チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ9年6カ月

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介護ロングステイ9年6カ月

■老々家族
ここ2,3年、7月は高松から来る弟夫婦がチェンライに滞在しており、3人兄弟が揃う。弟夫婦は同じ団地内に1軒家を年間通して借りている。朝8時に我が家に母を見舞いに来る。弟の嫁さんが母の傍らに横たわって何かと話しかけてくれるのであるが、母の反応ははかばかしくない。一通り話し掛けが済むとお茶を飲み、そのあと、兄、弟夫婦、自分の4人でラジオ体操をする。携帯から「ラジオタイソ―、ダイイチー」の音楽が流れてくると、小学生の時の夏休みを思い出す。朝、広場のラジオ体操に出ると○の中に「出」と書いてあるハンコを押してくれた。いくら集めてもなにも貰えなかったと思うが、ハンコを押してもらうのが好きだった。

数年前は、体操する4人を眺める母に何らかの反応があったが、今はぼんやりとしているだけだ。何事にも反応がないか、というとそうでもない。今朝もニイさんが「ママさんは100歳まで生きる、どうしてかというと食事の際、もっと欲しいと口を突き出す仕草をする」と報告してくれた。人間、ご飯が食べられるうちは死ぬことはない。90歳近くで亡くなった叔父は「昨日から飯が喉を通らなくなった、もう死ぬと思うから挨拶しておくよ」という本人からの電話があってから1週間ほどで亡くなった。
食欲の衰えない母が100歳まで生きたら息子はみな後期高齢者、悪くすれば逆縁ということにもなりかねない。まあ人生一寸先は闇、今は親子元気で暮らせまずは仕合わせと感じている。

■旅券と1年ビザ
今年の2月に母の新しい旅券をチェンマイ総領事館で交付して貰った。5年前の旅券交付の時も今回も母は寝たきりだから、総領事館に出頭できない。でも署名も含め全て兄の代筆で本人がいなくても旅券発給、受け取りには全く問題なし、本来は領事さんが母の存在確認のため我が家に来られるということであったが、それもなかった。大阪では120歳になる母親の年金を受給し続けていたという例があったそうだ。品川区の我が地元では、あの兄弟はもう亡くなっているお母さんの年金をもらい続けているらしいという噂が広がっていた。この分で行くと次回、98歳の旅券更新時には本当に領事さんが我が家にお見えになるかもしれない。

タイ在留許可を意味する1年ビザの更新は本来4月であったが、申請に必要とされる預金証明の発行が銀行に拒否されたため、一時はどうなることかと頭の毛が抜けるほどの心労があった。でも母と兄の親子関係を証明する書類があればビザが下りることがわかり、戸籍謄本を取り寄せたり、総領事館で英文証明を発行して貰ったりと多少のすったもんだはあったが、母のビザはなんとか下りた。本来は来年の4月までの1年ビザを呉れるはずであるが、親子関係のある兄のビザ有効期間に合わせて今年の7月まで、つまり3ヶ月有効のビザとなっていた。今月は兄の1年ビザ申請と合わせて母のビザも申請する必要があった。

■母の1年ビザ申請
ここ数年、特に軍事政権になってからビザ申請が厳しくなってきたように思う。預金証明の発行にしても毎年のように様式や手続きが変わる。前回は法律が変ってこれまでのやり方は禁止になった、だから寝たきりのママさんには預金証明は出せない、この一点張りだった。

4月時点で、親子関係を証明する書類さえあればママさんの1年ビザはおりますよと入管の支署長に言われていたが、2,3ヶ月の間に法律が変ったと言われればそれまでだ。旅券、預金通帳、家の賃貸契約書のコピー、診断書などビザ申請に必要と思われる書類を揃えて、兄が2名分のビザ申請に行った。
兄の1年ビザは即日問題なく交付されたが、母のビザは兄のビザ発給の後ということで書類が預かりになった。翌日、兄が入管に行ってみると1年ビザのハンコが押された母の旅券が渡された。ビザ発給要件である預金通帳コピーなど母の預金関係の書類はいらないからと返してくれたそうだ。どうして?、と聞くと「シー・フォロー・ユー(ママさんは貴方の保護下にある)」との答え。要するに兄の預金があれば母名義の銀行預金80万Bは不要ということだ。

拍子抜けするほど簡単に母の1年ビザが貰えた。こういう方法があるんだったら早く教えてほしかったよー、と言いたいくらい。母名義の預金が必要ないのであれば、カリビアンの新車でもと考えなくもないが、ここはタイ、来年になったらどう手続きが変わるかわからない。単に今年は運がよかったというべきだろう。来年も同じでありますように、とタンブンでもしようかという気持ちになる。



写真、4枚目までブアさんの家に生ったマンゴー、5枚目はラムヤイ