苦難の始まり
■ムアンシンからチェンライへ
7月の初めにラオスを単独ツーリングした。初日、チェンコーンから友好橋を渡ってラオスに入り、290キロほど走ってルアンナムターに着いた。2日目は60キロほど離れたムアンシンへ。ラオスにはいわゆるコンビニはない。ルアンナムターではパン屋とか生菓子店があったが、ムアンシンあたりに来ると生鮮食料品を売る店は見当たらない。サンドイッチとかフランスパンを探し求めてみたが、ポテチなどの袋菓子を売る雑貨店はあってもパン屋はなかった。夜、四川料理店で豚肉と野菜の炒め物を注文、異常に辛い上にやたらと量が多く、完食することができなかった。タイの少量皿に慣れてしまったせいか。
3日目はムアンシンを出発し、悪路を県都ルアンナムターに戻る。いくらか文明圏に近づいた証拠にカフェがあったので、昼食としてお茶のスムージーとヤキソバを食べる。カフェとは言いながら、珈琲がないというおかしな店だった。
ルアンナムターからタイの国境に続くAH3を西へ進む。初日に通った道だ。ここらあたりで雨具を羽織ったな、などと思い出しながらメコン河に向かう。3時過ぎに友好橋の近くまで来た。このまま橋を渡ってチェンライに戻ってもよかったが、ラオスの河岸の街、フエサイに1泊することにした。フエサイは友好橋から数キロ離れている。橋ができる前はチェンコーンから渡し舟でフエサイに来た。今でもタイ人、ラオス人は渡し舟を利用できるから、舟着き場はある。基本的には外人はこの街に泊まることはないのだが、中国語看板のGHやホテル、食堂が並んでいる。雲南省からの貨物船の船員やフエサイ郊外にあるカジノへの客が泊まるのだろうか。河を見下ろすGHに泊まり、道を隔てたレストランで夕食、医者から一生飲むな、と言われたビールを1本飲んで幸せな気分になった。この日の走行距離は247キロ。
4日目、最終日は友好橋を渡ってチェンコーンに入り、チェンセーン経由で自宅へ。この日の走行距離は130キロ、3泊4日で総計756キロ走った。目指せ、ベトナムの予行演習としてはまずまずの距離だ。アジアハイウェイとはいえ、ラオスの道路状況はタイとは比べ物にならないほど悪い。スピードの出し過ぎは、陥没個所にタイヤを取られ、命にかかわる。年寄は安全運転が一番、まあバイクに乗らなければもっと安全だが。
■再度出発
バイクでベトナムへ、はラオス縦断やチュンポン3000キロの旅を共にしたNさんとの懸案事項であった。バイクの保険問題で出発が遅れたものの、6月26日に2人はチェンライを出立した。ナーン県のフアイコンの国境からラオスに入り、ベトナムを目指そうとした。でも2年ほど前からバイクでのフアイコンの国境越えが禁止となっていて、あえなく中止、そのままナーンから自宅へ戻った。
7月の初めにラオス国内に入る予行演習をしたのち、再度、Nさんと自分はベトナムを目指すことになった。7月15日のことである。チェンコーンのタイ出入国管理事務所を待ち合わせ場所にしようと思ったが、Nさんの提案で、ラオス、ルアンナムターのナイトバザールで午後6時に会うことにした。ルアンナムター県は面積の95%が標高2000m程度の森林山岳地帯である。ルアンナムターまで国境から200キロ弱であるが、急カーブの続く山道だ。山岳走行に慣れたNさんならば、愛車ホンダのPCX135で自分のフォルツァのはるか先を行ってしまうだろう。一緒に走ってはNさんの足手まといになる。ルアンナムターは2週間前に行っているし、朝出れば、昼過ぎには着いて多少の観光と休養が可能である。わかりました、それじゃナイトバザールで会いましょう。
■ルアンナムターにて
バザールを行きつ戻りつしたが、Nさんがいない。電話で「今どこですか」と聞くと、「アー、家にいます」。げっ、まだ家? なんと、タイ、ラオス国境で200㏄以下のバイクは入国禁止と言われ、やむなく引き返したとのこと。(PCX135の排気量は149㏄)「せっかく、そこまで行ったのですから一人でベトナムを目指して下さい」。
突然、シェルパに去られたエベレスト登山隊の気分だ。いつもNさんのバイクを追っかけて、Nさんがここで泊まりましょうといったところで泊り、ここを観光しましょうと言えば、言われるままに観光して歩くといったツーリングだった。もしNさんが、単独ツーリングは危険ですから、このままチェンライに戻っては如何ですか、と言ったならば、素直に引き返しただろう。何故、そう言ってくれなかったのか、と心の中で反芻するに日々がこれから10日も続くことになろうとは知る由もなかった。
写真はメコン河ッムアンシンの道と風景