チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ナボイ市郊外(11)

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ヌラタのカシム・シェイク・モスク その3

カシム・シェイクの参道、階段、用水や水源と道路を隔てる欄干はすべてカズガン大理石で造られている。参道は美しいアラビアの幾何学模様が色とりどりの大理石で描かれている。

モスクを右手に登ると、小さな無料博物館があり、この地を訪れた有名人や泉の写真、あるいは古代の壺や民具などが展示されている。更に博物館を出て右に登っていくと、崩れかけたカラ(古代の砦)になる。ここは潅木が所々に生えているだけの荒地だ。モスクが建造されたのは1559年ということになっているが、それよりはるか2000年以上前にこの豊かな湧水井戸を中心として砦が築かれた。少なくとも紀元前1000年にはあったらしい。
今は土壁の一部だけが残る砦であるが、ここに登ると眼下にはまずカシム・シェイクの伽藍全体が俯瞰できる。確かに正方形のモスクである。ザラフシャン川流域で一番高い建物といわれる青いミナレットが印象的だ。池を覗き込んで餌をマリンカに投げている参拝客が小さく見える。土色ドームの礼拝所やモスレム学校として使われた建物がまるでお菓子で作られたように整然と並んでいる。

モスクの先にはこのヌラタの街がみえる。それほど大きな町ではないので、町の外縁は広い砂漠が広がっている。この砦からは100キロ離れたナボイの街が見えるという。

砦の更に100メートル先の高台にもう一つ土壁の砦(写真)がある。山を渡る風の音を聞きながら一番高い砦まで上る。20分くらいはかかるだろう。砦の最上部は広場というほどではないが、かなりの広さがある。昔はここにヌラタの全住民が籠城して、アレキサンダーマケドニア軍、8世紀のアラビア軍、13世紀のモンゴル軍等を迎え撃ったのだろう。もちろんそのすべての戦いに敗れ、住民の多くが殺されたのは言うまでもない。風に吹かれ、地平線に続く砂漠を見ながら滅亡と再興を繰り返したヌラタの歴史を思った。この砦の下には陶片が散らばっている。彩色はされておらず、かなり古いものという印象を受けた。

砦の裏手は山が続いており、遠くで削岩機の音が聞こえ、石を掘り出しているのが見えた。カズガンから大理石の地層が続いているのだろう。一の砦と二の砦の間のなだらかなスロープには、拳から子供の頭くらいの大きさの大理石が散乱している。ここを訪れた若い観光客がこの石を並べてハートやカップルの名前を記念に形作っている。砦から認識できる大きなさの名前の石並べには半日くらいかかるのではないだろうか。石並べには前の人の並べた石を利用せざるを得ない。こうして石並べは延々として続けられる、というわけだ、

カズガンの大理石は芳香を放つ、と聞いていたので、石を頭の上まで持ち上げて足元の石にぶつけ、割れた石の表面の臭いを嗅いで見たが、火打石みたいな臭いで、決して芳香というものではなかった。大理石の粉末は腋の下に塗って制汗剤として用いられるとも聞く。とにかく、粉末を作れるような場所ではないので真偽のほどはわからない。

さて、ヌラタ観光はモスク自体が小さなものであるし、裏山のカラめぐりをしてもそれほど時間のかかる場所ではない。
モスクの門を出ると門前町のようにお土産品やポリタンク(聖水汲み取り用)販売の屋台が続く。そこを下りると、バスやタクシーが停まる広場になっている。レストランもある。久しぶりに「生魚」を見たので、もしかして鱒の塩焼きでも供する店でもないかと探してみたが、もちろんそんなものはない。流れに群生するマリンカ(雪鱒)は生魚ではなく「聖魚」で、食べたらバチが当たって死ぬと信じられている。もし、鱒の塩焼きが食べられるのであれば1万スム出してもいいと思っていたのに残念だった。

ヌラタからナボイまで約100キロを戻る。乗り合いタクシーで一人2千スム。行きのバスと同じ料金だ。その日の夜から雷鳴とどろく豪雨となった。丁度自分のナボイ滞在中の実質2日だけ好天に恵まれた。雨であればサルミッシュへの道は泥濘と化し、谷は濁流に洗われて観光どころではなかっただろう。偶然の出会いではあったがナボイ博物館のエガモフ館長のご好意でナボイの2日は本当にに充実したものであった。エガモフ館長のご好意も、日本で彼が受けた好意のお返し、という側面がある。受けた好意のお返しをする機会が自分にくるのだろうか、そんなことを考えながらナボイのホテルで寝入った。 (ナボイのサルミッシュ、ヌラタ訪問の項、ひとまず終り)

なお、今回の旅行記の内容、特に歴史的エピソードにつきましては京都大学経済研究所「キジクルムの自然、歴史、文化遺産」(2003年7月)、並びにRiksantikvaren Directorate for Cultural Heritage, Oslo NorwayのReport of Fist mission to Samarkand and Sarmishsai valley October 2002を参考資料として引用いたしました。