






写真を撮りまくる
■努めてシャッターを
40余日に及ぶ南シナ海、アンダマン海の旅では2000枚以上の写真を撮った。何時も旅行にはカメラ、ニコンクールピックスP900 を持参する。旅先でかなり写真を撮ったつもりでも家に帰ってPCで再生してみるとほんの十数枚ということが多かった。撮影が目的の旅はしたことがないし、目の前の光景に気を取られてシャッターを切るチャンスを逃していたのだろう。それよりも写真を撮ろうという気がなかったに違いない。
フィルム写真で育った自分にとっては、シャッターを切る、は緊張の一瞬だ。12枚撮り、或いは36枚撮りの貴重なフィルムが無駄になるかもしれない。現像代だってバカにならない。入魂1シャッターの気持ちだった。撮影対象だってよっぽどこれは、と思わない限りファインダーを覗くという行動はとらなかった。そういった往年の癖が抜けないので、気軽に何でも撮るという行動はとれなかった。要するに貧乏性なのであろう。
でも今はデジカメ、何百枚撮ろうとコストはかからない。海辺の旅行であるからインスタ映え(あまり好きな言葉ではないが)する場所に行くだろう、P900には32ギガのSDカードも入っている。不必要な画像はどんどん消去すればいいのだから、とにかくシャッターを切る、面倒くさがらずに少しでも気になれば何時でも何処でもカメラを向ける、を心掛けることにした。
■量をこなす、が大切
写真が趣味という友人がいる。一緒に旅行したことがあるが同じ風景やポートレートをとっても彼と自分の写真は違う。いわゆる写真から湧き出るインパクトが違うのだ。彼は携帯、自分は自慢ではないがニコンのP900、何が違うのか。要するにセンスの問題なのだろう。
昔、ワイナリーのご主人に「ワインの味がわかる、わからないは天性のものですか」と尋ねたことがある。ご主人の答えは「たくさんのワインを飲んでいけば誰でも味がわかるようになります」というものだった。ワインもさることながら自分もタイに住んで、何種類ものバナナを食べているうちに美味しいバナナ、種類ごとの風味もわかるようになった。マンゴーは500種以上あると言われるが、我が家のマンゴーは種類も出自も市場のマンゴ-とは違うことがわかる。旨くないマンゴーは食べ残すという日本では考えられない贅沢もするようになった。これも量を食べたお蔭。
味覚だけでなく写真も数多く取るうちに何となく感覚が身に付くものだろう。前述の友人だって膨大な量のフィルムを消費したに違いない。自分も先日、日本の友人に「中西さんの写真もだいぶマシになったよ」と褒められた。愚直にシャッターを切り続けた成果であろうか。
■後継機続々だが
ニコンP900 の上市は2015年3月だった。当時は超望遠83倍と大評判だった。その後、P950、P1000 、と後継機が出て、2025年2月にはニコンクールピクス1100が発売された。光学ズーム125倍、手振れ防止機能も強化されているという。
• 月のクレーターや星空の撮影
• 野鳥や動物の自然な姿を遠くから捉える
• スポーツ観戦や鉄道撮影で迫力のあるショットを撮る
といった特徴はP900 と変わらない。また1605万画素の解像度も同じ、重量が1.4キロと400グラムほど重くなっている。価格は14万円ほどである。レンズ付き1眼レフからの買い替えならばいいかと思うが83倍から125倍への光学ズーム改良がどれだけの利点になるのかよくわからない。月のクレーターを撮るのは1回だけ、あとは飽きると使用者のネット書き込みにもある。
離島の旅では夕焼けの写真を多数撮った。望遠機能で遠くの島と夕焼けを間近に、また水平線と空を遠近合わせて複数枚撮った。フォトショップによる写真加工で済む問題かもしれないが、やはり同じ位置からの撮影であっても望遠機能を使った写真はそれなりの迫力があった。何千枚か撮り続けるうちに「自分の型」ができていくかもしれない。
尚、旅の写真を見ていくうちにビキニのパツキン女性の写真が何枚もあることに気付いた。恐らく太陽光の少ない北欧からの観光客であろう。これは近くに行って、「写真、撮らしてもらっていいですか」と断って撮ったものではない。
豆粒にしか見えない人を光学83倍で盗撮したに決まっている。日本でも日比谷公園などで遠くのベンチに座っている家族連れなどを撮影したことがある。おにぎりをほおばっている自然な写真が撮れた。でも個人情報とかセクハラだとか何かとうるさい昨今である。超望遠のカメラを持っているせいでお縄を頂戴するといった事態も懸念される。
いいカメラは危険と隣り合わせだ。