チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

今年もまたラフ正月

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今年もまたラフ正月

春節旧正月
今年の旧正月は1月23日だった。中国はもちろん、その影響の強い韓国、ベトナムシンガポール、マレーシアなどではこの日は祝日で国民の休日となっていている。ベトナムでは旧正月をテトという。

タイではグレゴリオ暦の正月、それにタイの旧暦(チャントラカティ)に基づくタイ正月(ソンクラン)は祝日である。だが華人の影響の強いタイではあるが、1月23日は国民の休日とはなっていない。しかし、華人の店は休みになって、交通機関やホテルが大混雑するし、華人系の学校は1週間ほど休校になる。旧正月の街は比較的静かである。チェンライで多くを占める華人経営の店が閉まっているからだ。

街中は吹き流しのような幟がちょっと目につく程度。ただ大晦日に当たる22日にチェンライの高級スーパー、ビッグCに行ってみたら、蒸し焼きの鶏が山積みになっていた。値段は1羽78バーツと日本円で200円弱だった。日本の高級焼き鳥店の串焼1本分の値段か。

■ラフ正月
旧正月の1月23日をはさんで1週間から10日ほどがラフ正月となる。正月期間は村によっていくらか前後するが、正月の間は仕事をせず、毎日お餅を搗く。コチェという竹で作った櫓に吹き流しを付け、地上から2mほどの高さにしつらえられた櫓の棚にお餅や豚の頭を供え、その櫓を時計回りに輪になって踊る。

タイの少数山岳民族、ラフ族はもともとチベット高原から来たらしい。中国雲南省に50万人、ビルマに15万人、タイの10万人、他にベトナムラオスにも住んでいる。タイには19世紀後半に、他の山岳民族に先駆けて流れ込んできたと言われている。ラフは「勇気のある人」、ラフ族はタイでは「ムソー」というがこれは「狩りをする人」という意味だそうだ。

今年もラフの村に住むHさんからラフ正月のご招待を受けた。ラフ族の村といってもチェンライ市内から車で30分ほどの距離である。但し、メーコック川沿いの曲がりくねった山道を登る。途中にカレン族の象キャンプがある。この先、未舗装の崖道を通る。崖下に車が転げ落ちた時は、カレン族の村に行って象さんの助けを頼む。縄をかけて車を引っ張り上げてもらうのだが、その費用は一回に付き500バーツ(千円ちょっと)ということだ。

Hさんの家で夕食をごちそうになったあと、昨年と同じく車で10分ほど離れた奥さんのお姉さんの村に行く。村の規模が大きいので踊りが一段と華やかという。お姉さんの家は竹壁、竹床のラフ様式、居間に囲炉裏が切ってあり、焚き火で餅を焼き、お茶を沸かす。電気はきているが囲炉裏から上がる炎が明るく感じるほどの屋内照明。

ラフの踊り(写真一番上)は夜8時過ぎに始まる。太鼓、竹笛、シンバルで調子をとる。村人が輪になって時計回りにステップを踏む。黒を基調とした民俗衣装がシックである。丁度日曜ということで、街や学校の寮に行っていた若い人が戻ってきており、踊りの輪は昨年より大きい。ひっきりなしに爆竹が鳴り、3歳位の子供でもライターを持ち歩き、花火を点けて振り回す。爆竹は直径1,5センチの火薬玉で、爆竹というより超小型爆弾といった方がいい。腹に響くほどの爆発音と白煙が出る。踊りの会場は白煙で霞がかかったようになる。踊りは夜を徹して続くと聞いたが10時過ぎには村を後にした。

■広域ラフダンス大会(写真上から2番目以下)
チェンライ市内から約1時間、メーチャンの大きなラフ村で広域ラフダンス大会があった。当日は会場へ通じる道にラフの民族衣装を着た美少女が何十名も並んでいる。まず竹筒の冷たい水を我々の手に注いでくれる。次にタオルを持った少女のところでぬれた手を拭く。その先はボール持った少女達が待っていて花びらやお米を振りかけてくれる。ちょっと恥ずかしかったが嬉しい歓迎だった。

山を削った広場に15mはある長い竹でコチェが立てられている。
瓢箪と長短の竹を組み合わせたノッという笙の笛、ずん胴の太鼓、それからシンバルにあわせ、数十人の老若男女が手をつないで踊る。女性はもちろん若い男性の中にも白粉でお化粧をしている人がいる。ラフの踊りの面白さはステップの妙にあるようで、ノッを奏でる音頭取りに合わせて、ステップを巧みに変化させていく。ステップの踏み方は32通りあるという。

昨年にも増して多くの人々が集い、また露店や見物のファランも多かったように思う。伝統芸能は民族の絆を強め、その誇りを喚起するものである。こういった祭りが毎年、盛大に行われることを願ってやまない。