チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

母の1年ビザ取得

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母の1年ビザ取得

■厳しくなったのは軍政の影響か
この旅券は有効であり、タイ国に入国していいですよ、という証書がビザ(査証)である。査証は在留許可(ないしは滞在許可)と混同されがちだが、査証が入国申請を行うための要件の一つであるのに対し、在留許可は『入国するため、或いは入国後滞在を続けるための資格』である。混同の原因として、一般的に査証の項目に滞在目的・滞在資格が併記されていたり、また一部の国では査証と在留許可が同時に与えられることが挙げられる。

厳密にいえば上記の通りだが、タイでビザと言えば観光ビザは60日、ロングステイビザは1年というように在留許可を意味する。我が家族はノンイミグラントO-A(ロングステイ)というカテゴリ―のビザで1年毎の更新だ。更新には本人出頭が原則だが、母はタイに来た当初から入管に出向いたことがない。行けないのだから仕方ない。医師の診断書とベッドに寝ている母の写真を添付してビザを更新してきた。ビザ申請に必要な銀行の残高証明も通帳と診断書で発行されてきた。

昨年から銀行の残高証明書発行に関する法律が変ったとかで、従来の方法では証明書発行が拒否されるようになった。軍政になってから銀行、入管はもちろん警察の取締りも厳しくなってきたように思う。一般的に独裁政権は外人をそれほど歓迎しない。嫌なら帰国して下さい、だ。それにビザは基本的に相互主義、日本国はタイ人に対し長期ビザを出さないのだから、タイでロングステイが可能であるのはタイ政府のお情けによるものだ。相互主義を貫徹しようと言われれば出ていくしかない。昨日と同じ日が今日も、今日と同じ日が明日も、と考えるのは甘いというべきか。

■タンブン
昨年もそうだったが、母のビザ更新に際しては多くの人のお世話になった。タイ人はもとより、Sさん、Iさん、ランパンのYさんには助言並びに助力の申し出を頂いた。日本からの戸籍謄本到着を待つ間、ブアさんが入管と法律相談所にお礼に行こうという。日本の感覚では必要ないと思うのだが、郷に入りては郷に従え、だ。法律相談所の女性弁護士には炊き立ての日本米をどんぶりに一杯、それに磯自慢とかいうフリカケを一袋、さらにブアさんの姉さんが作った無農薬キャベツ1個、こんなもので、と自分は思ったが、弁護士さんは贈り物に狂喜、どんぶり飯をこれほど喜んでくれる人は珍しい。親日家だから日本米と聞いて嬉しかったのだろうか。日本のフリカケもタイ人には人気のようだ。困ったことがあったら何時でも来てね、こちらまで嬉しくなる。

入管には茹で玉蜀黍を10本ほど持っていった。日本のお役所だったら絶対に受け取らないと思うが、担当してくれた係官が相好を崩してブアさんからまだ暖かい玉蜀黍を受け取った。並んで窓口業務をしている女性係官たちもそれを見てニコニコしていた。

■なんとかビザ取得
銀行で残高証明発行を拒否されてから2週間後、総領事館の謄本翻訳書類等を揃えて入管に出向いた。8時半に到着してもらった整理番号は7番、ラッキーセブンか。窓口は4つあって、どの係官が担当するかわからない。実はどの係官が書類を受け取り、審査するかは重要だ。前はちょび髭の40歳前後の係官がいて、この人は大雑把で親切、書類の不備を見逃してくれることが多く、チェンライ邦人の間で評判がよかった。女性係官はまじめであるが、少しの不備も見逃さない。先日対応してくれた眼鏡の男性係官だといいな、と思っていたが、中年の女性係官が担当となった。ちと心配と思っていたら、案の定、「あ、これ銀行の残高証明が付いてませんね」、あのー、総領事館の親子証明があればいいと聞いて、これを、などとモゴモゴ説明し始めたら、近くにいた支署長と眼鏡係官が、ホレ、こないだ玉蜀黍をタンブンしてくれた日本人だよ、と助け舟。あとはスムーズに事が運び、10分ほどで母のビザを受け取ることができた。但し、有効期間は子供である兄のビザと同じく7月まで、7月の更新で兄と同じく1年ビザとなるらしい。書類も同じものを揃えればいいようだ。ビザ発給に際しては窓口備え付けのカメラで本人の写真を撮るのであるが、兄が母の写真を胸に持って写真撮影をされていた。これは今年からの手続きのようだ。

外国にいるのだから何事も日本のように順調に物事は進まない。でも最終的には何とかなる。楽観的になることも悲観的になることもいけない。今年はうまくいったが、来年はわからない。こんな心配をよそに母はベッドの上で穏やかに眠っている。



写真はパヤオのシーコムカム寺院。団地のタンブン。