





タイの新聞記事から
■首相交代
日本では石破政権から高市政権へ代わった。タイでも今年の9月にペートンタン首相からアヌティン・チャーンウィーラクーン首相に代わった。ペートンタンさんはタクシン元首相の次女、同じく元首相のインラックさんの姪にあたる。ペートンタンさんは若いし、美人だったので自分はいいんじゃないかと思っていた。彼女は国境紛争を巡りカンボジアのフン・セン前首相と行った電話会談で、憲法で定められた倫理基準条項に違反したと判断され、憲法裁判所の命令で首相職を解任された。
一応、下院の多数決で選出された首相が国会や総選挙の結果ではなく、10人足らずの憲法裁判所の裁判官の多数決で罷免されたわけで、同じ議院内閣制でも日本とタイはこれだけ違う。どうやらフンセン氏との電話会談でタイ軍部への不満を述べたことが倫理基準条項に違反したとみなされたようだ。タイでは王室、軍部が隠然たる権力を握っているから、彼らの許す範囲での民主政治ということができる。
ともかく2年で3人目の首相就任、アヌティン首相は就任から4ヶ月以内に総選挙を行うとしている。彼はまだ58歳と若い。彼は野党第2党だったタイ誇り党党首。タイの大手建設会社の社長を務めていたこともある。中国語の名前は陳錫堯。家では広東語を話すとか。タイの財界人、政治家はタクシン氏を始め中国系の人が多い。
■タイ・カンボジア紛争
隣の国同士は仲が悪い。海で隔てられていれば接触の機会が少ないが、陸続きとなれば問題が起こる。カンボジアとタイの国境問題は20世紀初頭、フランス植民地時代に遡る。フランスが後々、紛争が起こるようタイとカンボジアの国境をはっきり決めなかったらしい。
第2次大戦後、タイは国境のプレアビヒア寺院遺跡を実効支配していたが、独立したカンボジアが国際裁判所に訴えて遺跡一帯はカンボジア領となった。タイは不満であったが裁定に従った。しかし2008年初、カンボジアがプレアビヒア寺院遺跡を世界遺産に登録するように、ユネスコの世界遺産委員会に申請した。ユネスコの世界遺産委員会が、プレアビヒア寺院遺跡をカンボジアの世界遺産に登録することにした。それに対して、タイ国内に反発が起きて、遺跡周辺でタイ、カンボジア両国軍の武力衝突が発生し、両国軍、市民に死傷者が出た。
ペートンタンさんが失脚した原因となった紛争は 今年の5月、タイとカンボジアの間で領有権が争われている「チョンボック」と呼ばれる係争地においてカンボジア軍が現状変更違反となる塹壕掘削を行ったことに始まる。小規模な衝突はあったが関係国の仲介で紛争は治まるかに見えた。しかし7月にタイ軍兵士が地雷で負傷、同月のカンボジア軍のロケット攻撃で民間人は十数人死亡したことを受け、タイ軍はF16 ジェット戦闘機による軍事拠点攻撃を行った。
紛争拡大が懸念されたが7月に米国、マレーシアなどの仲介で停戦合意ができた。トランプ大統領は自分が戦争を止めたと豪語していたが、タイ、カンボジア双方であっさり合意は破られる。国境は封鎖され、25万人以上の難民が双方に出ている。本紛争によるタイ側の死者は50名以下であるが、カンボジア側は2500名の兵士が行方不明になっているという。お互い停戦違反と非難の応酬を繰り返し、どちらが正しいのかよくわからない。長い国境線を持ち、長い紛争の歴史を持つだけに、問題の解決には相当の時間が掛かることだけは確かだろう。
10月25日にシリキット王太后が崩御された。11月初めまでタイ人から王太后が20代の頃の清楚で美しい写真やユーチューブがラインに送られてきた。ベッドに横たわった王太后が身を起こすと次々と若くなり、新婚時代に戻ってあでやかに微笑む動画も見た。多分AI ならば簡単に作れるのだろう。学校や官公庁はまだ黒白の幔幕で哀悼の意を表している。公務員は1年、一般の人は90日の喪に服すようにというお達しが出ているので市場も黒い服の人が目に付く。
でも11月5日のロイクラトンは普通に行われた。我が家の近く、ターサイ川の会場はどうしてこんなに、と思うほどの混雑ぶり、例年に比べ流れの早い川面に灯篭が次々と流れていった。
「パタヤ国際花火大会」が例年通り11月末に開催されるが、今年は「シリキット王太后追悼イベント」となるそうだ。タイ政府、王室も祝い事を自粛する必要はないと言っているが、追悼イベントと冠する方法があったか。ロイクラトンは特に崩御の関連はなかったが、これからの服喪期間の祝日行事はすべて追悼イベントとして開催されるに違いない。