チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

芸術科学研究所見学(1)

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芸術アカデミー、芸術科学研究所見学 その1

夏休みに入って時間ができたので、SV仲間のUさんが派遣されている芸術科学研究所を見学させてもらうことにした。ここで彼は古美術、特に遺跡から発掘される壺などの修復作業に当たる傍ら、収蔵品の目録作りを行っている。この研究所にはクシャナ朝時代の仏教遺物や紀元前2000年前にさかのぼる青銅器時代の壺などが保存されている。一般公開されているわけではなく、参観するには紹介者がいる。

日本でよく新聞社が後援して海外の美術展を開催する。こういった美術展でお客が押し寄せて絶対ペイするものの一つにシルクロード展がある。シルクロードと聞くと古代ロマンの血が騒ぐのであろうか。他には古代エジプト展(ミイラでもあれば最高)、古代アステカ黄金の時代展、それから最近は少し集客能力が落ちたが中国兵馬俑展などに人気があり、繰り返し、日本各地で巡業が行われている。芸術科学研究所の収蔵品も日本で何度も開催されたシルクロード展に借り出されている。

タシケントホテルの交差点でUさんと待ち合わせ、そこから歩いて2,3分の研究所に行く。広大な敷地の中に3棟の5階建てビルがあり、その一つが研究所、もう一つは警察関連の建物になっている。この敷地の裏は大統領府、内閣府の官庁街となっており、警備が厳しい。敷地内は公園と見まがうほど広く、大きな道路が通っている。この国にこんなにいい車がと思うような高級外車が結構な頻度で走ってくる。政府高官、警察幹部が乗っているのだろう。

芸術アカデミー、芸術科学研究所というプレートのかかった古ぼけたビルに入った。一応大理石造り5階建てであるが、兜町辺りの築40年といったビルを連想させる。階段を上がって、颯爽としたオフィスに案内されるのかと思ったら、1階から地下へ降りていく。通路には石膏のガラクタやなぜか鋳鉄製バルブが3つほど転がっている。裸電球がポツンとぶら下がる地下通路はまるで防空壕だ。

そこの一室がUさんのオフィスになっていた。考古学部長のトゥルグノフさん、大学院生にして講師、研究所職員、かつUさんのカウンターパートであるアクマル君を紹介される。30歳くらいの小柄な青年だ。3人が机を置き、自分が入ると一杯になるような小部屋だ。雑然と訳のわからない機械や測定器具が置いてある。ソビエト時代に使われたものという。その中でU さんがJICAから支給してもらっている真新しいパソコンが目を惹く。地球防衛軍秘密指令基地分室といった怪しい雰囲気だ。

アクマル君の入れてくれた甘い紅茶をすすりながら、ブリーフィングを受ける。このビルは芸術学研究所のものであるが政府が人件費以外の経費を出してくれないので、研究所が貸し室業を営み、家賃を石膏やへらを買う費用に充てている。このビルは実質雑居ビルとなっている。研究所の正規オフィスは5階にあるが冷房がなく暑いので、涼しいこの地下室をオフィスとしている。また冬も地下室にまずスチームが入ってくるので居住環境はいいとのことだった。

さて、5階の展示室の鍵を開けてもらって、遺跡からの出土品を見学する。照りつける太陽の暑さがコンクリートを伝わって展示室に充満している。じっとしていても汗が流れる。展示はコンパクトに整然としているが説明文書がなく、すべてアクマル君の口頭説明に頼ることになる。いくつかのクシャナ朝時代の仏頭は加藤九祚先生の本で見たことがあった。ガンダーラ、ヘレニズムの影響を受けたアフロディテ像もあったが、多くは粘土で作られているため、土圧でひしゃげたり、かけていたりして完全な形をとどめているものはない。今も丘を意味する「テパ」の発掘があちこちで続けられている。もし完全な仏像が出現したら、10年は日本巡業を続けられるだろう。

壁に日本で行われたシルクロード展のポスターが張られていた。1999年に東京都美術館で開催された美術展のポスターはこう語りかける。「特別展、西遊記シルクロード三蔵法師の道、1300年前の大旅行が現代に蘇る…」

古代シルクロードのロマンとこの展示室の現実の暑さに、目のくらむような落差を感じた。