チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ウラニウムと中央アジア

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ウラニウム中央アジア

原子力発電が見直されている。世界では439基の原子炉発電所がある。日本は55基の原子炉があり、すでに日本の発電量の3分の1は原子力でまかなわれている。原油価格がバーレル当たり90ドルの大台に乗り入手が難しくなっていること、また石油燃焼には温室効果ガス排出といった環境問題があり、クリーンなエネルギー、原子力発電が世界的に見直され、中国、インドなど新興国を中心に相次いで原子力発電所建設が計画されている。

1979年に起こったスリーマイル原子力発電所事故以降、原子力発電所の建設計画にストップがかかり、ウラニウム需要は伸び悩んだ。1980年から最近までウラニウムの価格はポンドあたり10ドル台で推移してきた。価格が安定していたのは需要が低迷したことに加え、核軍縮で廃棄処分となった核弾頭のウラニウムを薄めて発電に使うということも行われてきたからだ。ところが石油価格高騰、クリーンエネルギーの旗手ということで原子力発電が見直され、核弾頭からのウラニウム供給も一段落したところからウラニウムの国際価格はうなぎのぼりとなり、2007年6月には1ポンド当たり135ドルの高値をつけた。新興エネルギー消費国、中国の国家戦略的ウラニウム備蓄、買いあさりの影響も無視できない。

カザフスタンはオーストラリアについで世界2番目のウラニウム埋蔵量を持っている。このため世界のバイヤーが、カザフスタンウラニウムビジネスを取り仕切るカザトムブロムに殺到した。カザフは石油輸出でも潤っており、まるで盆と正月がいっぺんに来たような賑わいで、ウズベクなどの近隣諸国からの外国人労働者を働かせ、まさにカタールオマーンのようなエネルギー成金国になっている。

フランス、カナダなどの原子力大国が1980年以来、着々とウラニウム鉱区の開発、権利取得に走った中、日本は原子力低迷の時期にウラニウム鉱区探査技術者の配転、せっかく獲得したウラニウム鉱区の売却など、ウラニウム資源獲得戦争に出遅れてしまった。

しかし、昨年8月の小泉首相、今年4月の甘利経済産業相カザフスタン訪問で、日本は中央アジアウラニウム獲得競争に本格的に乗り出した。特に甘利経産相には8大電力、東芝伊藤忠、丸紅などのトップ150人が随行し、ウラン購入、ウラン鉱山開発、原子力関連技術供与など24件の覚書を交わし、原子力協定締結への道筋をつけた。

2004年の日本のウラン輸入総量は年間7500トン前後であるが、覚書が完全に履行されれば、日本はカザフから年間4600トンの供給が得られることになる。甘利経産相は現在1%に過ぎないカザフからのウラン調達量が30~40%に高まると期待を述べている。またカザフ南部では丸紅が中心となってハラサン鉱山の開発を進めており、この鉱区だけで日本の20年分のウラニウムが確保できるという。

ところでウズベクは、というと国策で資源をあまり輸出しない抑制した経済成長を目指している。ただし、ウラニウムを産出することはよく知られており、探査を進めればさらに多くの有望鉱区があると見られている。

10月19日のロイター電は、ウズベキスタンの地質・鉱物資源国家委員会のマブルヤノフ委員長談として、ウズベクのルドノイエ鉱区での日ウ共同ウラニウム開発プロジェクトに関し、伊藤忠と契約を締結した、と報じている。伊藤忠はこの他に3箇所のウラニウム鉱区開発の権利を取得したという。さらにマブルヤノフ委員長は11のウラニウム鉱区でも日本と共同探査事業を始めたいといっている。

というと日本のウラニウム確保はできた、安心、と思われそうだが、カザフとしては原料供給をあくまでも日本の先進的な核関連技術とのバーター取引と見ており、原子力協定の内容如何ではウラニウムの実取引に影響が出てくるだろう。また、ウズベキスタンにしてもウラニウム開発に当たっては50;50のジョイント・ベンチャー方式を主張しており、スムースなウラニウム供給開始までにはまだ紆余曲折があるものと思われる。

さらにカザフ、ウズベクウラニウムビジネスに大きな影響力を持つロシア、中国の動きも注視していかなければならない。中央アジアで今、日本の国益が問われている。

(画像はファルファドバザールから)