チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ムアンクアからルアンプラバンへ

f:id:hidenaka24:20191002150948j:plain

戦勝博物館

 

f:id:hidenaka24:20191002151119j:plain

使用した爆弾

 

f:id:hidenaka24:20191002151150j:plain

オーディオルームでドキュメンタリーを観る

 

f:id:hidenaka24:20191002151310j:plain

ディエンビエンフーから国境へ行く途中

f:id:hidenaka24:20191002151418j:plain

国境へ続く道

 

f:id:hidenaka24:20191002150917j:plain

ラオス国境
ムアンクアからルアンプラバンへ

ラオス再入国
ディエンビエンフーの主だった戦跡、並びに戦勝博物館を見学、見るべきものは見つ。タクシーは稲田とそれに続く山道を登って、ベト、ラオ国境に着いた。ベトナム滞在時間は4時間くらいだったろうか。両国のイミグレでの手続きも簡単に済んで、ラオスに再入国した。ラオスのイミグレの裏に、今朝停めておいたフォルツァが待っていた。ラオス国境から国道2号線をムアンクアに戻る。前日宿泊したGHに着いた。宿の主人が、あれ、もう帰ってきたの?、外人はバイクでベトナムに入れないんだよ、こんな会話を交わして1泊350Bの部屋に。前日と同じ部屋だから懐かしさを感じる。この日が「目指せ、ベトナムハロン湾」の3日目であった。この日の走行距離は127キロ、ムアンクアから国境まで約60キロちょっとという距離だ。10年前は雨季には泥濘と化す悪路だったそうだが、まだ新しいせいか、ラオスで走った道路の中では格段に走りやすかったと思う。

■道路沿いの食堂で考える
夕方は国道に面した食堂で、チャーハンとビヤラオの食事、実はシブリン病院の医師から一生、ビールを飲んではいけない、と申し渡されている。医師の忠告に反して飲むビールの味は格別だ。それほど長生きしないんだからビールくらい呑ませろい、という気持ちと、いやいや、健康に良くない飲み物は避けて、細く長く生きるべきだ、という考えが交錯する中でほろ酔いになっていく。食堂の向かい側では山岳民族のおばさんが道にシートを広げて野菜を売っている。モン族だろうか、カム族、タイダム、それともタイデン族だろうか、アカ族でないことは確かだが。

ラオスには少数民族が40から70民族住んでいて、ラオス政府も正確には把握していない。更にラオス政府は全国民をラオス民族として多民族国家であることを否定しているため、少数民族への配慮はあまりされていない。海外のNGO少数民族援助を申し出てもいい顔をしない。習慣はもちろん言葉も違う少数民族ラオス公用語による学校教育を理解できない。ラオス公用語はラーオ語であるが、東ラーオ語と西ラーオ語があってお互い理解できない。義務教育も地方によって使われるラーオ語が違う。識字率が低いのも、国が発展できないのもこんなところに原因があると言える。

ビールを飲みながら考えることはいくらでもあるのだが、2本目に手を出さないところを見ると、自分なりに健康に配慮しているといえようか。

■落石、道路陥没注意
一応、ベトナムに足を踏み入れた。Nさんとの約束は果たした。ムアンクアからルアンナムターに戻って1泊すれば、次の日にはチェンライの我が家に戻ることができる。しかし、またあの一帯一路プロジェクトのために凸凹になった国道を戻ることはためらわれた。早く戻っても喜んでくれる人もいない独り者、ルアンプラバンに2,3日滞在して、国道を南下してビエンチャンからタイに戻ることに決めた。

ムアンクアからルアンプラバンまで330キロ、バスで10時間と観光案内所の壁広告に出ていた。タイなら半分以下の時間で走破できる距離だが、片側1車線の山道、それに道路状況は決して良くない。巡航速度33キロは順当なところだろう。

旅も4日目、朝8時にGHを出る。ナムウー川に沿って2号線をウドンムサイへ下る。切り通しの山道が続く。切り通しとは山肌をL字型に削ってL字の水平部分を道路としたものだ。道の右上が崖なら左下も崖になっている。雨季であるから崖崩れがあって道の半分が土石に埋まっているという個所もある。それより気持ちが悪いのは、場所により、赤ん坊の頭くらいの石が、2,3個道路に転がっていることである。本格的ながけ崩れの前兆としてパラパラと落ちてきたに違いない。石に乗り上げないよう、また、落石の音が聞こえないか注意して走行する。

ウドンムサイからルアンプラバンまで230キロだ。この12号線と並行して一帯一路の高速鉄道があちこちで工事中だった。但し、中断されているのかほとんど人影が見えない。場所によっては水力発電のダム工事も行われていた。これも中国の資金援助。さほど良くない造りの道路は工事車両の通過で凸凹だ。山道に入るといくらか道路状況がよくなる。ラオスは2000m級の山が連なる山国だ。ルアンプラバンへ至る道もかなりの標高差を上り下りする。南国とはいえ風の冷たさを感じたから1500mはあっただろう。

やっとのことでルアンプラバンに着いたが、行きつけのGHが見つからない。17時近く、走り疲れたので「招待所」と書かれた適当なGHに投宿した。この日の走行距離320キロ。