チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

勝ち取った成功

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勝ち取った成功

■劣勢だった「水との闘い」
ベトナムに上陸した台風の影響でチェンライの週末は連日の大雨となった。この台風からくる温帯低気圧がが10日ほど早く北タイを襲っていたらタムルアン洞窟の13人は助からなかったかもしれない。まさに間一髪という決断だったと思う。世界では「奇跡の救出劇」と報じていたが、NHK・NEWSWEBでは「奇跡ではなかった!? 13人の救出」で、救出に当たって尽力した人々の知恵と努力を伝えている。
以下、NHKアジア総局の小阪田和也記者のレポートを元にその緊迫した経緯を追ってみたい。

少年たち13人の救出は、まさに水との闘いだった。現地は雨季の真っただ中。洞窟内はところどころが水没し、水の濁りはひどく、流れも急で、序盤の闘いは全くの劣勢。行方不明となった13人を捜すことさえままならなかった。

捜索が始まって5日目に現地入りした記者が目にしたのは、動いているかどうかさえ分からない頼りない排水ポンプの姿。誰もが事態の深刻さをすぐに理解できる状態だった。翌日には、そのポンプも電気系統のトラブルで止まってしまった。水位はさらに上がり、洞窟の外にまで水があふれる事態に。報道関係者は洞窟から離れるよう命じられ、軍の関係者ですら洞窟の外へ退去せざるを得なくなった。「水との闘い」どころか、闘うことすらできない状況に陥ってしまったのだ。

救出活動が完了したあとに、NHKの単独インタビューに応じた海軍特殊部隊の司令官は、当時は全く先が見えていなかったと率直に語る。ふだん活動している海と洞窟とでは、何もかも違っていた、暗く、複雑な地形の洞窟を前に手が出ない状態。水位が下がることを期待していたが、ポンプも止まった。

司令官は「表向きには、あきらめないと言っていたが、望みはかなり薄いと感じていた」と振り返っていた。

■局面を変えたイギリス人と日本人
きっかけは地元探検家の手紙だった。
「タイ海軍のダイバーでも洞窟での捜索は畑違いだ、困っているだろう」そのことに気づき、早々と手を打った人がいた。

タイ北部チェンライ県に拠点を置く、イギリス人探検家ヴァノン・アンソワーズさんだ。洞窟専門のダイバーを送る必要性を感じたアンソワーズさんは、イギリス人のダイバー3人の名前を具体的に挙げたうえで「時間は残り少ない!彼らは世界でベストな洞窟ダイバー。連絡を!」とタイ政府に手紙を送った。
すぐに、バンコクにあるイギリス大使館を通じて、ダイバーたちに支援要請が届いた。
そして、早速現地入りした3人。豊富な経験を活かし、一気に潜水。5キロ余り進み、助けを待っていた少年たちを発見したのだ。

少年たちが発見された後も、水との闘いは続いた。
ここで活躍したのが、日本の専門家だ。タイの王立潅漑局に日本のJICAから出向していた降籏英樹さん。「排水も重要だが、水の入りを止めるべきだ」と主張。山を登って、洞窟に流れ込む沢を探すようアドバイスした。

王立潅漑局は、そうした沢を2つ発見。土のうとパイプを運び込み、流れを変えることに成功した。その後、洞窟内の水位は徐々に下がっていった。
入り口から奥へ1.5キロの地点の水位は、高すぎて測ることすらできないという状況から、救出が開始された7月8日には30センチ以下にまで下がっていた。日本の専門家が、水との闘いの形勢を一気に逆転させたのだ。

■実効ある日本の貢献
各国から特殊潜水士が集結する中、なぜ日本は海上保安庁の「海猿」を派遣しなかったのかと歯痒く思った人もいるかもしれない。でも日本は潜水士派遣より陰で実効ある貢献を行っていた。日本の偵察衛星から得られた洞窟の内部情報も活用されたという。日本のテレビニュースが無償でタイのテレビで放映され、各局が作製した洞窟模型図はタイの人々を驚かせた。

小阪田記者は「奇跡の救出劇とは簡単に片付けられない」として、多くの人たちが諦めずに知恵と努力を重ね、“不可能”を“可能”にして13人全員の無事救出を達成した、まさに「勝ち取った成功」だったと称えている。更にタイは軍事独裁の許で種々問題を抱えているが、今回、タイの人々が一体となって13人の救出を願い、成功を成し遂げたことは、今後、タイが1つになって前を進んでいく姿を想像させてくれるものになった、と結んでいる。

自分もタイ在住邦人の一人として是非そうあってほしいと願っている。