チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラオスの道は疲れる

 

 

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高速鉄道予定図

 

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ボーデンのトンネル工事、単線なのでトンネルの径は小さい

 

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単線でこんな列車が走るのか?

 

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軒下で雨宿り

 

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フォルツァを触りまくったおじいさん

 

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国道2号線





ラオスの道は疲れる

■小国ラオス
ラオスは日本には余り馴染みのない国だろう。正式な国名は「ラオス人民民主共和国」、人民、或いは民主を正式な国名に入れている国は、中国、北朝鮮ソマリアコンゴなど民主的でもなく、人民をそれほど大事にしていない国が多い。ラオスは1975年に王制を廃止して社会主義国となった。王様と王子様は教育キャンプに送られ、その後、行方不明となった。ラオスでは王様について語ることはタブーとされている。

ラオスの国土面積は日本の約6割とそれほど広くはない。でも人口は7百万人だから人口密度は26人/㎢と日本の337人/㎢と比べ、ゆったりした国と言える。ラオスは、中国14億、ベトナム96百万、タイ69百万、ミャンマー53百万、カンボジア16百万の人口を持つ5つの大国に囲まれた内陸国である。内陸国であるから工業発展のためには道路網の完備が必須条件であるが、国道でさえ片側1車線で、舗装も完全とは言えない。そのショボい道路を一帯一路の鉄道工事、道路工事、ダム工事のための大型トラックが通るため、道路が傷んでいて、バイクだとせいぜい20キロ程度のスピードしか出せない。これでは物流がスムーズにいかない。インフラがないから発展しないのか、発展しないからインフラが整備されないのか。高速鉄道、高速道路を作って差し上げましょう、という中国の提案を受け入れたのも国の発展を願ってのことだったのかもしれない。

ラオス国境のボーデンでは1680ヘクタールの土地が中国の90年租借地となっている。ビエンチャンのマンションは人民元建てで販売されている。あちこちで中国語の「この土地売ります」の看板を見たし、もうラオスは中国の自治区といっても過言ではない。

■どこまでも山道
ラオスは国土の70%が森林、山岳地帯だという。山もタイと違って2000mを越える山脈が聳えている。トンネルはないから急カーブの山道を登ったり、下りたりの繰り返しとなる。中国は高速鉄道建設のために75のトンネルを掘り、200近い橋をかけるという。完成予想図には日本の新幹線にそっくりの車両が描かれているが、実際の速度は貨物で時速120キロ、客車で160キロほどだ。本来、2011年着工、2014年完成の予定であったが、中国鉄道部の汚職事件のため、無期延期となり、新たに2013年着工、2017年完成を目指すとしていた。でも完成時期はずるずると遅れ、今は2021年完成と言われているが、現在の一時中断状況ではそれも難しい。

ツーリング体験者としては鉄道より、道路を何とかしてくれよ、と言いたくなる。工事でボロボロになった国道の補修もままならない。昔の日本と同じく、陥没個所に砂利を敷いて、その上に融けたアスファルトをかけて補修した個所があった。その上を走るとピチピチとアスファルトが撥ねてスクータが汚くなる。

ルアンナムターからラオスベトナム国境のタイチャンまで距離は近いのだが直線で結ぶ道路がない。地図上ではジグザグにナテウイに登り、ウドンムサイに下りて、そこからパックナムノイに上がって、そのまま2E国道を東に走る。直線距離の2倍は走るのではないか。

■ウドンムサイから国境へ
ウドンムサイはラオスの要衝、東西南北の国道が集結している。南へ下ればルアンプラバン、ビエンチャンへ、北に上がればディエンビエンフーに行ける。ウドンムサイで昼食を摂ったあと、何人ものラオス人に道を聞く。2Eの国道沿線の街の名前を書いた紙を見せる。ラオスで道を聞く場合、女性はパス、遠出したことがない人が多いし、山岳の人なら言葉が通じない。ラオスにはラオス語を話せない人がまだ多くいる。ソンテウやミニバスの運転手、2、3人のいうことが一致すれば、間違いはない。

今回のツーリングでは道路際に立つコンクリート製の標識を見ることを学んだ。数キロおきに立っているこの石柱には道路名、地名とキロ数が書いてある。例えば、2E、ムアン・ラ、75㎞と書いてあれば道路も行き先も間違いないことがわかり、元気が出る。ナムウー川を右に見ながら切り通しの道を登る。途中でスコールにあった。慌てて、道路沿いの家の軒先にスクータ停めて雨宿り。土砂降りの中を子供やおじいさんが我がフォルツァの周りに集まってくる。おじいさんは珍しいのか、泥水で濡れた手でペタペタとスクータを叩く。白いフォルツァはたちまち泥だらけだらけになった。

30分足らずで雨が上がり、みんなに別れを告げて国境を目指す。16時も過ぎて到着した川沿いの街、ムアンクワで泊まることにした。この日の走行距離、234キロ。