チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

学而時習之 不亦説乎

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学而時習之 不亦説乎

ウズベクにいる隊員からメールが来た。ナボイ市近郊のサルミッシュ渓谷(画像)に行きたいのだが情報を下さい、という依頼だった。

そういえばサルミッシュ渓谷には4回訪れた。季節をたがえた渓谷の景観の美しさもさることながら、そのたびに案内してくれたナボイ博物館のエガモフ館長及びご家族の方のホスピタリティには未だに心温まるものを感じる。隊員のメールにしばらくサルミッシュの思い出に浸った。サルミッシュ渓谷の岩絵について10本ほどレポートを書いたことがある。(本レポートにご興味のある方はhttp://blogs.yahoo.co.jp/uzbekistan24/31639595.html からお読み下さい。「次に」をクリックすると次号へ進みます)

紀元前数千年前、石器時代に描かれた歴史的文化財である岩絵を保護するため、サルミッシュ渓谷への一般の人の立ち入りは禁止となっている。エガモフ館長(画像)と一緒であれば渓谷のゲートを開けてもらえる。それで館長の連絡先を隊員にメールしたのであるが、ウズベク国内の旅行ではエガモフさん始め多くの方と偶然かつ貴重な出会いを経験し、またたいそうお世話になった。

国費で派遣されていながらそんなに遊んでばかりいてなんだ、と怒られそうだったので、ウズベクにいるときには書かなかったが、出張を含めて結構ウズベク国内を旅行している。

ナボイ市近郊のサルミッシュ渓谷並びにヌラタの・カシム・シェイク・モスクには4回、サマルカンドには5回、ブハラに4回、ヒバに4回、アムール・ティムールの築いた城跡(世界遺産)が残るサブリサーブスに2回、更にカラカルパク共和国内のヌクス、ムイナク、トゥルクール、アフガン国境に近いテルメズ、ウズベク東部のフェルガナにも行った。同期のSV、日本語教師のIさんは夏休みも補習に追われ、ウズベク国内旅行はサマルカンドだけだったと思う。多忙な仲間に比べると、カレッジの教師は比較的自由時間に恵まれていたと思う。学校とアパートの往復だけに終らず、タシケント市内、近郊、そして国内旅行はウズベクという国を実感する上で有益だった。

同じ日本国内であっても九州、関西、関東、東北地方では未だに方言、食物、服装、民俗が違うように、ウズベクも地方色がある。それは空港からカレッジに向かう車窓の中からでも感じられた。宮本常一加藤秀俊は汽車の車窓から見える風景、つまり屋根の形、田畑の面積、形状、あるいはハザキ(稲を乾かすための喬木)といった視覚情報だけで奥深い民俗学の真髄に迫った著書を著している。

興味を持ち、そのことを考え続ければ本の一冊くらいは書けるということだろうか。ただし、感じ、見聞きするものの他に万巻の書からの知識も当然必要だろう。論語の最初、学而篇の子曰わく、学んで時に習う、亦説ばしからずや(学而時習之 不亦説乎)、は実践と学問の両立の重要性を述べたものといえる。

ウズベクの人口、国民総生産、貿易収支などの経済指標、政治形態、あるいは観光地などについての知識はインターネットで得られる。学べることの範疇だ。しかし、実際にそこに行って40度を越える乾いた空気、風のそよぎ、太陽の輝き、木々の緑、土の臭い、行過ぎる少女の微笑みなど自分の五感で感じるものはネットや本では得られない。

自分の書いたレポートを読み直してみても、ただフェルガナRU(ネットニュース)や東洋文庫からの引用をもとに書いたレポートよりも、実際に自分が足を運んで見聞きし、感じたことを書いたレポートのほうがずっとい生き生きしていて面白い。手前味噌ではあるが・・・・

ウズベクにいる隊員に言いたい。今、あなたは他の人にはできない体験をしています、五感を働かしてそれを実感し、受けとめて欲しい。そして本を読んだり、人と話し会って、感じたことを論理的に説明できるまで鍛えて下さい。取りあえずはまず、国内旅行に行こうという好奇心から始まる。ナボイ博物館でエガモフ館長が「有朋、遠きより方び来たる、亦楽しからずや」と待っていてくれるでしょう。楽しいご旅行を!