チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラオス単独ツーリング(3)

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ラオス単独ツーリング(3)

■外国だが海外ではない
ベトナムツーリングの予行演習として、7月1日から4日の日程でラオスに行ってみた。チェンライ県はラオスミャンマーと国境を接してているから、車で家を出ればその日のうちに「外国」に入ることができる。距離的には東京から山梨、群馬、静岡、茨城各県に行くほどの感じだ。でも外国であるから、言葉も通貨も交通規則も違う。タイは車は日本と同じ左側通行であるが、ラオスミャンマーは右側通行だ。ラオス国内に入ってからは「右側通行」と何度も呟いて、反対車線に行かないよう注意した。

ミャンマービルマ語だが、先般出かけたチェントンではバイタク運転手がタイヤイ族だったからタイ語が何とか通じた。ラオスラオ語であるが、タイ語と似通っているので、タイ語が何とか通じる。ラオ語はいくつかの方言があり、お互い、意思疎通ができないほど違っている。西ラオ語はタイ東北部で話されるタイ語に酷似しているという。
考えてみればミャンマーのチェントンはチェンライ、チェンマイを都としたランナー王国の領土であったし、タイ東北部は14世紀に興ったラオ族のランサーン王国の支配下にあったのだから、言葉や民族が共通というのも当たり前かもしれない。

ラオスの通貨はキップである。1000円が8万キップ、1000バーツが28万5千キップになる。ラオスで「キップを使いましょう」というポスターを見たことがある。これは外国のお金も通用します、を示している。実際、ルアンナムターでは食堂でもGHでもバーツで支払うことができた。数年前になるが、食堂で支払いをバーツでしたら、おつりが中国元で戻ってきたことがある。今はいつ切り下げがあるかわからないから中国元は流通していないのではないか。

■子供が多い
さて、単独ツーリングの初日は290キロほど走ってルアンナムターに宿泊した。雨でジーパンが濡れていたが、宿泊したGHの部屋の天井には回転式の扇風機が付いていたので、ジーパンを扇風機の下へぶら下げた。夜半にはジーパンはパリパリに乾いていた。扇風機で濡れたジーパンを乾かす方法はNさんに教わった。

朝、市内をスクータで回って、ファラン夫婦が珈琲を飲んでいるカフェに停まり、美国式朝餐を摂る。20センチほどのフランスパンにバタ-、ジャム、目玉焼き2ケ、ハム、それに珈琲、生ジュース、フルーツ盛り合わせが付いて、140Bほどだった。ラオスはフランスの植民地だった影響かパンが美味しい。満足感を覚えて、中国国境の街、ムアンシンを目指す。右手にナムター川の渓流を見下ろしながら北へ進む。時折、道沿いに山岳民族の集落があって、子供たちが大型スクータに吃驚している。4,5歳の幼女が手を振ってくれるので、こちらもそれに応える。

ラオスでは18歳以下の若年層が人口の50%を占める。日本では2014年のデータだが、30歳以下の若年層が人口に占める割合は27.6%とのことだ。ラオスでやたら子供が目につくのも当然と言える。日本でもタイでも子供がいると何かとお金がかかる、と考えるが、まだラオス後発開発途上国、子供は小さいうちから働いて家計の助けになる。生活の向上のために子供をどんどん産むということだろう。

ラオス自治区
ルアンナムターから北方面、2股に分かれた道を右手に進めば国境のボーデン、ここから中国、雲南省に入国できる。左手の道を北上するとムアンシンだが、この道路の状況が実に悪い。場所によっては砂利ではなく、石が飛び出ていてスクータにその衝撃が伝わる。プロレスのアトミック・ドロップ、尾てい骨割りの連続技をかけられているようだ。脊椎圧迫骨折によりスクータを下りた瞬間、その場に転倒する、という恐れもあったが、何とかムアンシンのGHへたどり着く。宿泊料は350B(1200円)

観光案内所に行ってみたが、係員がこの街は何もないところだよ、トレッキングは人が集まらないとできないし、とつれないことを言う。フランスが100年ほど前に作った砦があると聞いていたが、係員は知らないようだった。街はルアンナムターもそうであったが、中国語の看板が目立つ。走る車の2,3割が青色の中国ナンバーだ。
ムアンシンは中国領だったことがあり、市内の道路は碁盤目状に走っている。しかし、中央を走る幹線道路だけがまともに舗装されていて横道や幹線に並行して走る道はダート状態、水溜りはどれだけの深さがあるやも知れず、恐ろしくて走る気になれない。午後の早い時間に到着したが、だらだらとGHのベッドで時を過ごした。こういう怠惰な時間があってもいいかな、と自分に言い訳をする。この日の走行距離は88キロ。


中国語の看板ばかり、ガソリンスタンドも。ルアンナムターは空港があるのでハノイにも行ける。ムアンシンの田園、道路。