





兄が来た
■弟根性が抜けない
6月の中旬に兄がやってきた。約3週間の滞在予定、特にどこかに出かける予定はなく、タイマッサージと温泉、そしてトロピカルフルーツを食べる、が目的と言えば目的かもしれない。我が家はシャワートイレ付きの部屋が2室、それに居間とダイニングキッチンの造りだ。兄は使用している部屋はクイーンズサイズのWベッドとシングルベットが入っている。今年の2月に息子と彼の後輩の2人がいた。また昨年の秋には義妹と娘、孫2人の4名が寝ていたから狭いけれど何とかGHの体裁は整っている。
日本からの来客は嬉しい。日頃、日本語を話す機会はそれほどないから言葉が通じる、がまず嬉しい。それに辛子明太子、緑茶、煎餅などの土産が貰えることも嬉しい。兄とは我が子よりは付き合いが長い。普通は嫁さんができて家を出ると兄弟はバラバラになるものである。自分の人生、結婚して家を出るまで30年間、兄と同じ屋根の下で暮らし、そのあと30年はお互い働いていて顔を合わせることは稀だった。自分が60歳になってひょんなことから母、兄とともにチェンライでまた共同生活を送ることになった。社会人の頃は顔を合わせても他人行儀な付き合いだったように思う。
でもチェンライに暮らしていると、中学や高校時代に勉強をみてもらった記憶がよみがえり、何かと兄を頼ったり、指示を仰いだりするようになった。自立した個人だと自分では思っていたが、兄といると小学校時代の自分に戻ったように弟根性が顕れてきたように思う。
■タイの常識
母が亡くなって以来、兄は東京、自分はチェンライが本拠となっているが、兄も自分も年に1,2回、タイ日を往復している。両国のいいところ取りだ。帰国した時は国保の健診や歯科治療を受ける。年金や医療費還付などの諸手続きもあるが、なんといっても夢にまで見る和食が楽しめることが嬉しい。年長の故をもって兄が勘定を引き受けてくれる。食事が一段と美味しく感じられるときだ。
日本でご馳走になっている割には、チェンライで自分がレストランの支払いをしているかというとそうでもない。弟は兄の世話になるのが当然、とは思っていないが多少は心苦しい。
タイでは子供が父母に仕送りとか小遣いを渡す、が一般的だ。ブアさんも昔は200B、500B、とことあるごとにお母さんに渡していたそうだ。ブアさんは自分が帰国して息子や娘と会ってきたというと、ちゃんと小遣いを子供から貰ってきたか、と聞く。貰うどころか奢るばっかりだよ、というとなんと親不孝な子供ばかりかという顔をする。
タイでは富裕な人はそれなりの金の使い方が要求される。つまりお金持ちは貧乏な人へのタンブン、つまり施しをすることが常識。収入、貯金額など聞いたことはないが、我々兄弟の場合、兄はコンルアイ(お金持ち)、自分はコンジョン(貧乏人)ということでタイ方式だと考えることにした。
■遺伝的形質を心配
兄弟揃って後期高齢者、兄はここ1年、体の衰えが激しいという。先ず体重が4キロ減った。左耳の聞こえが悪い。物忘れ、思い違いが増えた、等々。
兄と自分は体つきが似ている。外見ばかりでなく体質も同じではないか。兄の体調不良を聞くと、自分も2年後はこうなるに違いないと心配になる。同じ老化現象を辿るとしても今から対策を講じれば兄のようにならないかもしれない。そう思って兄の健康話をまじめに聞いている。ただ兄は一人暮らしだからちょっとの体調不良でも最悪のことを考えて落ち込むのだろう。もう80になるが週1のペースでテニススクールと太極拳に通い、時にはプールに行っている。それにスタスタ歩いて買い物に行き、自炊生活を送っている。歩行も覚束ないご同輩も少なくないことを考えると、兄などまだましなほうではないか。
最近は近世から近代に亘る日本と世界の政治の流れに興味を持ち、図書館で本を借りまくってかなりの深みに入っているようだ。その勉強の一端を弟に教えてくれる。子供の頃のパターンに戻っているような気分になってしまう。「でもこの年になってなー、俺ってどうしてこんなにモノを知らずに生きてきたんだろうと悲しくなる。無知のため皆にみんなに迷惑かけたんだなー」と俯く。
身体、精神、何事も悲観的にとらえるようになっているのは「老年鬱」の始まりではないか。チェンライののんびりした生活で元気を取り戻してほしい。来タイ5日目に言った。「東京にいた時より体重が2キロ増えた」。ちゃんと3食食べれば体重増えるよ。体重増加で気分が前向きになれば何よりだ。