芸術アカデミー、芸術科学研究所見学 その2
展示室は無人であるのに何処からかゴソゴソ、コツコツと音がする。天井に鳥が巣を作っていて、その音が聞こえてくるのだ。以前、天井の穴を紙で塞いでいたところ、その紙を貼り付けていたテープがはずれ、鳥の巣が落ちてきた。それが展示ケースのガラスの上。藁・羽根・卵の殻と卵黄・卵白が混ざって干乾び、掃除に苦労したそうだ。
展示室を出たフロアには美術大の学生の手になる大きな石膏製の仏陀立像がある。手がやたらに大きく、アンバランスの仏と名づけたいような仏像だ。その仏像の前にバケツがいくつも置いてある。これはお賽銭を入れるためのものではなく、天井から漏れてくる水を受けるためのものだ。展示室内部は、さすがに雨漏りはしていないようだが、国宝級の仏頭、壺があるフロアがこの調子ではこの国の文化行政の行く末が思いやられる。
この展示室は常時開館ではなく、紹介者がいるときのみ拝観させてもらえる。団体さんが見えるとアクマル君が、鍵を開け、臨時ガイドとなって展示物の説明を行う。考古学部長の息子さんが旅行会社を経営しており、その関係で日本人旅行者が展示室に連れられてくる。また彼のクチコミで他の旅行会社からも拝観ツアーがくることがあるそうだ。日本からのツアー参加者は、もうあちこち海外も行きました、南極も行ったし、あと行っていないのはウズベクくらいねー、といった年配女性が多い。Uさんの話だと、エレベータのないこのビルの5階まで階段を上がり、展示室の灼熱地獄で気分が悪くなった日本人女性がいたという。こうなると美術品見学も命がけだ。
展示室の隣にUさんの正規オフィスがある。オフィス床には、土器のかけらが20個から30個ほど入った玉葱袋がいくつも転がっている。遺跡から壺が完全な形で掘り出されることはめったにない。2千年前の人もこの壺はもう使えないとゴミ捨ての穴に勢いよく放り込んだのだろう、また土圧もあって壺はグシャっと潰れる。だから土器は破片となって出土する。出土した土器のかけらを丹念に拾い集め、それを玉葱袋に入れたものが芸術科学センターに持ち込まれる。U さんは学生と協力してそのかけらを、ジグソーパズルよろしく組み合わせて原型の復元に努めるわけだ。
「それにしてもウズベクの壺はつまんないねー」とUさんはぼやく。なぜなら皆、同じ形で大きさもほぼ同じ、それに素焼きで彩りはなく模様の入ったものもほとんどない。それに比べると日本の縄文式土器など、どんな形の壺だろう、どのような模様だろうと復元する前からわくわくするものだそうだ。
確かにナボイやサマルカンドの博物館で見た壺も素焼きの、日本でいったら土師器や須恵器によく似た形の土器ばかりでデザインにあまりバリエーションがない。実用を重んじて装飾など考えなかったのか。古代日本人と中央アジアに住んだソグド人、サク人などのメンタリティの違いなどに少し興味がわいた。「それじゃもういいですか、それではアクマル君に3千スム渡して下さい」と事務的に言われたので事務的に心づけを渡す。展示説明はアクマル君のアルバイトとなっているようだ。
日本の大学や博物館は独立行政法人になり、自立した財政運営が求められている。施設を民間に賃貸したり、職員がガイドのアルバイトをしたりするようになるかもしれない。この点ではウズベクが日本の先を行っているといえようか。
見学を終えたら丁度昼食時間になった。それでは隣の警察ビルの食堂に行きましょう、とUさんが案内してくれた。警察ビルの地下に食堂がある。ビルのつくりは同じなのでまた防空壕の中を歩かされている気分だ。取調室を2、3部屋ぶち抜いたような空間が食堂だった。テーブルが2列X 5くらいある。Uさんの地下オフィスより広いが、なんとも陰気な場所だ。昔は拷問室に使われていたのではないか。すでに警官が数人食事をしている。余り明るい話題もないのか無言でモソモソとノンを齧っていた。
何でも好きなものをどうぞ、とUさんが言ってくれるが、スープ、プロフ、ジャガイモ、蕎麦の実の茹でたものくらいしかない。バンクカレッジの食堂よりチョイスが少ない。余り迷う必要がなくスープ、プロフを貰う。アクマル君も同じ。Uさんは蕎麦の実を皿一杯に盛ってもらう。配膳室の隣がキオスクのような店になっていておつまみ、お菓子、それにワイン、ウオッカなどが売られている。少しえらい人がくると警察官はお昼からでも酒盛りをするそうだ。
食事が終わってから支払いをする。せっかく来てくれたのだから今日は私が・・とUさんがおごってくれた。昼食代は3人分で1800スム(180円)。学校の食堂の半額くらいか。
Uさん、ご馳走さまでした。次回は明るく、広く、ピチピチギャル一杯のカレッジの食堂でお返しをさせてください。