チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ベト・ラオ国境を目指す

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ムアンクアの船着き場

 

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2号線の橋から吊り橋を遠望

 

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吊り橋望遠

 

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ムアンクワの通り、黄色の看板はGH

 

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ラオス国境の入管とオートバイ

 

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すまけいさん

 

ベト・ラオ国境を目指す

                                      

■ムアンクア

ラオス北部の町、ムアンクアはベトナムとの国境まで約60キロの地点にある。ここまで来ればベトナムは指呼の距離だ。4時過ぎに着き、GHに荷物を置いて、町を散策する。ナムウー川のほとりに佇む田舎町であるが、数軒のホテル、GH、更には銀行もある。国道2号線を国境に向かって左に折れて大通りを歩いていくと、下り坂になってその先は船着き場だった。以前は、ここからナムウー川を下って、メコン河に面したルアンプラバンまで行けたらしい。今はダムができたため、舟で直接は行けないが、途中のノンキャウまで数時間の舟旅をして、そこからバスに乗ること数時間でルアンプラバンまで行ける。このルートは今も健在で、体力と時間に余裕のあるバックパッカーには人気があるようだ。

 

チェンライからバスでラオスのフエサイへ、そこからスローボートに乗って1泊2日でルアンプラバン着、ここからバスでノンキャウに出て、舟に乗り換え、ムアンクアに向かう。舟とバス利用の場合、ムアンクア-ルアンプラバンの運賃は、日本円にして2千円くらいだ。川岸の風景を楽しみながらの旅であるし、それほど高いとは言えない。またムアンクアからディエンビエンフー行きのバス(運賃は約700円)が出ているから、タイから舟とバスでベトナムに行くことができる。ディエンビエンフーからハノイへ行くバスは1時間に1本はあるらしい。

 

船着き場から町の中心部へ至る道路沿いにはGHや食堂が並んでいる。GHを覗いてみると、宿泊費がキップとバーツで表示されており、1泊10万キップまたは500バーツとなっていた。最近はバーツ高になっており、自分が行った7月の交換レートは10万キップは350バーツほどだった。宿賃を設定した時より、キップは3割ほど減価したことになる。

 

■街を歩きながら

役場とおぼしき建物の角に爆弾ケースを利用した鐘がぶら下がっていた。これに類する鐘はラオス各地で見ることができる。ラオスにはホーチミンルートが走っていたし、共産勢力のパテトラオが勢力を伸ばしていた。このためラオスは1964年から1973年の間、米軍から58万回に及ぶ空爆を受けたという。ラオス国内に落とされた爆弾の量は200万トン、当時のラオスの人口は約200万人というから一人当たり1トンの爆弾が落とされたことになる。ベトナム空爆目標が見つからなかった米軍の空爆機は爆弾を積んだままでは着陸できない、そこで帰路にあたるラオスに爆弾を投棄したという。ラオスには2億7千万発のクラスター爆弾が落とされたが、3割の8千万発が不発弾として、今も地中に埋もれている。戦後処理された不発弾は全体の1%くらいとのこと。農民が不発弾を掘りだして、生活用具に加工したり、やアクセサリーなどの土産物を作って観光客に売る「爆弾残骸ビジネス」が存在する。危険と隣り合わせのビジネスであることは確かだ。

 

■入国できず

翌朝は川のほとりのレストランでフランスパンの卵サンドと珈琲の朝食、これで日本円で200円ちょっとは安い。ゆっくり食事をしてGHに戻る。どこに行くの?これからベトナムへ。ディエンビエンフー行きのバスは7時に出ちゃったよ。スクータで行くから大丈夫。GHの主人とこんな会話を交わしてムアンクンを後にする。国境に続く国道2号線は今でこそ舗装されているが10年前は泥だらけのでこぼこ道で、バスは橋が架かっていない川をジャブジャブと横切る、だから普通の車では走れなかったそうだ。このあたりは一帯一路とは無縁の場所であるから道路も傷んでいない。

荷台に茶箱を3つ積み上げたようなバイクとすれ違う。ベトナムから物資をラオスに運び込んでいるのだろうが、急カーブの山道、事故のないことを祈る。

 

10時前に国境のタイチャン、ラオス出入国管理事務所へ着いた。バイクの税関許可、旅券等必要書類を窓口に出す。ちょび髭、丸刈りの愛想のいい係官が「あ、バイクではベトナムに行けないよ」、「ええっ、ほら、バイクの連中が出入りしてるじゃない」、「あれはタイやラオス人のバイク、外人はダメなの」。ご存知の方は少ないと思うがこの係官は、亡くなった名脇役、すまけいにそっくりだった。

 

さて、どうするか、このまま引き返すか。すまけいが言った。「ディエンビエンフーに行くなら、次のバスは14時、入管の横のタクシーで行くなら片道20-30万キップかかるけど」。入管の駐車場でフォルツァを預かって貰えるとのこと。バスでハノイを目指すか。でもディエンビエンフーまで行けばNさんとの約束は果たせる。タクシーで半日のみのディエンビエンフー観光をして、またラオスに戻ることに決めた。