チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タンブンと支援

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タンブンと支援

タイの人は「先日は大変お世話になりました」とは言わないそうだ。何かお世話をしてあげたほうでも御礼の言葉を期待していない。日本人であったら、例えば家に招待してもらって大吟醸をご馳走になった、日本土産の蒲焼を貰った、チェンマイに行くと聞いて同乗させてもらった、一応、お礼は言ったが、数日後、ばったり出会えば、「いや、先日はどうも・・」から始まるのが普通だろう。

タイのお金持ちは時折、多額のタンブンを孤児院や老人施設に行う。古着や毛布を山岳民族に寄付する。彼らにとってはそのタンブンを行った時点でタンブンはおしまいである。寄付金がどう使われたか、どのように古着が配られたか、どのように喜んでもらえたか、といったことにはほとんど関心はない。

友人でタイの子供にテニスを教えている人がいる。練習用のテニスボールが少なく、ツルツルになったボールを使っていた。日本にいたときのテニスクラブの仲間に頼んで使用済みでまだきれいなテニスボールを集めて貰った。そのボールをタイの子供にタンブンしたわけだが、自分としてはボールを貰いっぱなしではどうも気がすまない。いわゆる「写真付きお礼メール」を仲間に送って、宿題をやり終えたような気分になった。「せっかく、ボールを集めて送ってやったのに、頼むときは頼んで、貰ったらメールのひとつも寄こさん」などと文句いう人たちではないことは重々承知していたが、何かしてもらったら礼状の一つくらいは、と考えるのが日本人だろう。それが日本の人間関係の基本といえる。

タイでは上げるほうも貰う方も礼状を書いたり、貰ったりという習慣がない。少数山岳民族の子供の教育里親となって、年間3-6万円を送り、子供を学校に行かせるという教育支援が広く日本で行われている。
「日本のお父さん、お母さん、いつも気にかけて頂き有難うございます。僕はお父さん、お母さんのおかげで町の中学校に寮から通っています。成績はオール5に少し足りないくらいですが、先生はこのままで行けばチェンマイ大学にも行けると励まして下さいます。僕は一生懸命勉強して大学に行き、いつかご恩返しをしたいと思います」といった手紙が教育里子から来たら、うれしいのだろうが、タイ人には礼状を書く習慣がない。子供にとっては、支援はうれしいが、この定期的な手紙を書くのが苦痛で仕方ない。手紙を書くのが嫌だからもう支援して欲しくない、という子がいると聞いたことがある。多分事実だろう。

タイ人は通常、タンブンの領収書をくれとはいわない。タンブンという行為をしたところで終わり。後はお釈迦様が見ていてくれる、といったところだ。しかし、日本の支援者は支援金の領収書はもちろん、そのお金が何に使われたかといった詳しい報告を求める。日本側では多くの人の浄財を集めて送っているわけだから、支援してくれた人たちに対する説明責任がある。当然の要求である。

しかし、この報告書を作るのがタイ側にとって厄介なのだ。まずこの国では領収書を貰うのが一般的ではない。タイのNGOの中にはどうしてこんなに詳しい報告が必要なのか、と報告書作りに泣いているところがある。これも一種の日タイ文化摩擦だろう。日本人が関っているNGOであれば、こういった報告書作りに慣れているし、適当な領収書を作ることも出来る。辻褄が合えば、という言い方はよくないが、実際のところ形が整っていればいいと考えるNGOがないわけではない。

そうなると私どもが送ったお金は、本当に本来の目的に使われているのだろうか、と疑心暗鬼に陥る支援者も出てくる。
しかし、支援をしたい人がいて、支援が必要な人がいて、その中間に仲介人がいたとしたら、いくばくかのお金は必要経費プラスアルファとして仲介者に落ちると考えても仕方ないのではなかろうか。赤い羽根募金でも日本ユニセフ協会にせよ、寄付全額が被支援者に回るわけではない。組織として活動し、それに関っている人がいる以上、間接費はどうしても掛かる。

これはタンブンだから、お金を出した時点ですべて終わりと考えるタイ人を見習えとは言わないが、とにかく支援金はタイに渡る、これは日本からタイに所得移転が起こり、結果としてタイのGDPにいくらかでも寄与するのだ、位の鷹揚な気持ちが求められるのではないだろうか。個人的にはそう思うが、これは自分がタイの習慣に染まってきたからかもしれない。

写真はアカ族の子供達です。タイ学生の配給するお菓子を貰うために行列を作っていました。