チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

片雲の風にさそはれて 9

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片雲の風にさそはれて 9

■旅の方法
司馬遼太郎は「西南夷と呼ばれた雲南省に日本人のルーツがある」という鳥居龍蔵の説に惹かれ、雲南省昆明を訪れた。1980年代初めのことである。街道をゆくシリーズの巻20、「中国・蜀と雲南のみち」にこの旅の模様が生き生きと描かれている。自分が雲南を旅したのはこの紀行文の影響に違いない。

古来、日本人の旅行には古人の歩いた道をたどり、同じ風景を見る、そして同じ感動を得る、というジャンルがあったように思う。芭蕉は「奥の細道」で宗祇、西行など古人の通った道を通り、同じ風景を確認して歩く。道中、土地の旧家、名家に寄寓しているから、山海の珍味を振る舞われたはずであるし、古歌、古句には詠まれてはいないが、素晴らしい景色にも出会ったはずである。しかし彼は古人とゆかりの場所でなければ、如何に美しい風景であっても一顧だにしない。またどんなに美味しい料理を食べたかも書いていない。それは徹底している。時には実際の風景や天候を無視して、古人の古歌やその想いに寄りそって発句している。「奥の細道」が紀行文の形を取った芭蕉の随筆と言われるゆえんである。

■「街道をゆく」の中から
現在では「奥の細道」を懐にみちのくの旅に出る人は多いし、司馬遼太郎と同じルートで雲南を旅する人も多い。昆明の旅のいざないとして、彼の文章の一部をご紹介したい。

機は雲南省昆明に飛ぶ。雲南は高地だ。風の通りも良い。予想通り、昆明の空は青かった。雲南省は僻地などというなまやさしいものではなく、天涯である。山も谷も湖もタイ語系やチベット語系の人達の天地であった。ここが漢民族の視野に入るのは、漢の武帝のときである。

武帝は西方に異種の文明社会があることを知って、内陸に閉塞しがちな中国文明に大きな窓を開けようとした。強烈な好奇心といっていい。武帝のころは、四川省辺境の山地から貴州省雲南省などの一帯を「西南夷」とよんでいた。

西南夷は、日本の稲作村落と同様、水流の流れる谷にある。ここが中国の版図に入るのは、匈奴の末裔であるモンゴル帝国による。西南夷は天性の戦闘者。とくにミャオ族の精悍さはすさまじいもので、その性格や集団行動のありかたは、日本史上の隼人に酷似している。

空から見た雲南はあかるい。土の色の赤さは、素焼きの植木鉢のかけらの色である。その赤さの上に、唐三彩の素朴な緑釉を淡く掛けたような色調の低い丘のむれが、かぎりなく起伏している。

雲南省は日本の九州の10倍の面積を持つ。ただし耕地は7%ほどで、存外農業がふるわない。その理由は、水系の網が細やかではないためらしく、空からみていても大味だ。

中国で照葉樹が多いのは、福建・広東といった華南地方だが、似たような緯度にある雲南は照葉樹ではなく、針葉樹であるのは、高原のせいだろう。日本のような うだるような盛夏がなく、「四時如春」である。照葉樹はそういう気候には適さないかもしれない。

長い間、日本人にとって雲南は遠い存在であった。だが今や多様な少数民族が住むエキゾチックで魅惑的な地になった。世界遺産になった麗江をはじめ、大理、シャングリラ、石林、シーサンパンナなど、雲南少数民族の生活文化や、民俗・祭りなどに人々の関心が集まっている。

■話変わってチマチマと
やはり司馬氏の文章はいい。文章にメリハリがあるし、漢字で書けるところをわざとひらがなを使って、柔らかさを出す。大体、「雲南の道」ではなく「雲南のみち」としたところがニクい。内容に異議を唱えるとすれば、雲南は針葉樹ではなく、照葉樹が多い土地柄であることくらいか。

さて、昆明に到着し、中国元を手に入れて少し元気が出た。大きなホテルに入り、お金を払うからこの国際電話につないでくれ、と頼んだが、フロントのお姉さんににべもなく断られた。初めから泊まる気はなかったので、タクシーを停め、80元(約千円)くらいのホテルに行くように言う。タクシーが停車したのは丁度旅行代理店の前だった。オジサンと高校生くらいの娘さんがいた。彼女が辞書を見ながら英語で応対してくれた。チェンマイ行きの電子チケットを購入。ついでに「この人に電話したいんですが」。オジサンはメモ用紙の住所のあとに書かれた数字を見て、あ、これ昆明市内の電話番号だ、と言ってその番号にかけはじめた。郵便番号にしては長いな、とは思っていたが、2つ電話があるとは思っていなかったし、誰もが見落としていた。

はたして電話にはFさん本人が出てきた。ガッツポーズが出たのは言うまでもない。

写真は昆明市内のスナップです。