チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

あの日の記憶 1

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

あの日の記憶(1)

■大津波が襲ってきた日
例えば、去年の2月20日、貴方はどこで何をしていましたか、と問われた時、あそこでこんなことをしていました、と即座に答えられる人は少ないだろう。しかし、去年の3月11日、貴方はどこで何をしていましたか、と問われたら、あの日の記憶が鮮明に蘇ってくるに違いない。3月11日は多くの人にとって、忘れられない、そして忘れてはならない日である。天皇陛下の追悼式のお言葉の中に、「この大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育(はぐく)み、安全な国土を目指して進んで行くことが大切と思います」という一節がある。

東日本大震災により19009人の命が失われた。改めて哀悼の意を表するとともに、1日も早い復興、復旧と被災者の皆さんが元気を取り戻して下さることを心からお祈りしたい。ただ、この1年、被災した市町村の復興、復旧、あるいは防災対策がほとんど進んでいないこと、政治的決断が下されていないため、瓦礫の処理ですら数%しか手に付いていない現実も忘れてはならないことだ。政治家は陛下の「安全な国土を目指して進んで行く」とのお言葉を真摯に受け止めて、実効性のある手段を講じてもらいたいと思う。

■あの日の自分
昨年の3月11日は中国の昆明にいた。ふいと家を出て、3月初め陸路で中国は雲南省の景洪に辿りついた。初めての中国旅行で大いにショックを受けた。景洪からラオスを経てチェンライに戻るつもりであったが、ひょんなことで景洪から昆明に飛んだ。
その経緯は(http://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/51804064.html 片雲の風にさそはれて7)に書いたとおりだ。

あの日11日は午前中、昆明在住の友人Fさんに連れられて雲南省昆明博物館に行った。昼食は「建新園」という中華料理屋で名物と言われている中国式つけ麺を食べた。鶏ガラの沸騰した熱いスープに別皿に盛られた麺や具を入れて食べる。1日中ひっきりなしに食べるタイ人と違って、中国人は朝、昼、晩としっかり食べて間食はあまりしないようだ。このつけ麺も相当のボリュームがあった。完食したら、お腹が膨れ、蛇のように動けなくなる。

■大観楼からテン(さんずいに眞の字)池へ
お腹がすくまで店でトグロを巻いているわけにもいかず、建新園からバスへ乗って、市内から西南へ6キロ、庭園式公園の大観楼へ行った。
園内の木造3階建ての城楼は1690年に創建されたが火事で焼失し、1866年に再建されたものだ。城楼の上から池の全景や西山も一望することができる。城楼内部には歴史的文人、墨客の題字が多く残されており、中でも特に有名なものは、清代の孫髯翁が詠んだ180文字の長聯(家の門などに飾る細長い紙に文字を書いたもの)で、「天下第一長聯」と称えられている。この180文字で雲南省の数千年の歴史及び園内の池周辺の景色を余すことなく表現しているそうだ。

この公園は小学校の遠足の人気スポットのようで、この日も多くの小学生が男女手をつないで歩いていた。大観楼の池とテン池はつながっているので、公園からテン池へと歩く。公園内で凧揚げをしている老人を多く見かけた。昆明は標高2千mというから、風が強い。大きな凧をあげるのはそれほど難しくない。しかしなぜ、老人が凧をあげているのか。理由はFさんもわからないという。

テン池は別名昆明湖、湖面の海抜は1886.5m、湖面の面積は198k屐湖岸線の長さは163.2km、湖水の深さは平均5.5mという。霞ケ浦よりちょっと広いが、琵琶湖の3分の1弱ほど。中国第6番の淡水湖だ。以前は琵琶湖と同じくらいの広さがあり、泳げるほど水は澄み、漁業が盛んだったという。工場排水、生活排水の流入により、水質汚染富栄養化が進み、湖水は藍藻の大量発生で緑色を呈している。でもFさんの話ではこれでも以前はよりきれいになっているとのこと。

風は強いが陽は穏やかだ。湖にはゆりかもめが群れ飛んでいる。湖に沿って遊歩道ができている。そこで鳥の餌を売っている。パン切れなどを投げるとカモメが数十羽飛んできて、巧みにダイビングキャッチする。風を正面に受け、ほとんど静止したまま、伸ばした手の先の餌を取る鳥もいる。池の鯉の餌やりを思い出す。
ゆりかもめの群舞をバックにウェディング姿のカップルが記念写真を取っている。ウズベクのヒバで遺跡をバックに写真を取る新婚さん達を思い出した。

カモメと遊んだ後、タクシーがつかまらないので、2キロほど離れたバス停に向かった。その時、Fさんの携帯が鳴った。昆明と日本の時差は1時間、現地時間で14時前後ではなかっただろうか。それが日本で起こった大地震の第一報だった。(続く)


写真は昨年の昆明旅行の際のスナップ。