チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

2020年の始まり

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メーコック河畔で行われたアセアン・フラワー・フェスティバル

 

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蘭がきれい

 

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黄色い蘭

 

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ごく一般的

 

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よく見るが妖しい雰囲気の蘭

 

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移動式のATMも来ていた。日本では見たことがない。

 

 


2020年の始まり

■日本人に生まれた幸せ
明けましておめでとうございます。令和2年、2020年代最初の年、皆さまにとりましてよき年となりますようお祈り致しております。本年も宜しくご教導のほどよろしくお願い申し上げます。

今年は4日が土曜、5日が日曜だったから年末12月28日から9連休という人も多かったのではないか。とすると本日6日が仕事始めになる。初出勤で皆さんに「今年もよろしく」などと挨拶を交わしていたのは遥か昔になる。更に昔を辿れば、会社で日本酒の鏡割があって、みんなで升酒を飲んだあと上司の家に押しかけて、おせち料理をご馳走になったこともある。思えばいい時代だった。もう人生、引き算でしか物事を考えられない年代だから、未来をどう生きていくべきか、よりも、美化された過去を思い出すことに多くの時間を費やすようになった。ましてやめでたい正月の酒だ。朝酒に多少酩酊し、半世紀前の社会人生活や若かった父が懐からお年玉と書かれたポチ袋を取り出したときの仕草などをとりとめもなく思い出す。ボケが始まっているのでは、と言われれば、当たらずとも遠からずである。でもエンドルフィンが脳内に満ちて、このまま逝ってもいいと思うような幸福感に包まれるのであれば、これも一つの終活のあり方ではないか。

「我富めり新年古き米五升」(芭蕉
小学校の林間学校には米持参で参加したという団塊世代である。コメが貴重品だったという時代をわずかに記憶しているから芭蕉の嬉しさも理解できる。五升というと1月くらいは食い延ばせる量だろうか。チェンライでは搗き立ての日本米を食べている。5キロ200バーツ(約700円)だ。タイに住めば米の心配はない。我富めり、というほどではないが、何とか雨風を凌ぐ家があり、米はもとより、衣食に事欠く懸念もなく暮らせる。それも10年以上前から額に汗していない無為徒食の徒なのに、だ。そういった人間にこのような生活が待っていたとは想像もしていなかった。日本人に生まれたことを感謝せずにはいられない。
「初春にうかみし富士の美まし国」(虚子)

■季節感
日本でもクリスマス用品と正月飾りが一緒に売られていると聞いた。段々季節感が薄れているのだろうか。チェンライではメリークリスマス&ハッピーニューイヤーが普通だから新年になってもツリーが飾られている。何年か前の正月にジングルベルのメロディーが流れる和食店でおせち風料理を食べたことがある。まあケジメのない国だから、と思ってもかなり居心地の悪い思いをした。クリスマスソングが鳴り響く正月では俳句の季語はどうなるのか。

コメでも田打ち、田植え、青田、稲刈り、稲株、新米など俳句の季語には事欠かない。しかしチェンライは水さえあれば年に3度コメが収穫できる土地柄である。年末年始でも代掻き、田起こしをしている田んぼもあれば、田植えを始めている田んぼもある。いつでも田植えでは稲作全体が季語にならない。チェンライでは常時種籾を播種できるから、育ち具合がバラバラの稲田が混在することになる。こちらに移り住んだ頃はそういった統一を欠いた田んぼにイラついたこともあった。でもタイ生活も今年で12年目、そういった土地柄だから仕方ないよ、と達観できるようになった。それでも、田植え機を使用していながら、苗の条が蛇行している田んぼを見ると、整然とした芸術品のような日本の稲田が懐かしくなる。

おせち料理
年間を通して短パン、Tシャツで過ごせる締まりのない生活であるが、年の初めだけはメリハリをつけたい。正月と言ったらやはりおせち料理でしょう。こう考えるのは自分だけでないようだ。バンコクチェンマイでは日本レストランが多数あり、いくつかの店ではおせち料理の予約販売がある。12月25日締め切りで31日の引き渡しが一般的。奥さん、子供も日本人という駐在員家族が購入するのだろう。チェンライの邦人は奥さん、子供はタイ人という人が多く、需要が少ないせいかおせちの予約販売はない。

仕方がないので、おせちらしきものを自分で作る。丹波の黒豆を栽培している人がいて、黒豆がメインという年もあったがもう手に入らない。幸い今年は到来物の袋入り黒豆があった。昆布巻きもあった。尾かしら付きのタイはティラピアの塩焼きで代用、淡水魚であるが一応、いずみ鯛の和名を持つ。
出汁巻き卵は自分の得意料理。あとは餅と酒があるから、長屋の花見よりは気分が出る。酒を飲みながら、昔、母が作ってくれたおせち料理を懐かしむ。朝から飲むと何もする気にならない。「霞む日も寝正月かよ山の家」(一茶)。こうして非生産的日常は過ぎていく。