チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

益々良くなる我が祖国

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益々良くなる我が祖国

■正月の俳句
本日は8日、ネットで知ったが、元日から8日まで、初荷の2日、三が日の3日、七草粥の7日に限らず、毎日その日に因んだ俳句が詠まれている。8日には「松過ぎのまたも光陰矢の如く(虚子)」の句が見える。松の内は7日まで、気分一新。8日のあとは餅間(もちあい)、小正月、骨正月と季語もまばらになる。

4月のソンクラン、タイ正月がタイ人にとっての本当の正月で、1月元旦は、旧暦の中国正月(春節、2018年は2月16日)と並んで少々お祝い度が落ちる。ニイさんも元旦に普通に出勤してきて洗濯機を回していた。日本では正月には神様をお迎えするのだから、やってはいけないことが多々あるらしい。掃除は折角、お出で下さった神様を掃き出してしまうからいけない、水仕事もダメ、カマドの神様に触るから元旦は火を使ってはいけないなど。おせち料理は暮に作っておくからいいにしても、元旦の燗酒、お雑煮は火無しでどうやって用意するのか、と心配になる。そうかなあ、と思うけれど、この年になると昔からの慣習、謂われには素直に耳を傾けたくなる。

3日に和食を、とチェンライ、センタンにある「弥生軒」に出かけた。ガラスの外にはクリスマスツリーやLEDの灯りが点滅し、店内にはサンタが街へやってきたという音楽が流れる。こういった雰囲気の中で茹で卵のてんぷらを齧るのもまた正月らしくて大変よろしい、とはとても言えない。やはりケジメある日本の正月が恋しい、正月3日にサンタでは季語はどうなる。

■本土決戦か改憲
年末年始休暇をもらったお陰で、日頃はじっくり見られない討論番組や時事問題のユーチューブをいくつも視聴した。2017年を振り返り、2018年はどんな年になるのか。皆さん、2018年は激動の年になると言っていた。でも毎年、今年は激動波乱の年だと言っている。自分がブアさんたちに今年はママさんも危ない、と言っていることとあまり変わりない。自分とその周辺は穏やかに過ごせたのだから、今年も同じように過ごせればと思うだけだ。本土決戦はまだ先のことだろう。

専守防衛とは敵が攻めてきたら初めて応戦するということだから「本土決戦」しかありえない。一般人に武器は行き渡らないので、女子供は竹槍を持って敵と戦え、ということになる。憲法9条を守れという人は自分も家族も甘んじて殺される、それとも竹槍特攻に出る覚悟があるということか。今年は憲法改正が発議され、いよいよ日本が普通の国になる一歩が記される年だ。

■上がる評価
年々、日本は良い国になっている。立民や民進党朝日新聞を支持している層は自分と同じ団塊世代かそれ以上の年寄り、これに引き換え、20代、30代の若者は自民党支持だ。先の総選挙でもはっきりしている。選挙結果がおかしく自社のアンケートが正しいと主張している新聞もあるが事実は事実。あと20年もすればリベラル爺婆が激減し、反日政党、マスコミは支持層が細って消滅、廃業、目出度い限り。

日本の新聞は書かないが安倍首相の人気は世界ではうなぎ上り。5回の国政選挙をすべて制した、どうしたらそんなに勝てるのか、欧米の首脳が聞きに来るくらい。トランプ大統領はシンゾーの言うことは全て信用するそうだし、日米首脳会談のあとは各国からミスターアベは何と言ったかという問い合わせ電話がトランプ氏に掛かってくるという。インドを訪問した折、「首相は大歓迎を受けましたね」という問いかけに対し、安倍首相は「私が歓迎されたのではなく、日本が歓迎されたのです」と答えている。退職老人がタイでモテているのは、これまで先人が築きあげた評判のお陰、と日本国に感謝すべきと思う。

■国力は総合力
国の評価は経済力もさることながら、文化、歴史、個人の、組織の振る舞いなど総合力による。金だけというならば外国で金をばらまく中国やサウジ、韓国の人々がもっと尊敬されるはずだ。文化の面でも和食は世界中、チェンライでも数え切れないほどの店が進出している。テレビのアニメはほぼすべて日本製、ゲームも日本発。

元旦にワット・シューンタワンに詣でた。暮にチャリティランのトゥーンが来た寺だ。国際瞑想センターとなっており、世界から修行者が来るという。この寺の境内の竹林、竹垣は日本の寺を想起させる。タイの寺には珍しく「絵馬」があり、タイ人が願い事を書いて奉納している。
タイ国内で高名な当寺住職、タンウォ―ワッチャラミーティー師は何度も訪日しており、邦人からの寄進も多額とか。寺の佇まいも方式も日本に学んでいることは明らか。日本文化がタイの寺にまで及んでいるかと思うと感無量だった。



写真は境内の竹垣、山門も何となく日本風、絵馬、タンウォ―ワッチャラミーティー師、寺への案内板