チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラオス縦断

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ラオス縦断

ラオス概観
ラオスはアセアン10カ国のうち唯一の内陸国で、北は中国、東はベトナム、南はタイ、カンボジア、西はミャンマーと国境を接する。国土の4分の3が高地、山岳地帯で「山と森の国」ともいわれる。

海がなくて山の国というと長野県とか岐阜県を連想しがちだが、国土面積は24万平方キロあって、日本の本州と同じほどの広さがあるから、決して狭いわけではない。でも人口は660万人、中国はもちろんタイの6800万、ベトナムの8900万に比べれば小国である。

昔からタイとは戦争を繰り返してきた。19世紀半ばにフランスがインドシナにやってきた時、フランスの力を借りてタイと対抗しようとしたが、結局フランスの植民地にされてしまう。フランスは直接統治はせず、ベトナム人を官僚に登用してラオス人を苦しめた。

ベトナム戦争の時はラオス国内に北ベトナムの補給路、ホーチミンルートがあったため、1964年から1973年の10年間で200万トンの爆弾を落とされた。国民一人当たり1トン弱、世界で一番多く爆撃された国と言われる。その一方で、ラオス国内の数十万人のモン族が米国CIAの訓練を受けて、北ベトナム、パテト・ラオの共産軍と戦わされた。言ってみればついてない国である。

国民一人当たりGDPは1600ドルと低いが、農民が国民の80%を占める農業国で、食料が自給できるので飢えることはない。貧しさの中の豊かさ、と言われる所以である。国民性はあくせくせず、穏やかで、のんびりしているという。

昔、インドシナを植民地としたフランス人が、ベトナムカンボジアラオスの国民性の違いを農作業にたとえて「稲を植えるのがベトナム人、稲が育つのを眺めるのがカンボジア人、そして稲の育つ音を聞いているのがラオス人である」と表現した。この比喩には様々なバリエーションがあるが、ラオス人はお人よしというところは一致している。

■道路事情は良好
自分の書く旅行記は、時系列的にずるずると10本以上書き続け、読まされる方はもちろん、書く方も根気が無くなって、旅行途中で終わってしまう、というパターンが多かった。今回のラオス旅行は11日間と自分としては長期旅行であったが、原稿はこれまでの悪癖を排し、トピックや印象に残った場所に絞って、2,3本で終わりにしたい。
ラオスには4回ほど旅している。なかなか魅力的な国であり、嫌な思いをしたことは殆どない。中国雲南省旅行に比べれば旅の緊張度は10分の1以下である。

一昨年のアランと行ったアカ族の村訪問旅行や、昨年の山に迷い込んだ旅では、泥濘、或いは石ころだらけの山道で死ぬ思いをしたが、今回通ったラオスを南北に縦貫する国道13号線は全面舗装道路。ゆったりと流れるメコンに沿って走っているためほぼ平坦、ラオスが山国であることを忘れてしまうほどだ。但し、所々に陥没個所があり、100キロ以上のスピードは怖くて出せない。更に牛の群やヤギの群れがしばしば道路を横切っており、牛の落とし物と共に走行に注意する必要がある。北タイ国境からラオスのサナブリに行くまでの山道では架橋工事をしており、仮橋の前後の道は乗用車で通ることは難しいと思われた。世界遺産ワット・プーやコーンパペンの滝など南ラオスの見所を訪ねるなら、北タイの国境は避けて東部ウボンラチャタニからラオスのパクセに向かえば快適なドライブが楽しめるだろう。

■ひたすら走る
Nさんは自転車競技の国体選手だった。今は彼のもとに日本をはじめ各国の自転車競技の選手が冬のトレーニングにやってくる。選手は1日200キロくらい走る。山あり谷ありの練習コースをNさんがバイクで先導する。だから山道走行に慣れている。彼は今回、ホンダのPCX150で出発、自分のフォルツァ400の排気量はカタログ値で379奸∪能面ではフォルツァが勝っているのだが、北タイからラオスのサナブリまでの山道ではどんどん引き離されてしまう。

考えてみれば、昔バイクに乗っていたといっても平坦な道をチョイ乗りしていただけ、カーブで運転技術の差が出るのだ。右手で後輪ブレーキをかけながら、左手でスロットルを上げれば、滑らかなコーナリングができますよ、と教えてくれたが、なかなかうまくいかない。

Nさんのツーリングにはポリシーがある。目的地までは脇目も振らず走りぬけるということだ。今回の目的地は南ラオス、1日目は北タイ国境で朝の9時にお粥を食べただけで、15時半にサナブリに着くまで飲まず食わず、400キロを駆け抜けた。途中の風景をカメラに収めたかったが、ツールドフランスパリダカで、レース中に選手が車を停めて写真を撮るとは考えられない。



写真は2人のスクータとサナブリの市場