チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

片雲の風にさそはれて 10

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■地獄に仏
雲南省は僻地などというなまやさしいものではなく、天涯である」と司馬遼太郎は書いているが、昆明は高層ビルが立ち並ぶ人口600万の大都会であった。
タイの田舎からぽっと出てきたおのぼりさんにとっては 何処をどう歩いていいかわからない。文字通り、「私は言葉が分からない、迷子になったらどうしよう」の心細い心境であった。でも昆明在住のFさんに連絡がついた瞬間、その心配は雲散霧消した。

まずはチェーン店のビジネスホテルにはいる。明るくコンパクトな部屋にシャワー室、トイレ、ベッド、小型冷蔵庫、テレビがある。バスタオルも新しくパリッとしていて気持ちがよい。待つほどにFさんがドアをノック、2年ぶりの再会。抱きつきたい気持ちを抑えるのに苦労した。
お忙しいとは思うし、夕食をともにしながら観光アドバイスをもらえれば充分、といった気持だった。帰りの切符はあるし、ホテル代もめどがついているので、その時の財政状況が許す限りの大晩餐会を主催するつもりであった。

しかし、Fさんはそれじゃ今夜はうちに何人か人が来ますので一緒に食事を、と誘ってくれた。彼は年間を通してアパートを借りている。半年は帰国するので留守番兼お手伝いの中国人老婦人が同居している。今夜は彼女の息子家族一同が集まるのだという。ホテルと彼のアパートはタクシーで5分ほど。決して広くないアパートであるが12,3人がひしめいて、たくさんの料理、いろいろな種類のビールが並ぶ楽しい宴会だった。考えてみたらここ何日か一人で黙然と食事をしていた。

■変わりゆく街並み
翌日から同居人の婦人とFさんに観光名所、また普通の旅行者は行かない市内の見所を案内してもらった。
一般人があまり行かない見所とは革命前の佇まいを残す古い街並みである。ほんの十数年前までは瓦屋根の古い建物、フランスの影響を受けた洋館などが多数残っていた。しかし開発の波でほとんど姿を消し、今、残っているものも数年を経ずして消え去る運命だという。

古い通りには泥棒市があり、あやしい中古品や偽ブランド品が取引されている。
中国であるから、その辺を走っている電動スクーターでも油断をするとすぐに盗まれてしまうし、最近はお宝ブームで、屋根瓦でさえ100年以上経ったものは持ち去られてしまうという。

■中国版なんでも鑑定団
お宝ブームに拍車をかけているのが、日本の「開運なんでも鑑定団]のパクリ番組だ。視聴者が持ち込んだ骨董品に、その道の権威が時価XX万元、と御託宣を下す。日本と同じくお宝をめぐって悲喜こもごもの人生模様が繰り広げられる。日本と違うのは、まず依頼品を多数の視聴者が「見るからにニセモノ」、「街で100元で売っていた」などとこき下ろすところだ。依頼人はまずこの罵詈雑言に耐えなければならない。でも依頼品の中には「まさしく北魏時代の金銅仏、千万元は下らない」と鑑定されるお宝も出現する。

日本では「借金のカタに譲り受けた中国の壺」というと、実物を見ないうちに島田紳助が「あ、ニセモノや」と呟くことになっているが、この番組では景徳鎮官窯の傷一つない染付の壺が出てきた。やはり中国は広いのだなあと思う。
よくこういうものが出てきましたねぇ、博物館の中におさまっていてもおかしくない、など鑑定人のセリフは日本と同じ。
「これは真っ赤な偽物」と決めつけられた依頼人が、「鑑定人は全く見る目がない、絶対、本物だ」と怒り狂う場面があるのはやっぱり中国だ。

■博物館の金印
司馬遼太郎が訪れた雲南省博物館は昆明東風西路、市の中心にある。この博物館には雲南から出土した170万年前の元謀猿人の化石を始め、旧石器時代新石器時代の遺物が多数収められている。3万年前の旧石器時代には、すでに?筏池(てんち、昆明市内の高原湖)の周りには古人類が住んでいた。雲南は四時如春(スーシールーチュン)、と言われ、暑からず寒からず、大昔から人が住むのに適していたらしい。雲南省昆明辺りには紀元前3世紀から1世紀にかけて?筏(てん)という国が栄えていた。

前漢の武王は雲南を直接統治せず、?筏国王に冊封(帰属)の印として金印「?筏王之印」を与えた。紀元前109年のことと史記西南夷列伝に記されている。1956年に雲南省石寨(せきさい)山遺跡から、この記述に一致する印が発掘された。この金印は後漢光武帝倭国に与えた「漢委奴国王印」と寸法、デザインが酷似している。

司馬氏はここで多くの出土品と共に「?筏王之印」を見ただろうし、母系社会でシャーマンの女帝がいた?筏王国と、卑弥呼に率いられた邪馬台国との関係に想像の翼を広げたに違いない。

  * ?「てん」はさんずいに眞の字



画像は上から「昆明市内」、その下3枚は「旧市外」、その下は博物館外観と展示品、一番下は町中で一個800円で売られていた磁器。