チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

スクータでラオス旅行(11)

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スクータでラオス旅行(11)

■やっと自分のいる場所が分かる
13時半、遅い昼食を取りながら、近くの人にこの街の名を聞いた。パックンガという。地図に「Paknga」と書かれた場所があった。ルアンプラバンの位置から見てここに違いない。2日目にして初めて自分のいる場所が確認できた。

さらに北には「Pak Nga」と書かれた場所がある。英語表記ではわからないが、ラオス語にも声調があって、ラオス語表記では全く別の発音なのだろうと思った。つまり、英語表記で発音しても相手に通じない。ラオス語表記があればまだしも、山奥の人はローマ字が読めないか、読む気にならない。英語表記の地図はほとんど意味が無いということが分かった。

さらに村の人は隣村の名を知っていても、ウドンムサイのような遠くの街に行ったことが無いらしく道を知らない。岐阜の山奥で国道20号線を通って甲府に行きたいのですが、と英語で尋ねるようなものか。

■下ろすにあたって一悶着
食事を終えて、ピックアップの停車している場所に戻って見たが、まだスクータが荷台に乗ったままである。下ろすよう頼んだが、男はニヤニヤしながら、あと2千バーツ出せばルアンプラバンまで行ってもいいと言う。未舗装道路ではあるが1時間も走ればルアンプラバンへ続く舗装道路に出るはずだ。前日に通った道である。大丈夫、ここでスクータを下ろして欲しい。

パックンガの街の手前に大きな製材工場があった。男はその工場の事務所に立ち寄った。スクータの横に乗せた段ボール箱から穀物袋を取り出して、製材所の社長と見られる中国人に渡した。40がらみ、がっしりした体格で青竜刀でも振り回しているのが似合う風貌だ。袋には片手でやっと持てるほどの重量物が入っている。金のやり取りをしている間、袋を見ていたら、中身が奇妙な形でうごめいて袋を突き上げている。中国人に聞いた。これは蛇か。そうだ。食べるのか。そうだ。社長はニヤリと笑った。

要するに男はわざわざ自分のために車を出したわけではなく、パックンガの近くに来る用事があって、ついでにスクータを乗せてきたわけだ。

スクータを下ろすには人手がいる、その手間賃を出せ。それは村を出る前に、5千バーツに含まれる、と約束したはずだが。男の顔から笑みが消え、凶暴な目つきに変わった。こいつは犯罪者に違いない。周りに人が集まってきた。

すみませーん、スクータを下ろすのを手伝って下さい。男はしぶしぶロープを解き始めた。フォルツァの重量は200圓曚匹世蹐Α数人の人手があれば簡単に下ろせる。

フォルツァにまたがった自分に男が言った。ちょっとそれでこのあたりを一回りさせてもらえないかな。黙ってセルを回し、エンジンが始動することを確かめて言った。「メダーイ(だめだ)」。
そのまま男の顔も見ず、パックンガの街を後にした。

■再びルアンプラバンへ
見覚えのある道を下る。ゆくゆくは舗装されるのだろう。片側2車線の砂利道だ。やがて、舗装道路になり、フォルツァは快調に飛ばす。走りながら考えた。今日は遅いからルアンプラバンに1泊し、明日、予定通り、ウドンムサイを目指し、フエサイの友好橋からチェンライに戻るか。

それともスクータを船に乗せ、パクベンで一泊してフエサイに行くか。ムアングンのイミグレーションでは友好橋を渡ってタイに入国できると言っていたが、もし、渡れなかったらどうなるか。またルアンプラバンまで戻り、ムアングンの国境に行かなければならない。来た道を引き返すということだ。最長3日、予定が伸びる。

気になることがあった。ラオス滞在が伸びると、週2回発信のブログに穴があく。別に2,3日、ブログのアップが遅れても誰も気にしないとは思うが、せっかく身についた習慣を破るのも個人的にはどうかと思われる。この際、一番安全な方法、予定とは違うがルアンプラバンから来た道を引き返す、これが一番安全かつ確実に帰宅できる方法だ。これからもラオスに来る機会はあるだろう。無理をする必要はない。1日道に迷っただけで思考方法がかなり保守的、自己防衛的になってしまった。

ルアンプラバンからの道が2股に分かれるところで一休み。ソフトドリンクを飲みながら店のおばさんに道を確かめる。やはり左に行けばウドンムサイ、自分は右に進路をとり、間違えば引き返せばいいと思いながら、すっかりそれを忘れて遮二無二直進を続けたのだった。

パックンガを出て1時間半、距離にして約70キロ、16時にルアンプラバンに帰着。同じGHに部屋を取ると、すぐに冷えたビヤラオを飲んだ。旨い。やっと文明地区へたどり着いた。
(多分、あと1回)




写真はウドンムサイへの分かれ道、ルアンプラバンの風景、最後がゲストハウス