チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

好調なウズベク経済

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好調なウズベク経済

昨今のウズベク経済の調子は、というと絶好調と言ってもいいだろう。本年の第一四半期の経済成長率は9%となっている。輸出の3割を占める原綿を始め、天然ガス、ウラン、銅、金(世界第9位の輸出国、日本のウ国輸入額の75%が金)の国際価格が軒並み上昇している。ロシアに150万人、カザフに50万人という出稼ぎ労働者からの海外送金も10億ドルを超える。名目GDP総額が138億ドル(2005年)というこの経済規模からして10億ドルは相当なものだ。国家予算額の2割に等しい。

またエネルギー価格高騰に沸くロシア、カザフから投機資金が流入し、それほど入室率が高いわけでもないのに、タシケント市内ではあちこちで高級マンションが建設中だ。

日本からウズベクを訪れるビジネスマンはロシア、カザフを回ってウ国へ来るケースが多い。カザフとウズベク、その後見役のロシアの好景気を見て、これから本当に中央アジアは変わるかも、と期待を膨らませている。前向きな投資案件もいくつか生まれつつあるようだ。

ただし、日ウの貿易額を見てみると対日輸出額1,25億ドル、対日輸入額0,35億ドルと微々たるものだ。2006年5月現在の調べによると日系進出企業はわずか15社、駐在員事務所として伊藤忠商事, 住友商事, 丸紅, 三井物産, 三菱商事, 日本電気, 清水建設, 日本交通技術, コマツCIS, 海外貨物検査等の企業名があげられている。

日本企業ウ国進出の例としていすゞ自動車がある。いすゞは昨年、小型トラック(エルフ)のシャーシの供給を伊藤忠商事経由で現地のサマールカンド・オートモビール・ファクトリー(SAF)社に開始した。SAF社はこれをベースとする小型バスを組み立てる。品質などがいすゞの基準を満たすと確認できるまで当面の間、SAFブランドとしてウズベキスタン国内で販売する。
年販計画は、初年度は1000台。2010年には3000台への増加を見込んでおり、将来的にはウズベキスタン国内に加え、中央アジア諸国(カザフスタンキルギスタンタジキスタントルクメニスタン)への販売も視野に入れているという。しかし人口2630万人のウズベクで、たった年1000台の生産量である。最新式のオートメーション設備は導入せず、安価な人件費を利用しての手作り生産となる模様だ。

いすゞはロシアでも小型トラックの生産、販売に乗り出しているが2009年までに1万台、、将来的には年間3万台の販売を見込んでいる。この比較からしてもウズベキスタン進出はまず様子見、という感じが強い。

どうして日本企業がウ国進出に慎重であるかといえば、余りにもこの国には規制が多く、それが輻輳していて、どれが正しいのか政府の役人でもわからない。結果として約束されたことが履行できない、税制は政府の恣意によって変わる、ということがあって怖くて大型投資には二の足を踏んでしまうのだ。日本企業は進出に当たって何度も実地に足を運んでフィージビリティ調査を念入りに行う。その結果、リスクが高すぎて投資に踏み切れないということになる。

会長のトップダウンでリスクも省みず、果敢にウズベクに投資を行ってきた韓国企業、大宇でさえ撤退の憂き目にあっている。大宇の金会長とカリモフ大統領との個人的関係を誇示し、自動車関連だけでなくテレコム、綿花など10億ドルレベルで投資を行い、一時は「ウズベキスタンは大宇スタン」と鼻息が荒かったものだが。 三星グループは早々と1999年に撤退。

なぜこういうことになるか、端的にいえば儲からない、儲かるはずだったのにウ国側の条件が変わって儲からなくなったからだ。条件が変わったというときれいに聞こえるが、東京財団日下公人さんが言っているように「ウソをつく人と商売をしちゃいけませんよ」の一言に尽きるのだろう。

一次産品の価格高騰による好景気には波があり、必ず後退期を迎える。そのときまでに足腰のつよい経済構造、信頼に足る制度が作れるか、これはウ国の政策にかかっている。

(画像は街でよく見る大宇の車)