ラオス単独ツーリング(2)
■検問を通り抜ける
スクータの保険を付保しないまま、国境からルアンナムターに向かう途中、検問に引っ掛かった。子供と言ってもいいような20歳前後のお兄ちゃんが寄って来て、かっこいいスクータだな、排気量は?、などと聞いてくる。型通り、旅券、税関申告書、運転免許をチェックされる。タイで取得した運転免許証はアセアン10カ国で有効だ。書類をチェックしていた兄ちゃんが、ラオスの保険がないようだが?と聞いてきた。まずいな、と思ったが正直に、「保険を買おうと思ったが、保険屋が見つからなかった、ルアンナムターで買うつもりだ」とタイ語で答えると、兄ちゃんはあっさり、じゃいいよ、気を付けてね、と解放してくれた。ラッキー。
3日後、この道を通ってチェンライに戻った。検問所で顔見知りとなった兄ちゃんたちが手を振っていた。ルアンナムターで保険を手に入れていた。保険証書を見せたくて、道路向かい側の検問所に向かって「そっちに行くよ」のジェスチャーをした。でも兄ちゃんは笑顔で「行っていいよ」の手ぶり。日本人はウソをつかない、というところを見せたかったのに、と少しがっかりした。
■雨のそぼ降るルアンナムターへ
北タイは年初以来の雨量が例年の半分以下、という異常気象で田植えがまだできない田んぼが目立った。ラオスもほぼ同様で田起こしがやっと済んだという段階の田が多かった。でもルアンナムターが近づくにつれて、山あいの田んぼで十数人の農民が共同田植えをやっている光景を見た。北タイでは田植え機が普及してきたが、まだラオスでは村の共同作業による田植えが一般的なのだろう。
田植えをしている人の中に合羽を着ている人がいた。それを見て多分、これから降るのだろうな、と思ったが、予感的中、ルアンナムターの手前50キロほどの地点で空が暗くなり、強い雨が降り出した。木陰にスクータを停め、雨具を着る。ベトナムに行くにしても雨季の真っ盛り、雨中走行も経験しておくに越したことはない。
15時過ぎにルアンナムターの市街に着いた。9年前に1泊したことがある。9年前のGHを探したが、全く見当が付かない。雨は降り続くし、合羽の縫い目から水が沁みてジーパンが濡れてきた。目に付いたGH、シンサモンGHに宿を取る。Wベッド、エアコン、ホットシャワー、石鹸、歯磨き、歯ブラシ、櫛、それに飲料水2本で1泊280Bというから日本円で1000円程か。安い。タイと違って、旅券提示も不要でお金と引き換えに鍵を呉れた。この日の走行距離は291キロ。
■ゲストハウスのベッドで
ルアンナムター県は約93万ヘクタール、ほぼ青森県と同じ広さ、うち95%が標高2000m程度の森林山岳地帯である。ルアンナムターはタイから国際バスでラオスの世界遺産、ルアンプラバンに行く途中、或いはルアンプラバンからタイ国境に戻る途中にバスが一時停車して乗客が夜食を取るだけの街である。素通りの街といっていいかもしれない。
近年、観光が盛んというがトレッキング、カヤッキングといった欧米の若者に人気のあるハードなアクティビティが中心。少数山岳民族の村を訪ねるというコースもあるが、中国製バイクで何十キロものダート走行が必要、これは数年前に豪州人アランと経験済みだ。ステント手術で救われた残りわずかな命、もう要らぬ危険は冒したくない。
取りあえずタイ、ラオス国境の友好橋を渡ってみることだけが目的だったのだから、このまま引き返そうか・・・・。GHのベッドに寝転がっていたら2010年に初めてこの街へ来た時のことを思い出した。ルアンプラバンからのミニバスの中でウィーンの元高裁判事、マンフレッドとその夫人、セイダと知り合い、夜遅くまで少数山岳民族について語り合った。あなたはやはりアカデミックの世界の人ですね、とお世辞を言ってくれたなあ。そして翌日、彼らと年に一度の満月祭りを見るためにムアンシンに行ったのだ。
思い出すなぁ、お玉ケ池の千葉道場、自分も今じゃ、異国のボケ孤老、人生裏街道の枯れ落ち葉か・・・・。あの頃はラチャパット大学の図書館に通って、アカ族のことを調べていた。やる気はあったし、多少の努力はしていたのに。とほほ。
空腹だと思考回路が退嬰的になる。GHの前の食堂でチャーハンを食べる。15000キップ(約200円)。ご飯の量がタイの1.5倍はある。完食すると元気が出てきた。せっかくここまで来たのだから、明日はムアンシンに行ってみよう。ここから60キロ、2時間ほどの距離だ。(続く)