艇庫を持つ東京龍舟は土日の練習の甲斐あって、今も日本のトップクラスの実力を維持している。

実は2008年、大阪で開催された天神祭奉納日本国際ドラゴンボート選手権大会、シニアの部で優勝した東京龍舟チームの舵手は自分だった。2009年にプラハで開催された世界選手権に日本代表として出場する権利があったが、2009年の1月にタイに移り住んだため、参加を断念した。あの時一緒に漕いだ仲間もパタヤにやってくるという。チェンライから1000キロ離れているが、地元開催である。これは応援に行かなくては。

■ガタイが違う
7月にラオス方面2800キロの過酷なツーリングから戻ったばかりで、フォルツァで行くのもなあ、と思った。でもパタヤではホテルとレース会場は離れているだろうし、パタヤの交通事情を考えれば小回りの利くスクータでいくしかない。20日の早朝、チェンライを出発。ラオスの悪路に比べればタイの国道は片側2車線が普通、100キロ以上で飛ばしても全く問題はない。シンブリまで1日で660キロを走破した。新記録だ。

レースを観戦したのは22,23,24日の3日間である。ドラゴンボートレースでは米国、豪州、カナダ、それにタイ、中国、インドネシアが強い。各国選手団のテント村を回るとブルートみたいなキン肉マン、ウーマンばかりだ。国際試合であるからドーピングテストが行われるが、セックスチェックも必要ではないか。女子でも腕周りが20㎝以上はザラだ。日本女子は華奢で幼稚園児の感じだった。

昔、ウィーンでのシンポでカナダの大学教授から「お前の趣味は何だ?」と聞かれた。「ドラゴンボート」、と胸を張って答えたら、それにしちゃ腕が細いじゃないか、と二の腕をグリグリされた。アスリートとしてはもう役に立たないから舵をやってんだよ、と答えたが、ドラゴンボートイコールムキムキのイメージが普通らしい。

■レース並びに日本の実力
距離は2000m,1000m,500m,200m、また混合の部、女子の部、シニアの部、ジュニアの部など様々な競技カテゴリーがあるから、老若男女、誰でも自分にあったレースに参加できる。日本チームも東京龍舟ばかりでなく、各カテゴリーに参加するため、国内有力チームの混成団となっていた。イランからの女性選手団は真っ白な頭巾姿ですこぶるチャーミング、各国選手から一緒の写真撮影をせがまれていた。参加国は欧米とアジア各国が中心で黒人チームはいないようだった。

さすが、世界選手権、各国のパワーには目を見張るものがあった。我が日本は5艇レースであれば4位、6艇レースなら5位がいいところ。世界のレベルの高さを痛感した。東京龍舟は土日の練習だけだが、欧米の強国は毎日、それも朝練をして夕方もやる。練習環境も恵まれているのだろう。タイではどこでもボートレースをやっているから競技人口のすそ野は日本と比べようがないほど広い。

来年の東京五輪の種目にドラゴンボートは入っていない。もし日本がメダルを取る実力があったなら、正式種目になった可能性はある。強くないから助成がない、助成がないから強い選手を育成できない。バスケ、ラグビー陸上競技、スキー、スケートにしろ、日本は弱かった。でも日本なりの工夫と努力で世界のレベルに伍していく力をつけた。

ドラゴンボートはただ腕っぷしだけではない。漕ぐピッチを上げればスピードが出るというものでもない。どうやって漕ぎ手全員の力を合わせるか、パドル捌きによっても艇のスピードは変わる。もちろん、基礎体力はどんな競技でも大切だが、その先のブレイクスルーは日本らしさを兼ね備えた工夫に頼るしかない。今は入賞圏外だが、いつか日本のドラゴンボートが世界のトップレベルに追いつくことを信じてやまない。

25日の朝、パタヤを出立し、北部のプレーまで686キロを走破した。1日の走行距離としては新記録を樹立。