チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

地方巡業 1

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地方巡業 その1

通訳ナフォサット嬢は世界経済外交大学の大学院(ジャーナリズム専攻)を卒業している。世界経済外交大学はウズベクの東大と言われている。レベルが高い証拠に、裏口入学にかかる袖の下が2万ドルと他の大学に比べて一番高い。

ナフォサットの生まれ故郷はカシュカダリア、タシケントから400キロ、サマルカンドから100キロほどタジキスタン側に寄った山の中の村だ。標高1000メートル、冬は雪に閉ざされる。

彼女は頭もいいが性格も明るい。彼女のキャラクターのおかげか、生徒の家に招待されることが多くなった。招待先ではすぐみなに気に入られる。生徒を力づけ、両親に生徒の希望である大学進学を勧めたりしている。いつの間にか進学相談まで受けているらしい。先日アディロバの家に行ったときも日本人と生徒たちの間に立って積極的に場を盛り上げてくれた。ある隊員から、ナフォサットさんは単なる通訳ではありませんね、それ以上の人です、と言ってもらい自分としても嬉しかった。

棉摘みに行ったとき、彼女が困ったような顔をして農園主のおじさんと話していたので、どんな話だったの?と聞いてみた。要するにおじさんが彼女を気に入って、是非、義理の娘になってくれ(つまり息子の嫁になって)、と口説かれていたとのこと。

彼女は外交官になるという夢を持っている。実は礼金を積めば外務省にはいれるらしいが、これまでカンニングひとつやらずに、最高学府を出た彼女にとってそれはポリシーに反することらしい。正攻法で機会を窺っているが、タシケントで働けるパスポートを持っていないので、なかなか前途は厳しい。ウズベクでは地方から旅行や進学などでタシケントに滞在することはできるが、タシケントで働くためには都市住民パスポートがいる。中国の戸籍制度ではないが、国民が自由に移動、就職できるわけではないのだ。

できれば彼女の夢がかなうようにと、読むべき本(例えばF.カリエールの外交談判法)などを紹介したり、歴史や国際情勢など自分の知っていることをつたない英語で話している。

「白人の横暴」などは研究室でよく話しているので、教室では足りないところを補って臨場感豊かに生徒に話してくれる。アナウンサーに、と懇望されたことがあるくらい声が澄んいるので、生徒も一生懸命聞き入っている。

普通、日本語から英語に直す時に、本来伝達すべきことの3割以上が失われ、またそれをウズベク語に訳する時に更に3割が失われると言うが、ナフォサットの場合、自分のつたない英語を前後の脈絡、これまでに聞いた話をつなぎ合わせるなどして自分の言ったことの100%以上を生徒に伝えてくれていると思う。

一日1,2時間は彼女と物価や街の様子、ウズベク人の考え方など雑談をするのであるが、その中でナフォサットが国内をほとんど旅行したことがないことに気付いた。大学が休みになればすぐカシュカダリアの両親のところに帰っていた。旅行するような無駄なお金がないというより、若い女性がふらふら知らない町に行くことは良家の子女には許されないことのようだ。

この夏にJICA関係者総勢10名でナボイのサルミッシュ渓谷へ1泊旅行した。そのときナフォサットに同行を頼んだが、お父さんが一行の中に女性がいるならば、としぶしぶ同意してくれたとのこと。何事にも父親にお伺いを立てる父権強大なこの国ならではのことだ。

彼女にとってナボイがはじめての国内旅行で、ウルゲンチ、ブハラ、テルメズ、フェルガナなどは行ったことがない。24歳だが飛行機搭乗の経験もない。

ねえ、ねえ、ナフォサット、飛行機に乗りたい? 目をくりくりさせながらもちろん、という。それじゃJICAに頼んで出張させてもらおう。通訳の費用も負担してくれるはずだ。

カレッジの学長のところに行き、自分の講義はたいそう評判がいいのでこの際、プロビンスに一つはある地方バンクカレッジに講演に行きたいが、と申し出た。えっ、地方のバンクカレッジの学長は皆、私の友達だ、費用がJICA持ちなら是非、ということになった。幸い、JICAからも業務の一環と言うことで業務出張が認められた。

ウルゲンチ、ブハラ、サマルカンド、テルメズ、フェルガナの2週間にわたる地方巡業がこうして始まることになった。(続く)