チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

マニチャン・ゲストハウス

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マニチャン・ゲストハウス正面

 

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メコンの渡し舟

 

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少し近づく

 

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もう少し望遠で近づく

 

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渡し舟から下りてきた親子、望遠で同じ場所から撮影

 

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シーサワンウォン通りを歩くファラン



マニチャン・ゲストハウス

■評価Aのゲストハウス
マニチャンGHの主人、アンディは上海のパソコン教室で10年教えていた。生徒は上海のお金持ちの子弟、並びに日本のビジネスマンは主体だったとか。コンピュータエンジニアだから、自分で作成したイラスト市内絵地図を呉れた。裏面には郊外の名所、クワンシー滝、ナムドン公園等への行き方の他に、メコン川を渡るには、朝の托鉢の仕方、更には簡単ラオス・エチケットまで載っていて観光客の役に立つ地図である。GHの中庭には大きなテーブルがあり、建物の壁にアゴダランク、8.9の行事があった。宿泊予約サイトでは宿泊客の反響を元にホテルに点数を付けている。10点満点で8以上であれば評価Aのホテルと言える。GHで8.9の高評価は初めて見た。
宿泊者のコメントはhttp://www.manichanguesthouse.com/Welcome.html とか
https://www.booking.com/hotel/la/manichan-guesthouse.ja.html で見て下さい。


ルアンプラバンの多くの宿泊施設の看板は、ラオス語、中国語、英語の3か国語表記となっている。でもマニチャンホテルには中国語がない。アンディに中国語の表記がないところを見ると、中国が嫌いなんじゃない?と訊ねると「ウン、あまり好きでない」。上海の10年間でホトホト中国には参ったという。アドミニストレーションがめちゃくちゃだった、というが約束事が全く守られないということらしい。

でもこのGHに中国人観光客は来ないの?と聞くと、来るけれども歓迎はしないという。どーして? 以前、中国女性が2人、2室予約して泊まった。ところが朝になってみたら、1部屋に2人、計4人泊まっていた。ハイシーズンで、人数によって宿泊費が変わることを宿泊規約を見せ乍ら説明した。かなり不満だったようだが、払ってはくれた。しかし、そのあとネットでマニチャンGHの主人に騙されて法外な料金を毟られた、といった悪口を書かれた。宿帳に彼女のメールアドレスが記入してあったので、厳重な抗議メールを送った。それで悪口SNSは無くなったけれど、それ以来ね・・・。

■アンディとの会話
中国に居た頃、よく旅をした。南京にも行ったけれど、The Memorial of the Nanjing Massacreという博物館は凄かったね、と自分の顔を覗き込む。南京大虐殺記念館のことか。

アンディ、まさかあのプロパガンダを信じたわけじゃあるまいな、あの当時、市民は20万人しかいなかったというのに、どうして30万人殺せるんだ。それに虐殺が始まったら逃げ出すのが普通じゃないか。また大量の死体をどう処理したのか。埋めたのか、川に流したのか。南京で被害者の遺骨が見つかったという話は聞いたことがない。川に流した、という話も怪しい。日本軍が南京に入城したのは11月、冬で川にはほとんど水が流れていなかった。だから川に流すことはできなかったし、もし流れたとしても下流の長江流域で夥しい死体で大騒ぎになったと思う。でも20-30万の遺体が長江に浮かんでいたという話は現在でも聞かない。

アンディ、もしあんたが10人、いや、5人ほど人を殺したとしよう。殺した、はいいが、そのあと死体をどう始末する?それも人に知られずに。少し冷静に考えてみれば中国の言う南京30万人大虐殺はウソと分かる。南京入城は確か1937年だったと思うが、当時も、戦争中も、また戦後の東京裁判でも南京大虐殺の話は全く出ていなかった。それが1970年代から急に中国が言い出して、被害者の数も20万から30万、今では50万人虐殺された、と言っている。遺骨が何処からもでてこないのに、だよ。
あの頃の日本軍は貧乏で銃弾は貴重品、敵との戦闘ならともかく、一般住民を殺すために大切な銃弾を30万発も使うとは思えない。とにかく、ヒストリー(歴史)は中国にとっては「プロパガンダ」、ついでに韓国にとって歴史は「ファンタジー」と覚えておいてほしい。

■中庭の討論
マニチャンGHは客室棟と管理棟の間が中庭になっていて、大きなテーブルが置いてある。ここで宿泊客は朝食を摂る。また大きな冷蔵庫があり、そこに入っているビールやソフトドリンクを客が自由にとって、備え付けの帳面に記入し、チェックアウトの時に精算する仕組みだった。

夜の散歩から帰って、冷蔵庫から出したビールを飲み始めるとアンディが出てきて話し相手になってくれた。自分もここ数日、ラオス人相手にカタコトのタイ語会話をしてきただけに、ほぼ自分の思っていることを相手に伝えることができてうれしかった。こんなに自分は英語が話せたっけ、と思うくらい饒舌だった。ディエンビエンフーに行ったということからベトナム戦争、更に大東亜戦争に話が及んだが、アンディは突っ込みを入れながらも真摯に聞いていた。こういった態度がホテル評価8.9の高得点につながっているのだろう。