チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラオス単独ツーリング(1)

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ラオス単独ツーリング(1)

■予行演習
約2週間の予定でNさんとハノイへ行こうと、6月26日に胸膨らませて我が家を出発した。しかしながらタイ、ラオス国境のナーン入出国管理所を通過することができず、あえなくツーリングは初日にして中止と相成った。その経緯は「めざせ、ベトナムハロン湾」でご紹介済み。

27日に帰宅して、またテニス中心の生活に戻ったが、7月の初旬はベトナムの各地をツーリングしていたはず、と思うと何か味気ない。次回は我が家から100キロほど離れたチェンコーンの友好橋からラオスに入国することになる。チェンコーンを経由してルアンプラバンに行ったことがあるが、国際バスに乗っていたので、出入国の苦労はそれほどなかったせいか印象が薄い。でもNさんによるとバイクで友好橋を渡った時には、何やかんやで1500B(5千円)くらい取られたという。数年前、ナーンのイミグレでは300Bくらいだったと記憶する。まだ自分は友好橋をスクータで渡ったことがない。時間はあるし、一度、チェンコーンからラオス入りを体験しておこう。そう考えて、7月1日に我が愛車、279佞離侫ルツァに跨り、チェンコーンに向けて出発した。

■橋を渡ってラオス
第4タイ・ラオス友好橋はタイのチエンライ県チェンコ-ンとラオスのボーケーオ県フアイサイを結ぶ橋である。 建設費は16億2400万バーツで、タイと中国が半分ずつ負担した。当初は2012年開通の予定だったが、工事が遅れ、2013年12月11日に完成した。中国の昆明とチェンライを経由してバンコクまで延びるアジアハイウェイ3(AH3)のメコン河をまたぐ橋である。この橋ができればチェンコーン辺りには中国の工場団地が建設され、チェンライ県は工業県になると期待された。バンコクの金持ちがチェンコーンの農地を買い占めて、土地ブームに沸き立っていたことが思い出される。橋ができたころ、入管の前には土産物店や急造のレストランが軒を連ねていた。でも今回、行ってみると辺りは閑散として店は閉まっている。中国の工場は来なかったし、国際バスは通り過ぎるだけで、人が集まる要素は全くない。

先ず、橋の手前にあるタイの税関でスクータの通関手続きをする。用意してきた車検証、パスポート、運転免許証のコピーを提出、言われるままに200Bを支払う。続いて出国手続き、友好橋を渡ってラオス側で入国、税関手続きを行う。ラオスでもお金を払ったが200Bくらいだったと思う。 Nさんが友好橋を渡った時は、タイの職員がこの車について来いと言ってトラックで先導してくれた。但し、先導料として別途500Bを徴収されたという。職員のちょっとしたアルバイトだったのだろう。

ラオス側で入管事務所の隣にあるビルの入り口に中国語で「保険」と書いてあった。ラオス国内を走行する場合、ラオスの交通保険に入っていないと検問でもめることがある。3階にある保険会社窓口にいってみたが、バイクの保険は扱っていないという。バイクでラオス国内に入る人が少ないせいだろう。

■走行注意
友好橋での手続きは30分ほどで終了した。主目的のラオス入国は果たしたわけで、まあ国境のフアイサイに1泊して帰ろうか、と思ったが、次回、通るはずのAH3を北上してルアンナムターまで行ってみることにした。ルアンナムターまでは国境から約180キロ、4時間の距離だ。時速50キロ以下でしか走れないのには理由がある。まず山道で高低差を伴った急なカーブの連続であること、タイの国道と違って片側1車線しかない為、追い越しが楽でないこと、更にこれが一番大きな理由かもしれないが、AH3といっても道路状況が非常に悪い。どうして、と思われるような道路陥没個所があったり、突然、舗装が切れてでこぼこの砂利道になる。場所によっては70-80キロで走行できるが、カーブや道路状況を確かめながら走る時は20-30キロに落とす必要がある。コケても単独ツーリングだから助けを呼ぶことができない。いつも以上に慎重な運転を心掛けた。
道すがら保険屋を探したがそれらしいところはない。ナーンの国境はラオス側に入ると道路沿いに何軒も保険店があったのだが・・・。

交通量は多くはないが半分くらいの車両が大型トラックで、それも40フィートコンテナ積載クラスだ。これでは道路が傷むはずだ。大型トラックは上り坂になると急激にスピードが落ちる。対向車が来ないことを確かめて我がフォルツァは軽快にトラックを追い越していく。

気持ちよく走行していると、検問所があり、数人の警官(兵隊か)が見えた。無保険だし、やばいなあ、と思いながら警官の制止に従ってスクータを停めた。(続く)



我がフォルツァ並びに友好橋の上で。