タイで亡くなると
■死に方で大きく異なる
タイで死んだ場合、「病院や自宅で医師の診断のもと、死亡と判断された場合」と「密室での死亡など事件性が少しでも認められる場合」で遺体の扱いが大きく異なる。前者は病院内での死亡として主として病院が死後の手続きを援助してくれる。後者は病院外の死亡として警察が登場し、法律により司法解剖が行われる。司法解剖に当たって遺族の承諾は必要とされない。
我々の場合、幸運だったのは病院に搬送され、病院で死亡という形になったことである。大腿部骨折の手術を受けて退院して数日、退院後も毎朝、病院から看護師が来宅していたから準入院扱いとなったようだ。これが、普通に寝ていたはずですが気が付いてみたら死んでいました、だと変死扱いで警察がやって来て国立病院に遺体が運ばれて司法解剖される。
何年か前、用水にトラックごと落ちて事故死した友人がいた。彼の場合、衆人環視の道路脇で簡単な検死が行われ、そのあとチェンライ病院で司法解剖された。この時、解剖をする医師の手当てが付かず、遺体は2,3日病院に留め置かれていたと思う。
また、友人の母上は高い場所にあるものを取ろうと椅子の上に乗ったところバランスを崩して転倒し頭部を打って亡くなった。ここでも警察が出てきて、母上の預金通帳から多額の金額が下ろされていないか、周囲との揉め事はなかったか、とまるで殺人事件のような扱いを受け、それでなくてもショックを受けていた家族はとても辛い思いをしたという。
タイでは遺体にそれほど敬意を払わないと言われている。解剖後の遺体がギジギジに縫ってあって遺族としていたたまれない思いをすることがある。解剖後に司法解剖証明書が公布され、この証明書を持って市役所でモラナバット(死亡登録証明書)を発行して貰う。モナラバットがないと遺体の移動はもちろん荼毘に付すこともできない。ところが司法解剖証明書の交付が遅れ、葬式の日取りが決まらない、といったこともままあるらしい。
■モラナバット(死亡登録証明書)
モラナバットは葬儀開始に先立って必要とされる重要書類だ。病院内死亡ということになればモラナバット取得に関して病院がサポートしてくれる、と指南書には書いてある。思いがけない死去だったので実はモラナバットのことをすっかり失念していた。
7日深夜に亡くなって、2時間ほど病院に留め置かれて、8日の午前3時に遺体が自宅へ戻ってきた。7時頃、市内の棺桶屋に棺桶を買いに行った。家に帰ってベッドに寝かされていた母の遺体を納棺、連絡してあった近所の寺に母を運び込んだのが8日の午前中、そうこうしているうちにどこからか棺がすっぽり入る冷凍庫が寺に到着、棺の蓋を開けて冷凍庫に入れる。冷凍庫は大型棺桶といったところ、小ぶりの窓があってそこに内部を照らす明かりが灯り、遺体の寝顔とご対面できる。あまり趣味がよくないとタイ人の葬式では覗き込んだことはないが、もう母の顔も見ることができない思うと、母の穏やかな顔と何度か対面した。
病院では何も書類を呉れない。モラナバットを用意してくれるのか、と8日午後になって病院に行く。病院のアドミッション・オフィスのあんちゃんが2日以内にできるから、できたら電話するよ、と安請け合い、そうかと思って8日はそのまま通夜へ。
■遅ればせながら
翌日、9日に病院からタイ語と英文で書いた書類を手に入れた。何となくこれがモラナバットかなあと思いながら、9日の通夜を終え、10日の告別式と 荼毘の日を迎えた。荼毘に当たって誰も死亡関係の書類について尋ねない。火葬場から家に戻り、病院発行の書類をよく見ると呉れたのは単なる死亡診断書でモラナバットではない。モラナバットがないと遺体の移動ができないはずだがもう母は窯の中だ。
タイの葬儀は無事済んだし、あとは死亡診断書だけで総領事館が死亡届を受け付けてくれれば1件落着かと邦人援護担当部署に電話してみた。えっ、モラナバット無しで火葬しちゃったんですか、と担当者は電話口で絶句。モラナバットがないと総領事館では死亡届受付も遺骨証明発行もできないという。これは大変、チェンライ市役所に走る。
11日、12日は土日、13日は王母様の誕生日の振替え休日、よって母の死去から1週間経った14日から本格的な作業開始、総領事館と市役所の間で何度かファックスのやり取りがあって15日にやっとのことでにモラナバットを発行して貰うことができた。
16日にモラナバット原本持参の上、チェンマイ総領事館に出向き、タイ国内で必要とされる手続きをすべて済ませた。やれやれ
写真は棺桶屋 お棺入り冷凍庫、火葬場にて、最後はモラナバット