年の暮れ
■年の終わりに
令和元年もそろそろ終わる。2009年にチェンライに移り住んだから、タイで過ごす年の暮れは今年で11回目だ。介護ロングステイが終わってからもチェンライに住み続けている。そんなにチェンライの暮らしがいいのか、と問われても手放しでいいですとは言い難い。新鮮な刺身や寿司、霜降りの牛肉は食べられないし、出入国管理事務所、銀行、商店の対応もいい加減だ。逆走や蛇行運転のバイク、車にイラつくこともある。突然の断水、停電もちょくちょくある。
何年か前に帰国した折、偶々、出会ったネパールの女性から、「どうして日本に住まないのか、日本ほどいい国はないんですよ」と怒られたことがある。確かに東京の便利さ、文化、民度の高さ、清潔さ、安心、安全等々、日本ほどいい国はないし、自分だって人並みの愛国心は持っている。電車内での会話を聞くともなしに聞けば、これが日本語だから全てわかる。言葉がすべて理解できる、こんなことが素晴らしいと感じるのも、10年余を異国で過ごしているからだろう。
今年、東京の夏は暑かったとか。丁度、兄が7月から9月まで帰国していて、暑さのため、体調を崩しかけたそうだ。チェンライでも4、5月の暑季は最高気温40度を越える日があるが、陽が落ちると22=23度に下がる。東京と違って熱帯夜はないから、冷房がなくても何とか過ごせる。
日本では脳出血の発症は冬に多い。これは低温でで血圧が上昇するからと言われている。特に老人は危ない。チェンライの12月は例年になく寒く、最低気温が5度前後という日があった。それでも日中の気温は24,5度に上がるから、1日中毛布に包まっている必要はない。それに5度の厳寒期間は1週間ほど続いたものの、下旬には最低気温、14,5度、日中は30度前後になっているのでTシャツ、短パンで過ごしている。
こうしてみると、気候に関してはチェンライに軍配が上がるのではないか。日本を出る前、余命3ヶ月と言われた母が10年も生き永らえたのもチェンライの穏やかな気候あってのことではないかと思っている。
■忘年会あれこれ
12月は師走、普段は落ち着いている先生も忙しく走り回るからという。日本にいたころはジングルベルの曲が街に流れると何か追い立てられるような気分になったものだ。落語の「芝浜」ではないが、年末の勘定を取りに来る人もいないのにせわしなかったのは、忘年会という美風があったからだろう。取引先、学友、同期、課内、部内、飲める日はハレの日で、飲ませてもらえると思うとそれだけ嬉しくて率先参加していた。お前がやると料理より酒が多いといった不満の声をものともせず、宴会の幹事は進んでやっていた。今時の若者の中には忘年会の幹事に指名されたことを苦にして会社を辞めるものもいると聞く。団塊世代の自分としては誠に隔世の感に堪えない。
でも今は酒などいつでも飲めるわけだから、なにも12月に限らなくても、と忘年会自体が下火になっているのではないか。チェンライ日本人会も10年前は忘年会をやっていたが、今年はなかった。日本人会の老齢化が進んで、飲める人が少なくなってきたことも中止の理由の一つだろう。誘われれば断らないつもりであるが、酒友が生活習慣病になっているのでお誘いもない。かくいう自分も今年の5月に心臓のステント手術をして以来、酒を控え、時にはドライデーもあるという健康な日々を送るようになった。
■病気自慢
12月は寒いこともあって長い旅には出なかった。よって週6日ベースでコートに出勤、ステント手術をして以来、節酒に努め、体重を6㎏落としたので体が軽くなり、以前は追いつけなかったボールにラケットが届くようになった。但し、健康を気にしてのテニスは以前より楽しさが減じたように思う。
団塊の世代の飲み会では年金、健康、終活の話題で盛り上がるそうだ。なかでも健康は誰でも自分の一番の関心事、A1c値が7.2もあってね、私なんか9あったから医者からよく歩いてこられましたね、と感心された、とか、尿酸値を下げるにはヨーグルトが良いそうだ、いや、サプリのXXが、と盛り上がる。年を取れば皆、「飲む、打つ、買う」の生活。即ち、薬を「飲む」、注射を「打つ」、新聞、テレビで見たサプリメントを「買う」の3拍子。
そういった友人のメールに我が日常を返信すると健康自慢と受け取られかねない。兼好法師は友にするにわろき者7つあり、の一つに「やまひなく身強き人」をあげている。それでなくても少ない友人が更に減ってはいけないので、返信には気を使ってしまう。
というわけでブログ同様、締まりのない1年となりました。本年も皆さま方には大変お世話になりました。厚く御礼申し上げます。年末年始のお休みを頂きまして1月6日から配信を再開したいと存じます。それでは皆さまにおかれましては良きお年を迎えられますよう、北タイの片隅よりお祈り申し上げております。