チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

地方巡業 10

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地方巡業 その10

ウズベクに住んでいるからといって、SVや隊員は自由にウズベク国内を旅行できるわけではない。アンディジャン事件の起こったフェルガナ地方はアンディジャンのみならずナマンガンなど州内諸都市の私的旅行が禁じられている。またアフガニスタン国境に近いテルメズ、カシュカダリア地方も私的旅行できない。これはJIVCA関係者だけであって、日本から来る観光客は世界遺産となっているカシュカダリアのサブリサーブス見物にいくのが当たり前だ。サブリサーブスにはチムール大王の築いたお城の一部や大王の父親、家庭教師などの棺を納めたモスクがあってウズベク観光の目玉となっている。こっそりと訪れるJICA関係者もいるようだ。

何故訪問禁止になっているかというと反政府活動が盛んで、トラブルに巻き込まれる可能性があるということだ。但し、業務上の理由があり、JICAが認めればそれらの都市を訪れることができる。せっかくウズベクに来てウズベクの産業の中心地フェルガナ地方や仏教遺跡の発掘が今でも続いているテルメズに行けないのは残念だ。

今回の地方巡業の候補地にフェルガナとテルメズを入れたのは当然のことだった。幸い、JICAか業務出張許可がおりた。「エー、いいですね、フェルガナやテルメズに行かれるんですか」と仲間のSVや隊員から羨ましがられた。ボクねー、今度出張でフェルガナやテルメズに行くんだーと吹聴したからである。

サマルカンドの講演を終えて、次はテルメズであった。ここにはテパ(丘を意味する)が沢山あり、そこにクシャナ朝の仏教遺跡が埋まっている。今年86歳になる創価大学名誉教授加藤九祚先生が中心になり、長年にわたって発掘作業を続けられている。今でも発掘ボランティアが日本からやってくる。「シルクロード仏教美術」といった展示会に出品される仏頭はこのテルメズ地方で発掘されたものが多い。

テルメズに行くにあたって問題が起きた。
真夜中の1時に帰って、その日の5時過ぎに起きてまた飛行機に乗るといった非常識かつ苛酷な出張を見て、ナフォサットの叔父さんが怒り心頭に発し、泊りがけの出張を許してくれない、出張自体も男の人と一緒だから本当はいけないというのだ。

これは遠足ではなく仕事なのだ、ナフォサット、叔父さんの言うことはわかるが君自身は行きたいのか、行きたくないのか、カレッジの生徒の笑顔を見るのが好きではなかったのか。いくら言ってもタシケントの寄宿先であるおじさんが許してくれないから行けない、の一点張りだ。

もちろん講演が主目的であるにせよ、初めて行くところを短い時間であっても見学して回ることはその国を知るに当たって重要だ。テルメズ近郊のテパに行けるかと思っていたが、断念せざるを得ない。自分が行かなくても、今から頼めば適当な通訳をテルメズのバンクカレッジで見つけてくれると思います、とナフォサットは言うが、1,2日で通訳が見つかるとも思えない。見つかったにしてもナフォサットなみのレベルにするには講演時間と同じだけの準備時間が要る。そういうことも分かっているのかと言っても「おじさんが・・・」と口を濁す。

大学院を卒業した大人で、アルバイトとはいえ仕事であるのに、保護者の一存でこういうことになってしまう。これがウズベク女性の限界なのだろうか。結局、テルメズには日帰りで行くことになった。テルメズ空港ではテルメズ・バンク・カレッジのオラル学長が出迎えてくれた。学校に駆けつけてすぐに講演を、と思っているのに、飛行機に載っていた外人4名がウズベク人客とは別の建物に案内され、一人一人、警察官の取調べを受けた。取調べと言ってもパスポートの内容を警官がノートに書き写すだけである。これだけで相当時間がかかる。コピー機があればすむことだし、もしあらかじめ言ってくれていたらパスポートコピーを用意したのに。

テルメズの街は静かで行きかう車もほとんどない。街の人口は12万人。カレッジの生徒数は750人、教員数51名と他のカレッジに比してこじんまりとしている。大学進学率は10%強だが、就職率が95%とオラル学長が胸を張っていた。昼食を挟んで午前1回、午後1回の講演、質疑応答をこなして午後3時に再び空港に駆け込む。

轟音と共に褐色の戦闘ヘリコプターが飛ぶのが見えた。滑走路脇には同じく褐色の迷彩を施された輸送機が10機ほどとまっている。アフガニスタンで活動する国連軍への物資輸送の航空機だ。ウズベクはドイツ空軍にテルメズ空港の使用を許可している。戦闘ヘリを見て、ここがアフガン国境であることを実感し、多少鈍くはあってもパスポートコントロールが厳しいことに納得した。
(まだ続く)