チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

バナナとパンと少年と

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バナナとパンと少年と

■日本人の美質
毎日新聞記者の岩見隆夫氏の「あきらめることはない」というブログ記事を読んだ。

東日本大震災は数々の人間ドラマを生んだが、自民党平沢勝栄衆院議員から、「感激しましたねえ」と聞かされた次の話は心にしみる--。
3・11からまもなく、1人のベトナム人記者が取材で被災地に入った。避難所で少年にインタビューする。少年は津波で両親を亡くし、激しい寒さと飢えで震えていた。一つのおにぎりを家族で分けて食べるような状況だった。

記者は見かねて少年に自分のジャンパーを着せかける。その時、ポケットから1本のバナナがぽろっとこぼれ落ちた。記者が、「バナナ、欲しいか」と問うと、うなずくので、手渡した。ところが、少年はそれを食べるのでなく、避難所の片隅に設けられたみんなで共有の食料置き場に持って行き、もとの場所に戻ってきたという。

記者はいたく感動する。帰国すると、<こういう子供はベトナムにはいない。……>と報道した。この記事が大変な反響を呼ぶ。かつて、ドラマ「おしん」が大人気になったお国柄だ。ベトナムからの義援金は100万ドル(約8000万円)にのぼったが、このうち、「バナナの少年にあげてください」という条件つきが5万ドルもあったというのだ。

実はこの佳話、昨年夏、谷内(やち)正太郎元外務次官が<東日本大震災の最中、日本外交を考える>と題して講演したなかで紹介された。平沢はそれを聞いたのだ。谷内はこの時、「少年は大変けなげな日本人の美質、DNAをきちんと受け継いでいる。将来の日本を支える若い人たちのなかに、こういう子供は少なくない。上に立つ政治家も心のなかに美学を持ってほしい」と訴えている。悲劇と苦難のもとでも失われない民族的な強じんさを、一少年の小さな行為から教えられた思いだ。(引用終わり)

■元ハワイ州知事ジョージ・アリヨシ氏と靴磨きの少年
岩見氏はこの少年の話のあとにアリヨシ氏の体験談を紹介している。この話は産経新聞2007年11月6日付に詳しい。

陸軍に入隊したばかりのアリヨシ氏は1945年秋、初めて東京の土を踏んだ。丸の内の旧郵船ビルを兵舎にしていた彼が最初に出会った日本人は、靴を磨いてれくれた7歳の少年だった。言葉を交わすうち、少年が両親を失い、妹と二人で過酷な時代を生きていかねばならないことを知った。
 東京は焼け野原だった。その年は大凶作で、1000万人の日本人が餓死するといわれていた。少年は背筋を伸ばし、しっかりと受け答えしていたが、空腹の様子は隠しようもなかった。
 彼は兵舎に戻り、食事に出されたパンにバターとジャムを塗るとナプキンで包んだ。持ち出しは禁じられていた。だが、彼はすぐさま少年のところにとって返し、包みを渡した。少年は「ありがとうございます」と言い、包みを箱に入れた。
 
彼は少年に、なぜ箱にしまったのか、おなかはすいていないのかと尋ねた。少年は「おなかはすいています」といい、「3歳のマリコが家で待っています。一緒に食べたいんです」といった。アリヨシ氏は手紙にこのときのことをつづった。「この7歳のおなかをすかせた少年が、3歳の妹のマリコとわずか一片のパンを分かち合おうとしたことに深く感動した」と。
 彼はこのあとも、ハワイ出身の仲間とともに少年を手助けした。しかし、日本には2ヵ月しかいなかった。再入隊せず、本国で法律を学ぶことを選んだからだ。そして、1974年、日系入として初めてハワイ州知事に就任した。
 
のち、アリヨシ氏は日本に旅行するたび、この少年のその後の人生を心配した。メディアとともに消息を探したが、見つからなかった。
 「妹の名前がマリコであることは覚えていたが、靴磨きの少年の名前は知らなかった。私は彼に会いたかった」
 
アリヨシ氏の手紙は「荒廃した国家を経済大国に変えた日本を考えるたびに、あの少年の気概と心情を思いだす。それは『国のために』という日本国民の精神と犠牲を象徴するものだ」と記されていた。今を生きる日本人へのメッセージが最後にしたためられていた。
 
「幾星霜が過ぎ、日本は変わった。ほとんどの人びとは、両親や祖父母が新しい日本を作るために払った努力と犠牲のことを知らない。すべてのことは容易に手に入る。そうした人たちは今こそ、7歳の靴磨きの少年の家族や国を思う気概と苦闘をもう一度考えるべきである。義理、責任、恩、おかげさまで、という言葉が思い浮かぶ」・・・・・
 
凛とした日本人の資質はパンの少年からバナナの少年に引き継がれている。日本の将来は決して暗くない、と信ずる所以である。

写真上から「祭の前の祈り」、「コチェ(神の依り代)」以下祭りのスナップ。