チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

生活の変化

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生活の変化

■結構多忙
9月24日に帰国した。日本ではバタバタと葬儀を済ませ、親戚や友人と会ったり、映画を見たりと慌ただしい日を過ごした。チェンライに戻ったらゆっくり休んで、と思ったが、年金機構に現況届に代わる在留証明を提出しなければならず、帰着早々、チェンマイにある日本総領事館へ行った。

本人が亡くなっているのに親族などが代理で現況届を出して年金を貰い続けるというケースが多発して、本人確認が従来より厳しくなった。自分のように日本に住民票のない人は総領事館や大使館で確かにこの人物はタイに在留して生きております、という在留証明書を発行して貰い、それを年金機構に送る必要がある。怠ったら年金振り込みの一時停止、差し止めになるというから大変だ。

総領事館での証明書申請は午前中受付、翌日午後発給が原則だ。チェンライとチェンマイを結ぶ118号線は片側2車線の拡張工事をしている箇所があり、そこは徐行が必要なため、通常より1時間ほど余裕を見る必要がある。午前7時に自宅を出る。10時過ぎにチェンマイ総領事館到着、10時半受付開始ということで受付番号は1番だった。証明書の発給は翌日ではなく当日午後1時半という。遠路はるばる来ているので助かります。

チェンマイで1泊して美味しいものを食べて、ナイトバザールを冷かして、などと考えていたが、今回は一人、兄は疲れたと言って同行しなかった。美味しいものを一人で食べても仕方ないし、と思い、午後一で在留証明書を受けとるとそのままチェンライへ戻った。往復で約400キロ、昨秋、スクータでチェンライ-チャイナート間600キロを1日で走破したことを思うと400キロなど大したことはない。

■ニイさん一人
証明書を書留で年金機構に送ったあとは安心していつもの生活に戻った。朝食後のテニス、原稿書き、ユーチューブ視聴、やることは変わらない。でも生活に変化が感じられる。それはメバーン2人体制が通いのニイさん一人となったことに起因する。先ず、朝、寝ていても7時になれば階下から「キン・カーオ(ごはんですよ)」と声がかかったものだが、住み込みのブアさんがいなくなったので、もうキン・カーオは聞こえない。自分で朝ご飯を作らなければ誰も作ってくれない。それで少し早めに起きるようになった。実は寝ていると兄が用意してくれるのであるが、長幼序あり、いつもお願いするわけにもいかない。お茶を淹れ、前夜の残り物や漬物を出し、お粥あるいはおじやを作る。

8時にはニイさんが来るから安心してテニスへ出かける。昼は麺類を自分たちで作るのであるが、時々はニイさんが昼食を用意してくれる。夜の食事もニイさんが作ってくれる。近くの市場で買ってきた野菜を炒めたものが多い。2人体制の時はブアさんが料理をしていたが、彼女はジェーと言って肉、魚は全く食べない。出汁の素にもカツオの絵が描いてあると口にしない。肉野菜炒めなど作る時、味見ができないわけで、味はワンパターン、買ってきたおかずが中心だった。その点、ニイさんは家族持ちのせいか、料理のバリエーションは広く、味もまずまず、もうこの年になると食欲しか楽しみがないから、有り難いことだと思っている。

■家に鍵をかける
5時過ぎにニイさんは帰るから夜食は以前の6時以降から5時に繰り上げになった。我々の食事が終わるのを待って食器を下げ、洗い物をしてから帰ることが多い。でも休みの日には前夜の食器がそのままになっている。食器洗いはそれほど苦ではないので自分で洗う。以前も洗おうとしたことがあったが、ブアさんがかなり嫌がったのでやめた。自分の仕事を奪われると思ったらしい。

母がいたころは必ず誰かが家にいたので、寝る前の戸締りは別にして鍵をかけることがなかった。今はニイさんの休みの日に兄はゴルフ、自分はテニスのように2人ともいなくなる時は南京錠をかける。鍵は兄と自分とニイさんの3人が持っている。先日、自分が60キロほど離れたソードタイへ出かけている時、兄はゴルフの練習へ行った。カンカン照りだったから、自家製のアンチャンをざるに入れて乾していた。その日はニイさんの休みの日。チェンライの天気はあてにならない。
兄が練習場から帰る時、スコールの前触れの突風が吹いたという。家に着いてみると哀れ、乾燥中のアンチャンは風に吹き飛ばされ、ざるは塀の外に転がっていたとか。アンチャンを摘み取り、ざるに広げた我が労働の成果は無に帰してしまった。

こんな時、母が存命であれば風の気配でブアさんがざるを取り込んでくれたのになあ、と思う。母の死を切なく思う瞬間でもある。



写真はアンチャンとソードタイの朝市から