チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

介護ロングステイ9年2カ月

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介護ロングステイ9年2カ月

■1年ビザ
2月に母の旅券の切替発給を受けた。本人が出頭しなくても申請書類が書けなくても新しい旅券をチェンマイ日本総領事館で受け取ることができた。次にチェンライの出入国管理事務所に行って、旧旅券に記載されているビザを新旅券に書き写してもらった。ビザは4月初めまで有効。ビザの切れる45日前よりビザの再申請ができる。新旅券を受け取ってすぐ1年ビザを取る作業に入る。

ビザの申請には本人名義で80万B以上の銀行預金があるという残高証明書の添付が必要だ。昨年は母が銀行に出頭できないという理由で残高証明の発行を拒否され、チェンライの法律相談所や家庭裁判所に行ったり、母の戸籍謄本を取り寄せたりと大騒ぎをした。結果的には入管の助言により市販の委任状と病院の健康診断書を提出することで残高証明書が発行され、ビザは下りたがあの時は心労で頭髪が少なくなるほどだった。

■残高証明書がもらえない
今年も同じだろうと思い、タイ人(ブアさん)署名の委任状を作成し、健康診断書、預金通帳、母がベッドに横たわる写真を添えて、当該銀行のチェンライ支店へ行った。昨年の残高証明書や委任状のコピーを見せてビザ申請用の残高証明書の発行を頼んだ。初めてみる男性行員が、はい、はい、と言いながら銀行の様式を出し、証紙代がかかります、と言って自分からお金を受け取ると様式にベタベタと証紙を貼りつけた。うん、これなら問題なく残高証明は出るな、と思っていたら携帯で本店と連絡、そして難しい顔をして、お母様の残高証明は発行できません。ええっ、去年は同じ書類で出してくれたじゃないですか、通帳もあるし、預金があることは確かなのにどうして、と詰め寄ると、昨年は間違って発行してしまった、法律が変って寝たきりの人には残高証明が出せなくなった、などという。自分のタイ語以上に相手の英語がおぼつかなくて、これだけわかるのに30分以上、

去年対応してくれた上司と思しき年配女性行員も出てきたが、ダメの一点張り。裁判所が認めた後見人証明とか、預金相続人全員の承諾書がいるとか言っているらしいが、らちが明かない。証紙代はどうしてくれる。

■法律相談所へ
翌日、ブアと昨年も同行してくれたブアさんの友人の3人でまた銀行へ出向く。本店の担当者と電話で話す。やはり裁判所の裁定書がいるとの説明はあり、法律が変ったので残高証明は出せない、わかったのはそれだけ。ブアの友人は娘さんが交通事故にあい、その示談でチェンライの法律相談所に通ったことがある。彼女の案内でその相談所へ行く。公的な機関らしく、カーキ色の制服を着た女性法律家が応対してくれた。正式には相続人全員の同意を証明する裁判所の裁定がいるが、別に銀行の残高証明がなくても入管がOKすればビザは出るはず、と言って入管に電話をしてくれた。偉い人はいなかったけれど、取りあえず入管に行って相談してみなさい。少し安心、何か抜け道はあるものだ。相談所の女性弁護士は昨年、北海道に行ったそうで札幌や雪の話で盛り上がった。

■戸籍謄本の英文版があれば解決
さて、入管では支署長が、母と自分の旅券を見ながら、この2人の親子関係を証明する書類をチェンマイ総領事館でもらってきなさい、そうすればビザは出ます、という。多分、そう言ってくれたと思うのだが、ブアとその友人が自分がよくわかってないかもと、Sさんの家に寄ってくれた。Sさんの奥さんは日本語が堪能である。奥さんの通訳で、親子関係の証明書は理解できた。

チェンマイ総領事館に問い合わせると6ヶ月以内に発行された戸籍謄本を持ってくればその英文翻訳を総領事館で発行する。この書類で親子関係証明ができるとのこと。手許に謄本がなく、代わりに取ってくれる人が日本にいないんですが、と言うと当該市町村の戸籍係宛に返信用封筒と千円札1枚を送れば大丈夫ですよ、という。身寄りのないタイ在住者はこうやって謄本を取り寄せるようだ。

ともあれ、委任状と返信用封筒を日本にいる従妹に送って母の謄本送付を依頼、往復EMS(Express Mail Service)で10日ほどで到着、即、チェンマイ総領事館へ急行。証明書発給願いの受付は午前中、交付は翌日の午後となっているが、窓口の館員が「チェンライから来られてお泊りになるのも大変ですから、午後にお渡ししましょう」。おお、お上にも情けはある。日本国政府に対する好感度が少し増した。

チェンマイ往復は約400キロ、日帰りできないことはないが折角来たのだから、と1泊。兄とチェンマイで前祝いと称して生ビールで乾杯した。(続く)