チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

昆明の夜

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

昆明の夜

雲南の古刹、円通寺
昨年の3月11日は昆明にいた。その日の記憶は比較的はっきりしている。昆明から空路チェンマイに戻ったのは13日か14日だったかはっきりしない。

大震災は気にはなるが、せっかく昆明に来ているのだし、とFさんが市内観光に付き合ってくれた。確か3月12日は昆明最古の寺、円通寺を訪れている。

円通寺は、唐代の南昭国がここに“補陀羅寺”を創建してから1200年ほどの歴史がある。昆明市内で最も大きな寺院として、参拝に訪れる人が絶えない。また、中国西南地区・東南アジア一帯にも名高い、雲南省昆明市の仏教協会の所在地でもある。中華式造園の方法で建てられた円通寺には緑の山、青い池、彩の魚、白い橋、赤いあずまや、朱色の大殿、彩の回廊が入り乱れ、その風景はまるで絵のようである。全国の重点仏教寺院の一つである円通寺には大乗仏教(北伝仏教も呼ばれ)、上座部仏教小乗仏教も呼ばれ)、蔵伝仏教(ラマ教も呼ばれ)の三大宗派の殿堂が建っているが、大乗仏教が主体である、とガイドブックには出ている。

普通の寺は門から本殿まで段々登って行くように作られているが、円通寺は、門が一番高く、池や本殿に行くに従って低くなっている。丁度、ピンクの八重桜が満開で、赤い大門に映えていた。この桜は雲南桜とも言われている。桜はもともとヒマラヤ原産で何十万年という長い年月をかけて、ブータンミャンマー雲南へと下ってきた。日本の桜のご先祖と思うと一段と美しく感じられる。

文化大革命のときに、寺はぼこぼこに壊されたようだが、今は立派に修復され、多くの参拝客でにぎわっている。線香をあげてお祈りしている様子は浅草寺と同じだ。仏殿では黒い僧服を着た数十人の女性達が読経をしていた。円通禅寺ともいうが女人禁制ではないらしい。

■戦前の建築物
円通寺のあとは昆明の旧市街へ。旧市街というより都市化の波に取り残された貧民街といった方がいい。狭い路地、襤褸を着た子供、曲りくねった通りには電器店や雑貨店が雑然と軒を連ねている。別名、泥棒市と呼ばれる一角で、何か盗られたら、ここに探しに来るといい、とFさんが言っていた。

清朝時代、雲南から日本へ留学する若者が多く出た。20世紀初頭に仏領インドシナ(現在のベトナム)の港湾都市ハイフォンと昆明を結ぶテン(さんずいに眞)越鉄道という国際列車が走っていた。当時は中国内陸部より雲南の方が外国に開けていたといえるだろう。雲南の革新的青年は雲南独立をスローガンに立ちあがり、1905年には清軍と戦火を交えている。

戦前、フランスは雲南に触手を伸ばしており、昆明にはフランスの影響を残す建物が存在している。Fさんに言われてそうかなあと思う程度だが、弓状の洒落た建築物は確かに中国本来のものではない。
フランス街の近くに、植民地時代からベトナム戦争までベトナム革命を指導したホー・チ・ミンが1940年前後に住んでいた建物がある。看板も目印もない目立たぬ商家だ。旧市街と同じく、この建物も早晩取り壊されて、高層ビルに代わるのだろう。

■高度を忘れてひどい目に
朝の中国電視台では日本の震災をどう思うかと聞かれた上海のビジネスマンが「この機会に乗じて日本を経済的に蹴落とさなければいけない」などとのんきなことを言っていた。

午後になるとやっぱり観光どころではないな、とFさんのアパートに戻ってテレビを見た。この日は福島第一原発の水素爆発と千葉の製油所の火災、それに津波にのみ込まれる市街、この3点セットを繰り返し放送していたと思う。

それに加えて、中国がいち早く13人の救援チームを送るというニュースをしつこく流していた。日本ではこの救援チームを副大臣が空港に出迎えて最大限の感謝を示したと記憶している。彼らは被災地の写真を撮りまくり、民主党のせいで遅れて到着した台湾の救援チームに罵詈雑言を浴びせて、早々に引き揚げた。もっとも各国の救援チームは瓦礫の下に取り残された生存者を救出するのが主な役割である。このたびの大震災のように津波に襲われた地区では生存者自体が少なく、どの国のチームも捜索を早めに打ち切って帰国している。

この日もFさん宅で夜食、ところが焼酎を盃1,2杯しか飲まないのに、完全に酩酊してしまった。昆明が標高2千米という高地に位置することを忘れていた。酔いがすこぶる早いのである。Fさんも日本の友人の安否を確かめているうちに寝入ってしまった。Fさんの同居人のカンさんが一緒にホテルまで付き添ってくれたらしいが、その辺りのことはよく覚えていない。昏迷の夜、文字通り不覚であった。

写真上から「円通寺八角堂」「円通寺の桜」「尼僧の読経」「旧市街」「旧市外」「フランス式建物」「ホーチミン住居(二階)」