メコン河
渡し舟
望遠で撮ると
シーサワンウォン通り
カフェのファラン
マニチャンゲストハウス
ルアンプラバンで
■道に迷う
旅の4日目、山越えの時にスコールに遭い、雨宿りをする場所もなく、山道の脇で小止みになるのを待った。それを除けば、ムアンクアから2号線をウドンムサイに戻って、そこから12号線でルアンプラバンまで順調に走行した。悪路はあったがそこは速度を落とせばいいだけの話。ルアンプラバンはラオスの古都、世界遺産に指定されている。これまで3回訪れていて、一度はフォルツァで、当時は通ることのできたナーン県の国境から来たことがある。市内に入れば道を思い出すと思ったが、目当てのシーサワンウォン通りに辿りつけない。シーサワンウォン通りの両脇には伝統様式の建物の店と共に王宮博物館やワット・マイなどが立ち並び、ナイトマーケットも開かれる。観光客に人気の目抜き通りである。この通りに出れば、以前宿泊したGHに行ける。
こじんまりした街だから、走っているうちに見つかると思ったが、生まれつきの方向音痴、30分以上、グルグル回ったがメコン河さえわからない。「人生は言うに及ばず道迷う」。ルアンプラバンはGHの街と言っていいほど招待所、旅社、賓館が林立している。概ね中国語表示であることが気になるが、今日はただ寝るだけだし、と適当な招待所にスクータを停めた。高校生くらいの女の子が出てきて、トイレ、シャワー、冷房付き、1泊10万キップね。マイペンライ。通された部屋は窓がなく、破れたカーテンが垂れ下がっている暗い部屋。洗濯のあと、シャワーを浴びようとしたら温水が出ない。温水どころか冷水も出てこない。先ほどの女高生を呼んで、シャワーが使えないことを示す。女子高生はトイレ掃除用の蛇口をひねって、ホラ、ここから水が出るから、これで我慢して、などと言う。温厚な自分であるが、さすがに納得がいかず部屋を替えてもらった。10万キップも先払いしているのになんだ、と思ったが、日本円でせいぜい1200円程、怒るほうがおかしいか。
■世界遺産を返上してほしい
5日目の朝、女高生に教えて貰った道を通ってシーサワンウォン通りに出た。何とGHから200-300mしか離れていなかった。どうしてわからなかったのか。久しぶりのルアンプラバンであるが何か違う。この通りはフランス植民地時代の垢ぬけたな雰囲気が残っていて、この通りに散在するカフェで珈琲を啜るファランを見ると、まるでパリの街の片隅にいるような感じを受けたものだ。ところが、今回はどこの店も中国語の看板で埋め尽くされている。これではパリどころか上海か北京の裏通りだ。それだけ中国人観光客が増えた、ということであろう。
カフェに入って通りを眺めながら珈琲でコンチネンタルの朝食を摂った。この街はファランのカップルがそぞろ歩きをしたり、カフェテラスでひっそりと語り合うという姿が絵になる街だったのだが、歓迎光臨、四川料理など簡体文字の氾濫はエキゾチックな雰囲気を壊している。世界遺産には取消はないのだろうが、ラオスは自主的に世界遺産返上を申し出てもいいのではないかと個人的には思う。
■アメリカ人経営のGH
シーサワンウォン通りと並行して走るメコン河沿いのケムコン通りとの間、ナイトマーケットエリアの裏あたりに、数年前に泊まったGHがあった。マニチャン・GHと看板が出ている。入口にあったベルを鳴らしてみると、建物の裏からファランが出てきた。年の頃は50くらいか、GHの主人らしい。数年前、泊まったことがあるんだが、と言うと、あ、それ、カミさんの親戚の人。今はラオス人の奥さんと一緒に彼がGHを経営しているという。名前はアンディ、アメリカ人、中国で10年ほど教職に就いていた。へー、ボクも先生してたことあるんだよ、自己紹介で打ち解ける。朝食付きで1泊12ドル、部屋を見せてもらったが、清潔で申し分ない。但し、トイレ、シャワーは共用、冷房なし、天井の扇風機で何とか凌げるだろう。2泊することに決めた。ここ4日ほど、スクータに乗り続けで体が疲れていた。少し体を休めなければ。
この日はベッドに寝転がって東野圭吾と池井戸潤の小説を読んで過ごした。2階の部屋だが共用の板敷フロアがあって片隅に本棚があり、洋書に混じって日本の漫画ガイドブックがあった。邦人も来るらしい。何度か来ている街だから特に行きたいところもない。
夕食は歩いていける範囲、ナイトマーケットを少し歩いた。やはり中国人観光客が多い。ラオスの反物を前にして若い女性が「どんどん買い物しちゃうわね」と話している。ラオス旅行で聞く初めての日本語、この街はまだ邦人に人気があるのだろうか。
この日の走行距離は僅か4㎞。