チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

愛子さま、ラオスを親善訪問

ルアンパバーンの王宮博物館

この仏像もご覧になったはず

ルアンパバーンの街角

メコンに沈む夕日

クワンシーの滝

同上

 

愛子さまラオスを親善訪問

■我が家から1時間の外国

ラオス政府から日・ラオス外交関係樹立70周年の機会に敬宮愛子内親王殿下を同国に招待したい旨の申出があった。ついては、我が国と同国との友好関係に鑑み、内親王殿下に同国を御訪問願うこととなった。御日程は、11月17日御出発、同月22日御帰国の6日間である。

愛子さまの初めての外国公式訪問、羽田空港で飛行機に乗り込む前、宮内庁幹部ら見送りの人たちに「精いっぱいがんばってきます」「緊張しています」などと話されていた。初々しいし、気品あふれる方であるから、ラオス各地で盛大な歓迎を受けた。連日、御動静を動画で拝見したが、国威発揚、日ラオ親善の実を充分に上げられたと思う。

タイに来る前はラオスについて殆ど知識がなかった。シンクタンクにいた時、アジアの政治経済について少し勉強したが、ラオスは世界でも最貧国、海に面していないため経済発展が難しいといった理由で存在感が薄く、アジアその他大勢の一つという括りで見ていた。

でも縁あってチェンライに住むことになり、ラオスは我が家から車で1時間の隣国となった。当時はチェンライ県チェンコンから対岸のラオス、フエサイに渡る橋はなく、メコン河を渡し舟に乗って行ったものだ。

メコンに友好橋が架かってからはラオス国内をフォルツァで走った。メコンに沈む夕日を眺める、それだけの理由で兄とフエサイ一泊という旅行を含め、ラオスにはもう10回以上渡航しているのではないか。

■ご訪問先で思い出すこと

愛子さまビエンチャンから3時間、ラオス国鉄道でルアンパバーンを日帰り旅行された。2021年12月にこの昆明ビエンチャンを結ぶ国際鉄道ができる前はバスでしか行けない場所だった。チェンライからルアンパバーンに行くには舟という手もあるがバスを利用するのが普通。以前はチェンライのバス停からルアンプラバン直行の夜行バスがあったから、この世界遺産の街も何度か訪れている。

愛子さまルアンパバーンで訪問された王宮博物館、シェントーン寺院は「ああ、オレも行ったよー」と懐かしく思い出した。撮り方にもよるのだと思うが、愛子さまがご視察になっているお姿を拝見するとルアンプラバンまで素晴らしい街のように感じられる。この街はフランス風レストランが連なる街並みがエキゾチックでよかった。フランス人老夫婦が皿の料理を黙って分け合って食べていた姿を思い出す。親の世代が植民地時代にいい思いをしていたのかも。

でも今は、四川料理雲南料理などの中華料理店が立ち並び、中国語が氾濫する街となっている。10年くらい前、公園でサンドイッチの朝食を食べていたら、日本の若者が「どうしてここが世界遺産なんでしょう?GHだけの街じゃないですか」と問いかけてきたことを思い出す。今なら中国の地方都市と変わらないじゃないですか、と言われるような気がする。

今上陛下は皇太子の時にこの街を訪問され、メコン河クルーズを楽しまれたという。愛子さまメコンには行かれなかったようだが、街から30キロ離れたクワンシーの滝には行かれた。アー、知ってるよー。レンタバイクで何度も行った。エメラルドグリーンの水が流れ落ち、下流の3段になるプールでは誰でも泳ぐことができる。自分は滝口に近い中国人が少ない場所で泳いだ。内親王殿下に置かれては水浴は・・・。やはりムリだろうな。


■賞賛の陰で

愛子さま性格の良さ、品格が感じられ、こういったプリンセスを戴く日本国の臣民として慶賀に堪えない。MLBの動画にも飽きてきたので、愛子さまの足跡をたどる動画をかなり視聴した。概ね、満足できる動画が多かったが、愛子さまを持ち上げるあまり、他皇族を貶め、愛子さまこそ天皇に相応しいというトーンの動画が散見された。いくら貶められても秋篠宮殿下や悠仁さまは橋下徹朝日新聞のように名誉棄損で訴えることもできない。訴訟される恐れがないことをいいことに、例えば宮様を私生児扱いするのは如何なものか。

愛子さまが立って女系天皇となれば皇統は絶える。皇統が途絶えれば日本人はグズグズ、すぐに占領できる、と言っているのは中国だ。中傷の書き込みに「出自」ではなく「出目」と書いたり、簡体字が散見されるからどうも日本人がやっているとは思えない。

いくら愛子さまが素晴らしい方でも、いくら中国の百年国恥を灌ぐという邪な意図があるにせよ、皇位継承順序はまず、秋篠宮殿下、その次は悠仁さまと国法で決着している。これを愛子天皇待望論者には思い出してほしい。