

やっぱり蘭

同上



今年も終わる
■餅と酒だけは
チェンライは乾季らしい天気が続いている.最低気温が15-16度に下がる日もある。最高気温は27度ほどであるから暑くもなく寒くもなく、湿度もそれほど高くないのでまるで夏の軽井沢にいるようだ。といっても夏の軽井沢は知らないので多分、こういった爽やかな天候なのだろうと思う。
暦の上の正月元旦はタイでも祝日であるが、タイ人にとっては単なる旗日という受け取りだろう。タイ人にとっては元旦より2月の中国正月(春節)、4月のタイ正月(ソンクラン)のほうが重要である。だから日本のように正月を迎えるために暮に大掃除を始めたり、車にガソリンを満タンにしたり、お節料理はどうするかなどと心忙しく立ち回るということはない。
タイにいるのだからタイの習慣に従って、とは思うがやはり日本人、暮れは部屋を片付け、正月の餅と日本酒くらい用意しなければご先祖様に申し訳ない。何も用意せず、暮れ、正月をクイッティオやカオマンガイを食べて過ごすとしたら日本人としてけじめを忘れた非国民と指弾されても仕方がない。
餅は日本人会で搗いた餅を分けてもらい、酒は9月末にやってきた娘から貰った大吟醸を大事に取ってある。それなりの正月を迎えられるのではないか。
■年の瀬や川の流れと
暮れになるといつも思い出す和歌がある。俳人、宝井其角は、煤竹売りに身をやつした赤穂浪士、大高源吾に両国橋で出会う。其角は落ちぶれた源吾と年の瀬の寂しさを重ねて「年の瀬や川の流れと人の身は」と詠む。源吾は上の句に「明日待たるるその宝船」と続ける。隅田の橋でさらばと別れる二人、其角は「年の瀬や川の流れと人の身は、明日待たるるその宝船」と呟き、そこではたと膝を打つ。いよいよ赤穂浪士の討ち入りか、本懐を遂げてくだされよ。歌舞伎でも有名な場面だが、この逸話は史実ではないそうだ。でも大高源吾は俳人としても知られ、宝井其角との交わりがあったことは本当のようだ。
自分は異国の片隅に逼塞する独居老人、流転極まりない人生というわけではないがおのれの身を川の流れになぞらえて「年の瀬や川の流れと人の身は」と心の中で自分なりに寂寥感を味わう。でもそれは一瞬のことで下の句、「明日待たるるその宝船」を思い出して、今年はこうだったけれど来年はきっといいことがある、と元気を奮い起こす。
それでは何が自分にとっての宝船なのか、と自問してもよくわからない。健康でいられること、経済的に不如意にならないこと、できたら旅に出て非日常の時間を楽しむこと、そんなところだろうか。飢えず、凍えず、雨露凌ぐ茅屋もある、これで充分なはずだが欲にはきりがない。来し方、行く末、安楽の境地とは何かなどと考えるのも一年の締めくくりだからだろう。
■暮れの風景
仏教国ではあるがタイでもクリスマスツリーがあちこちに飾られている。日本ではツリーに脱脂綿で雪の飾りとするがこちらでは雪をイメージさせる飾りは全くなく、金や銀の玉、並びにきらきらするリボンや電飾で樹脂製のもみの木を豪華に彩る。
タイの子供にもサンタクロースは来るのだろう。自分は純真だったというか抜けている性格だったのかどういうわけか小学生の4年生になってもサンタクロースの実在を信じていた。中西はサンタクロースがホントにいると思っていたんだってよ、とクラスの悪童に揶揄われた。若い頃は屈辱と思ったが、この年になってみれば、世の中そういう子がいたっていいんじゃないかなどと思う。
様々なこと思い出すツリーかな、チェンライでは12月25日が過ぎてもツリーはそのままだ。松の内、下手したら2月の春節の頃までツリーを片付けない店もある。
西欧でも「メリークリスマス&ハッピーニューイヤー」というカードを交換するから年末と新年は継続した期間なのかもしれない。新年にチェンライの和食店に赴き、正月料理らしきものを食べたことがある。でも食事中、店内に流れていた音楽は「ジングルベル」だった。あの違和感は忘れられない。
日本なら12月26日にはクリスマスツリーは姿を消し、街角の露店で松飾が売り出され、会社や豪邸の門前には法被姿の職人が門松の据え付け作業を始める。年神様を迎える準備だ。正月の準備でアメ横はもちろん近所のスーパー、商店でも「安いよ、安いよ」の声に急き立てられるように人々が蒲鉾、黒豆、カズノコなどを買い求める。
ケジメのない異国にいると日本の暮れの風景をたまらなく懐かしく想うことがある。
本年も拙いブログにお付き合い頂きどうも有難うございました。年末年始のお休みを頂きまして1月6日から配信を再開したいと存じます。それでは皆さまにおかれましては良きお年を迎えられますよう、北タイの片隅よりお祈り申し上げております。