チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ビザ延長にヒヤヒヤ

チェンライ花祭りから

同上

同上

同上

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やはり蘭はきれい

 

ビザ延長にヒヤヒヤ

■1年ビザ

何処の国でも入国したらずっと滞在できるものではない。まず相手国の許可がないと入国さえできないことがある。この入国許可を査証(ビザ)という。日本の旅券保持者は世界70ヵ国にビザなしで入国できる。タイにはノービザで30日滞在できる。それ以上滞在するには通常はビザを取得する必要がある。

自分の場合、リタイアメントビザ(O-ビザ)と言われるビザを1年ごとに延長してタイに滞在している。このビザは満50歳以上で、タイ国内銀行に80万バーツ以上の預金がある人、または月6万5千バーツ以上の年金収入がある人。あるいは預金と年金の年間収入を合せて80万バーツ以上ある人が申請できる。要するに就労意志がなくて財政基盤のある人が対象だ。

毎年延長手続きが必要で面倒という人もいるがビザは相互主義が原則である。タイは日本人に30日のノービザ滞在を認めているが、日本がタイ人に15日のノービザ滞在を認めたのは2013年7月で、それまではタイ人は日本に観光に行くためにビザ取得が必要だった。更に日本はタイ人に1年のリタイアメントビザは認めていない。今、自分が1年ごとの延長とはいえ、安穏にタイで暮らせるということは、タイ国のお情けによるものと言っていい。相互主義だから来年はみんな日本に帰って下さい、と言われても仕方がない。この時、日本政府が何とかしてくれるという可能性はゼロと言っていい。

 

■度々のルール変更

毎年のことではあるがビザ延長の申請には神経を使う。何せ、お情けでタイ国にいさせてもらうのだから、申請書類に遺漏がないように気を遣う。申請書類は毎年同じはずである。でも旅券のコピー必要箇所が、年によって、入管事務所によって、担当者によって、その日の気分によって変わる。難癖をつけられて書類を突き返されたら、翌日出なおすことになる。出直しが数度にわたる場合もある。

以前は貸家に住んでいたため、家屋の貸借契約書、大家の身分証明書のコピー添付が必要だった。コピーには大家自筆のサインがいる。サインの色は青インクでなければ、言いかえれば本紙でなければ突き返される。当時は兄や母の1年ビザにも同じ書類が必要だったから、大家さんのサイン入り身分証明書をカラーコピーして青色サインの原本として提出した。上に政策あれば下に対策ありだ。母が銀行、入管に出頭できない理由書となる医師の診断書もカラーコピーで何年か凌いだ。

ブログにも書いたが、ある年、銀行が本人でなければ残高証明書は出せないと言い出した。母は寝たきりだ。窓口の銀行員はルールが変わったの一点張り、本店の偉い人と電話でやり取りしたが結果は同じ。もちろん、入管窓口では残高証明がないと、という。タイ人の口利きで家庭裁判所や怪しげな弁護士を回ったがどうにもならない。あの時は心労で頭髪が全部抜けてしまうのではないかと心配した。だが法王庁にも抜け穴がある。タイも結果的にはチェンライ地裁だかの高官のおばさん(勲章付きカーキ色の制服を着て広い個室にいた)が入管事務所の所長さんに電話をしてくれて、通帳があればいい、で母の1年ビザは下りた。

女中のブアさんは炊き立ての日本米の丼飯とふりかけを高官のおばさんに持っていった。おばさんはオホー、と相好を崩して受け取ってくれた。入管事務所には茹でたての玉蜀黍を10本ほど差し入れた。こっちも喜んで受け取ってくれた。

 

■今年の入管は

十数年前はビザ手続きに際して旅券に500B札を挟んで係官に渡すようにと言われたものだ。古くからいる邦人には常識のようだったが、今は裏金を払う人はいない。

ともあれ、今年の1年ビザの延長は、6カ月の預金証明の取り直しと旅券コピーの不備を指摘されたものの、申請は当日に終わり翌日にビザが交付された。昨年は感染症騒ぎの影響か入管事務所の待合室は人がまばらで申請、即交付に近く、時間も30分ほどだったが、今年はファランや中国人で待合室はぎっしり、10時前に行って呼び出されたのが11時半、書類不備で午後またおいで。昨年までは当日の残高証明でよかったのだが、これから人によっては1年の預金証明(要するに通帳の当該期間の出入金明細の証明)を要求されるようになった。旅券のコピーページは係官によって言うことが違うから、無駄となってもいいから全頁のコピーを持参したほうがよさそうだ。

13時に再度、入管に出向いたところ、待合室はすでに一杯となっていた。ああ、2時間待ちかと諦めかけたら、午前中の係官が手招きで呼んでくれ、最優先で手続きをしてくれた。昔からいる係官で玉蜀黍を喜んでくれた人だったことを思い出した。